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ドイツ観念論の大成 ヘーゲル

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(ドイツ:1770年ー1831年)は、ナポレオンと同世代で、ナオポレオンが侵略してきたイエーナの街(独)で実際に見ている。

その時、敵国にもかかわらず、ナポレオン個人を「世界精神」と見なし、その「世界精神が馬に乗って通る」と表現しています。

ヘーゲルが理想とした「精神の頂点」をみたのでしょう。

ヘーゲルは、何といっても「弁証法」! 
これをご紹介したい。
内容は簡単です。ですので、多くの場面で問題解決手法として使われています。

ヘーゲルは、弁証法を駆使して壮大な学問体系を築き上げ、当時のプロセン(ドイツ)やヨーロッパ全体に影響を及ぼしました。

よって、その影響を受け、独自の哲学を生み出した偉大な哲学者たち、キルケゴール、ニーチェ、マルクス、フロイトらがいます。すこしだけ、それぞれに触れていきます。

ヘーゲルは、カントの「人間の心の面の自律に頼る」という考え方を批判しています。
理性や自由は現実の社会の中で法律や制度として具体的になったものであると考えました。

一人だけでは、理性も自由もつくれない、それを社会の中(実在の中)で、改良され、常によくなってきている

よって、ヘーゲルは、精神界での自分の理性や自由は、現実界での他人との関わり合いによって、成長し、それによって社会もまた発展すると考えました。

つまり、精神世界(向こう側)も、実在世界(こちら側)も、他人と関わることで、共に成長でき、現に人間社会はそうやって発展してきている、というわけです。

では、どう他人と関わって、精神も実在も高められるか?

まず、ある問題を抱えている人がいます。それを自分だけでは解決できません。
よって、誰かに相談します。相談を受けた人は、その「抱えている問題」を認識しなければなりません。

問いを捉えるということですね。

これは、前回お話した「共有」によって、理解をします。
問題を抱えている人と全く同じ問題を抱える状態になります。
この時点で、相談を受けた人は、精神世界において、問題を抱えた人と同じ状態になったわけです。

さて、相談を受けた人は、自分の知見を持って、もともと問題を抱えていた人が考え付かなかった解決方法を生み出します。
これによって、最終的に問題は解決しました。

つまり、これらのプロセスと結果によって、両人の精神が高まり、かつ実在においても社会的に高まったわけです。

それ継続的に行われることによって、人間の知性は「究極の真理」に到達できると信じていました。

人間による精神の頂点と、実存の頂点となります。
その方法が、弁証法となります。説明していきます。


ヘーゲルの「弁証法」とは、

・ある命題(テーゼ)
・それに対する矛盾、もしくは否定・反対の命題(アンチテーゼ)
・当初対立しているが、お互いに理解を深め、統合された建設的な命題(ジテーゼ)

となります。ちょっと、難しいですかね? 

例をつくってみました。

・(テーゼ)コンビニで働いていて楽しい。家からも近いし、夜勤だと時給も高いし、このまま、この仕事していたいなあ。

・(アンチテーゼ)このまま、ずっとアルバイトでいいのか? 生活していけるのか?コンビニの世界はもっと深いぞ。

・(ジテーゼ)じゃあ、コンビニの社員になる。そうすれば、生活はよくなるし、コンビニの仕事がもっとできる。(これがテーゼになる)

・(アンチテーゼ)コンビニ会社の社員になるなら、高校を出ただけでは入れないかもしれないぞ。もっと知識を高めないと。

・(ジテーゼ)よし、大学受験する。大学で、お金のこととか、経済とか勉強する。

・(アンチテーゼ)大学に入るのに、いまは学力が足りない。それでは、合格出来ないぞ。

・(テーゼ)いまから、合格できるように勉強する。大学に入るための勉強をする。

・(アンチテーゼ)どうやって、勉強するのだ。一人でやって、合格できるのか?きっと出来ないだろう。

・(テーゼ)たしかに、どうやったら合格できるのだろうか? 大学に合格させる「塾」に行く。そこで勉強する。

というわけで、コンビでのアルバイト生活から、社員となって幅広いコンビニビジネスを目指すようになり、現実的に彼自身も発展途上に乗ったわけです。

あること(命題)は、その人には気づかない矛盾や問題を抱えていることがあります。

それを他人によって、明確にしてもらいます

そうすると、その人も気付き、両者で問題について解決しようとし、より高い次元の話になるということです。

一段上がると、そこには、また矛盾や問題を抱えており、また解決しようとする。

これをずっと繰り返していくと、先述の「世界精神」に到達するわけです。

まあ、行きつくとこまでいかなくとも、かなり上っていき、人間として、また社会として発展しているので、かなり十分ですよね。

なので、この「弁証法」はすごい!あちこちで使われているわけです。


しかし、この「世界精神」とか「絶対精神」というキーワードがヨーロッパ中で波乱を生むのです。

まず、キルケゴールが否定します。

ヘーゲルの弁証法は、思考上での遊戯であって観念の産物に過ぎない。
世界がどう進歩しようとも、私にとっては、私自身の進歩がまず重要である。

そして、マルクスも否定します。
社会的進歩はOK。でも、観念だけでは実際、何も起こりえない。
「物質」が重要。具体的な何か。
それは、生産力である。
この「生産力の源:労働者」第一というのが、のちに「共産党宣言」につながるのです。ここは、次回、詳しくご紹介したいと思います。

最後に、ニーチェです。
この人の場合、次元がちょっと違っていて、完全否定です。
進歩するのがいいのか、というところから始まっています。
キルケゴールもマルクスも、進歩することは認めています。
しかし、ニーチェの場合は、進歩しないという運命を受け止めて、どう頑張っていくかにフォーカスしています。

自分自身で頑張っていくというのは、キルケゴールと同じ考えですが、キルケゴールと違うのは、ニーチェにおいては、神はいない。
神に頼らないという前提なので、もう自分しかいません。だから、頑張る!強くなって立派になりたい、そのように生きていく。

うーん、なんか日本人には響く感じがありますね。
日本は島国ということもあり、基本、その土地から動きません。
そこから逃げてもさほど変わらないからです。(大陸は広く、どこにでも移住できる)

だから、日本人は、そこで頑張る
一人でじゃ難しいこともあるので、みんなと調和して暮らす。そういうことなんでしょうね。


さて、いかがでしょうか?
ヘーゲルの弁証法。

ポイントは、問題点を明らかにするということです。
一人では明らかになっていない箇所を他人に補ってもらう。
そういうやり取りです。

問題を指摘されて、恥ずかしいことはありません。
命題の全部が、矛盾もしくは問題を抱えているのです。
それがない命題は存在しません。

あれば、すべて解決できてしまいますね。
ですので、自分が考えていることを他の人に、出来るだけ多くの人に聞いてもらい、指摘してもらいましょう。
そうして、自分自身も進歩していきましょう。

次回は、ようやく、最初にお伝えした「哲学が産んだ社会主義」に入ります。

社会主義を生んだマルクスは、ヘーゲルに感化され、ヘーゲルはカントに感化され、カントは、ロックやヒュームの経験論と、デカルトらの合理論に感化されてきた長い道のりがあるのです。そういうわけで、次回もお楽しみに!

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