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背中を追い続ける存在に出会ったリクルートでのこと

新卒で入社した会社を1年で辞めた1ヶ月後、リクルート住宅情報ディビジョン新築マンション営業部の、営業アシスタントとして転職した。
リクルートにはトータル3年半在籍し、途中でアシスタントから営業マンになるのだけれど、それは当時のリクルートでは異例中の異例なことだった。

人は成長し成熟していく時、どんな分野で何をやるにしても、依存・自立・相互互助という道のりを辿ることになる。

依存する段階 (周囲に助けてもらいながら知識や知恵を習得する)
自立する段階 (1人でできるようになり自分なりの発展をしながら、リーダーとして成長する)
相互互助の段階 (周囲と対等に協力しあいながら、全体の発展に貢献する)

日本の芸事ではこれを「守破離」と言い、発達心理学の成長発達理論として近年研究が進んでいる分野でもある。リクルートでの3年半は私の人生において「依存」から「自立」まで一気に進んだ時期だった。学ぶことが多すぎて、肉体的にも感情的にも大忙しだった。


2001年のリクルートは、タバコを吸う社員のオフィスの机の上には灰皿があり、コンピュータは6〜8人のチームに1台、クライアントからの受注はFAXで申込書を送ってもらうという、"ザ・昭和"な社内風景だった。

リクルート事件を経験した社員もまだ多く在籍していて、その当時のバッシングや売上の落ち込みからくる反省をしっかり持っていた。
自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」の青いプレートがいたるところにあり、それが皆の指針になっていた。

今はもうだいぶ違っていると聞くけれど、当時のリクルートは仕事も遊びも全力投球だった。半端なく全力投球。心から仕事を楽しんで遊び、遊ぶ中から仕事を創っていった。何事もスマートにこなすタイプよりも、泥臭く失敗しながら取り組むタイプの人が多くて、人が大好きな人が多かった。一流の仕事の仕方と同時に、一流(?)の遊び方も教えてもらえる特殊な環境。

営業に強いイメージのあるリクルートだけれど、意外にも営業マンのタイプは千差万別だった。

多いのは明るくて場を盛り上げられて頭の回転の早い、いわゆる「リクルートっぽい」人。しかしこのタイプは全体の3割くらいで、あとはなぜか声が異様に小さく静かに話すタイプの人が一定数いたり、奇人変人に近い天才タイプの人がいたり、アーティストっぽい空気のお洒落な人がいたり、ほのぼのしたおじさんといった印象の人がいたりと、楽しい職場だった。

制服でポロシャツやジャンパーを着ていた八王子の中古車販売センターから、スーツを着こなし華やかなメイクの社員ばかりがいる銀座7丁目のオフィスに通うようになった私は、転職した当初は「なるべく目立たないようにしよう」と、わざと眼鏡をかけたりしていた。

女遊びが激しい人が多いと聞くから気をつけなさい、と当時の夫に言われ、それは確かに事実だったのだけれど、先輩アシスタントさんたちが、読モか?!というくらい綺麗な方々揃いで、元夫の心配は杞憂だった。


1社目の会社も「情報から事業を作る」と言っていたけれど、リクルートに入ってそれを実際にやっている企業の凄さを実感した。とにかく集められる情報はすべて集積しておき、日々のクライアントへの提案から営業部全体の戦略、未来の事業創造までデータを元にして行われていた。

チームに1台しかコンピュータがないのに、そのコンピュータのなかに1980年代からの新築マンションの物件データと販売状況が入っていて、簡単にデータを取り出せて分析できるシステムが備えられていた。

当時これらのことを実行できていた事業会社は、他にあまりなかったのではないかと思う。本当の意味で「情報産業」を体感して、感動した


営業アシスタントの仕事は、チームの営業マンのサポート全般だった。基本的に「営業マンは売ること以外するな」という方針で(この姿勢にも感動したものだった。事業を支えている一番大事な機能は営業であると会社全体で表明していた)、企画書のためのデータ出しや申込書のやり取り、広告誌面の制作部への依頼やクライアントからヒアリングした情報のアップデートなど、クライアントと話して仕事を決めてくる以外のことは何でもやった。

入社直後は中規模のクライアントを担当するチームに配属になり、その後業界トップのクライアントを担当するチームに組み込まれた。
そしてそこから、トップクライアントを長く担当していた営業マネジャーとがっつり仕事をすることになる。

この営業マネジャーは後にリクルートが分社化された時、そのうちの1社の社長になる人なのだが、1年半近く私の上司として指導をしてくれた。そして私のメンターというか仕事における判断基準的な存在になった。

天才で変人で、辛辣に批判するのに人をよく見て愛していて、近寄りがたいのに慕われる不思議な人だった。いまでも2人で食事に行って、私の会社のことなんかにアドバイスをしてくださる大切な存在だ。私は何かあると「彼ならこの時どう考えるかな」と思う。

通常、アシスタントは3〜4人の営業マンを担当する。彼のアシスタントになって数カ月後、私は会社で倒れた。メニエール病になったのだった。

続きます。

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