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大震災が引き起こした転機

広報という天職に出会ったときの話の続きです。

東日本大震災が起こった時、私は有給休暇をもらっていて、六本木ヒルズで「英国王のスピーチ」を観ていた。
地面がしばらく揺れたあと、映画が止まり劇場内が真っ暗になった。その状態がしばらく続き、外に出る人と残る人が半々くらいになった。

時間にしたら数分だったのだと思うけど、暗闇の中で何も情報がなく、不安がつのる。
六本木ヒルズは免震構造なのは前職の関わりで知っていたので、下手に動くよりはここに居た方が良いと判断し、じっとしていた。しかも1人で。

やがてスタッフの方が「廊下に出てください!」と入り口で案内してくれて、やっと「映画はもう再開しないんだ」とわかった。今から思えば何を考えているんだと思うが、その時はまさかあんな大事が起こっているなんて予想だにしなかったのだ。

入り口ではチケットの払い戻しの対応も始まっていて、すぐに払い戻してもらってから外に出た。
その時に、2回めの揺れが来たのだった。(確認したらたった10分程度の間に起こったことだったらしい。)

六本木ヒルズの映画館の入り口から湾岸の方面が見渡せるのだけれど、高いビルが左右にぐわんぐわん揺れていた。
その光景にショックを受け、やっと「これは大変なことが起こった」と認識できた。

家族や友人と連絡を取りながら、とにかく帰ろうとバス停に向かったけれど、一向にバスが来ない。
マップで確認したら家まで歩いて30分ちょっと。意外に近いことを初めて知って、歩き始めた。

六本木通り沿いにある店舗の中にあったテレビで、津波の様子が放送されていた。
一面グレーの海の中に家や車が浮いていて、それこそ映画のワンシーンを観ているようだった。

***

会社でもしばらく落ち着かない日々が続いた。
コロナウイルスによるロックダウン発生時も同じような感じの会社が多かったが、社会的な動きを見ながらいま自分たちにできることを探りつつ、売上をなるべく落とさないためにどうしたら良いかを考えた。

広報として初めてちゃんと取り組もうと思っていた、10周年の施策はすべて中止になった。
代わりに、各出版社等と協力して避難所で過ごす方々が少しでも気が紛れるよう、雑誌を寄付する取り組みを行った

雑誌だけで1万5000冊、ネットオフや絵本ナビとも協力し、書籍や絵本も合わせて3万冊を被災地に送った。

この取組みの中で、テレビ局の取材や雑誌の特集の流れを初めて経験することになった。
もちろん私一人の力ではなく、契約していたPR会社さんのご尽力があってのことだ。

そして、この経験から「売上に直結しない広報活動」の意義を知ることになった。
それまでマーケティング観点の広報の見方しかしていなかったので、売上に繋がらない広報活動にどんな意味があるのか、正直わかっていなかった。
この時初めて、「パブリック・リレーションズ」という言葉通りの、関係各社との繋がりを深めることで、回り回って売上に結びつくことを目の当たりにした。

社会的意義のあることを発信すれば、色んなメディアが取り上げてくれて、"雑誌といえばFujisan"のイメージがより強くなり、ふと雑誌を買おうと思った時に思い出してもらえる。
買いたいと思ってから検索するSEOでもなく、一回購入したあとのメールマーケティングでもなく、むしろそういった顧客層まで含めてもっと広くFujisanの存在を知ってもらえる
様々な経路でFujisanを知ってくれたお客様が、記事やプレスリリースを読んで、会社の姿勢やポリシーを知ることで安心して購入していただける

そんな広報の仕事に夢中になった。

それからは、社長や経営陣に「もっと広報を頑張りたい」と伝え、記者さんや他社広報さんに積極的に繋げてもらった。
誰かと知り合うとその誰かがまた他の方を紹介してくださって...と、なぜかどんどん記者・広報仲間の輪が広がって、飲み会で聞く他社の施策や記者さんの取材の話が面白くて仕方なかった。
この頃知り合った仲間はいまでも大切な友人で、皆役職が上がったり独立したりして、また違ったレイヤーの話をするような関係になっている。

しかし、広報マンとして何をしていたのかというと、ほとんど何もしていなかった、と思う。
震災の影響で出版業界全体が大打撃を受けていたので、私はマーケティングの方にリソースを割いていたのだった。

そんな風に過ごしていた2011年秋のある日、社長と話していたら「広報的な動きがしばらくできなくなる」と言われた。
Fujisanが当時力を入れていた、デジタル雑誌分野での新しい取り組みを一旦ストップして、既存のものを伸ばす戦略に変えていくということだった。
「ナホは、どうしたい?」と聞かれ、ああ、辞める時が来たんだな、と思った。


入社した時からその日まで(それは最終出勤日まで続いたのだけれど)、一日も「行きたくない」と思ったことがなかったくらい大好きな会社から離れる時なんだなと悟った。
そのくらい、私は広報の仕事がしたいと渇望していた。もっとたくさんの会社の広報業務に関わりたかったし、もっと色々な経験を積みたいと願っていた。

辞めることを決め、さてどうしよう、と考えた。
普通に転職?海外の大学でPRを学ぶ?それとも独立?

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