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「持続可能な魂の利用」

松田青子著

ある日、「おじさん」の世界から少女たちが消えた。

おじさんに少女が見えなくなったが、少女たちにおじさんは見える。

冒頭の序章のようにも読める部分。おじさんが見ることができなくなった少女たちは、うっとりと復讐をし、その対策としておじさんが決めた制度の中で、ある土地が専用の居住地として割り当てられる。少女たちの世界から「おじさん」が消える。

闘う気持ちを持つにいたった少女、闘う道具を持っていた少女たち、消費される自分を感じていた少女たちが「おじさん」の世界に革命を起こす。

どこまでも少女を消費しようとする「おじさん」が安心する世界は、とても歪でまさに今の現実そのまま。この小説の中で、次々と言葉にされる現実を思い起こさせる歪さに震え上がる一方で、それに対処する少女たち、それに対抗する少女たちの歩みに、勇気をもらい、解毒される。

「おじさん」に「よく考えてから言え」と香川さんが罵倒するシーンでは、一緒に叫んでいるように感じ、緊張しつつ解放された。

日本のアイドルについての記述は、まさに多くの少女たちが感じながらも、言葉にしていないことの連続。

以前自分自身が仕事に疲れて帰ってきて、何の気無しにテレビをつけたら、ステージで号泣する少女にウォーという声援?を送る観客(多分ほとんどが男性でおじさん)の映像が映り、びっくりして一体何が?と思ったら、男性司会者(もちろんおじさん)が涙ながらに解説をしていて、それにもまた観客たちが雄叫びを上げていた。「総選挙」という催しだったらしく、吐きそうになって電源を切った。これを堂々と流すテレビ、結果を報告するニュース、盛り上がるネット。少女たちのため、と言いながら少女たちを消費するおじさんたちから、私は逃げ出して見ないように努めた。

革命は思いの外するりとなった。実際のところ、そうなのかもしれない。

魂の語りで小説は終わりを迎えるが。「持続可能」というワードにも、もやもやした皮肉を感じる。持続可能なのは魂なのか魂の利用なのか。

初めの章に、「最終的に、傍観していた人たちは、このままの方がむしろいいだろうという結論に達した」という一文がある。

小説の中で、「少女」以外の傍観していた人がはっきり出てくるのはこの一文だけだったと思う。傍観していた人たちの罪を思う。傍観している人から逃れでたい。



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