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フォロワー70万のSNSプロデューサー とっしー

 「なんで子どもは学校で勉強するに?」
 「なりたい大人んなるためだわ」
 TBSドラマ日曜劇場「下剋上球児」より

還暦過ぎても少年のような好奇心を持ってvoicyラジオの対談を4年続けている。自分の知らない世界の話を聞くのは愉しいし、いつもときめく。ターレス(今井孝)の出版講演会で65歳の友人Kazu(板橋公一)から紹介された、「とっしー」こと本名、福井雅人さん28歳も、その一人。俺にTikTokerの友人はいない。

とっしーは、Tiktokフォロワー47万人、インスタフォロワー12万人、YouTubeチャンネル登録10万人のSNSインフルエンサー兼プロデューサーだ。SNS塾を主宰し有料のサロンも持っていて幅広い世代に知られている。

彼と対談して、「後世に、より良いものを残したい」という「強い欲」を感じた。フォローして聴いてほしい。 

愛知県知立市出身、2歳までは父親がトヨタ関連会社に勤務だったため社宅に住んでいたが、名古屋市に引越しした。幼稚園時代は好き嫌いが多い子で、特に「お弁当は最後まで食べろ!」と強制する先生が嫌いだった。小学生になると頭角を現し学級委員になり、とっしー曰く「目立っていた小3が人気のピーク!」だったという。学級委員に立候補するとクラスの33人中、30人の票を集めたのだ。SNSインフルエンサーの今の片鱗を見た。スポーツ好きで少年野球チームやバスケ部に所属し、スイミング教室にも通った。

中学に入学して最初の試験で学年トップになり学級委員、生徒会長をやってクラスや学校を仕切っていた。部活はテニス部に所属したが、理不尽の塊のような顧問と折り合いがつかなかった。胸ぐらをつかまれたこともあったという。中学生時代、一番楽しかったのは、毎週土曜日のカラオケ。受験勉強もしつつ、カラオケも仲間と楽しんでいた。はしゃぎ過ぎて地元のヤンキーに絡まれたこともあった。

中3の夏くらいから「本気スイッチ」を入れて受験勉強をスタートさせた。とっしーは、切り替えスイッチを入れるのが上手い。中間、期末試験、ずっと1位だった親友の存在も大きいと思う。何かを徹底的にやり切る姿勢は今に通じる。その甲斐あって中学受験は、私立の滝高付属中学に落ちたが、滝高校に受かりリベンジを果たした。ところが、私立には行かずに愛知県で一番の公立高校、旭丘高校に進学した。彼は、小さな頃から友達の親から「優等生、真面目」と言われるのが嫌で、どちらかというと「チャラい」と言われるほうが嬉しいという。

高校に入学して思ったのは、「このツワモノぞろいの高校で1番は取れないな」。だから高1は全く勉強をしなかった。バトミントン部に所属、中学のテニス部と違って緩くて楽しかった。高2の夏から気持ちを切り替えて受験勉強をスタートしたが、今から思えば勉強方法を考えず、理論を学ぶよりも、むやみやたらに目先の短期記憶ばかりやっていたことを反省。「受験していい大学に行くのが当時の正義だった」。京都大学を受験するも落ちたが、受かった早稲田大学、東京理科大を蹴って浪人する選択をした。駿台予備校に行ってメンタルはしんどかったが、いろんな友達ができた。

浪人時代、京大総合人間学部を受験する予定を医学部志望に変更した。もともと高校時代、医学部専攻というのはアタマの隅にはあった。でも、「血を見るとダメ、働きづくめで遊ぶ暇がない」というネガティブな噂を耳にして気持ちが萎えてしまっていた。4月〜5月は全く勉強せずに映画、TV、本を読んで見聞を広めた。中でも天皇陛下の執刀医、天野篤医師の本を6月に読んで医学部専攻を決意し、高知大医学部に進学した。一冊の本が人生を変えることがある。高知大を選んだのは二次試験で唯一苦手な英語がなかったから。

学生時代に個別指導塾のバイトをした結果、起業を決意した。生徒が5人集まればバイトで30人を指導する利益と同じだと気づいたからだ。7千枚のチラシを刷り、たった一人でポスティングするだけで13人の生徒を集めた。とっしーの行動力と集中力は半端ない。当初は中高生対象だったが、中学生にシフトしていった。医学部が忙しいのはテスト前だけでブロガーになるため授業中にブログ(ameblo)を執筆した。「有名人になりたい!」とお笑いも始めた。当時付き合っていた彼女にも「お笑いやりたいならやりなさいよ」と、背中を押された。高校の部活の先輩と新宿・下北沢の小さな劇場で地下ライブなどで3年間活動した。お笑いコンビの錦鯉やぺこぱなどとライブで一緒だったという。

ブログの執筆と並行して流行って来たインスタ、X(旧ツイッター)をやった。主な内容は勉強方法、医学部の裏事情。意外にも当初YouTubeは顔出しに抵抗があってやらなかったが、HIKAKINやカジサックの登場でYouTuberが人気となり、「YouTuberやりたい!」と気持ちが変化した。

編集ができなかったためネットの掲示板で書き込みをして募集するとシングルマザーが名乗りを上げスタート。ところが大学5年になってコロナ感染が拡大、マッチングした相手が外出できなくなった。大学もリモート授業に切り替わった。

そんな時、あるYouTubeマスターから「TikTokが伸びやすい」という情報を得て2020年5月からTikTokをスタートさせた。TikTokはダンス動画のイメージが強いが、彼は意外にもダンスは苦手。ダンスだけでなく情報、ノウハウを発信している。当時一日のブログのアクセス数が5、000くらいだったのに対して初日のTikTok再生数が40万になった。ところが最初は一気に伸びた再生数が、6投稿目まで伸びなかった。有名TikTokerを研究しながらやっていくうちに年内には25万人のフォロワーがつき大学でも噂になった。

学習塾のビジネスは順調で、TikTokが転機となり、著名なインスタグラマーやYouTuberの交流会にも声がかかるようになった。そこで翌2021年、SNSコンサル兼プロデュース業もスタートさせた。

SNSインフルエンサーの雲の上の存在のような凄い人と出会い、心に火がついた。3つの軸、学習塾経営xSNS投稿xSNSコンサル&プロデュースに加えて本の出版の話もきて執筆もするようになった。現時点、大学の医学部を卒業したが医師国家試験を受けていない。就活もせずに、3つの軸を中心に据え、SNSプロデュースのLINE公式アカウントをつくったり、ファンクラブもつくった。2022年にはFacebook、clubhouseも始めた。2冊目の出版依頼もあり、講演する機会も増えてきた。人との出会いも加速して著者の著名人とも繋がった。縁を大切にすると、どんどん運気が上がっていくと思う。運やチャンスは人が運んでくるものだから。

TikTokを始めたことで中高生を中心に30歳未満までの人気を博した今、Tiktokを勧める理由やどう活用するか、5大アプリのデータ解析について語ったのが8回目。

「チャンネル登録をしないで観ている人が多いから、僕はフォロワーはついてないほうです。でも、これから始める人にはフォロワー数よりも閲覧数や再生数を意識してやってもらいたい」という。

そして最後に「これからやりたい5つのこと」について語ったのが最終話。是非、フォローして聴いてほしい。

今日は、これから横浜アパホテル&リゾート《横浜ベイタワー》で開催される、とっしーの新刊「TikTok運用大全〜この1冊で全てが分かる〜」の出版パーティーに参加する!楽しみ。

 大切にしている
 黒澤明監督の言葉がある。
 『悪魔のように細心に、天使のように大胆に』
 J-WAVE STEP ONE【LISTEN AND LEARN】
 映画監督 塚本晋也 「作品から学んだこと」より

フォローして聴いてね。

最高傑作「ようこそドラマチックジャーニーへ」はじめ著書

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