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イングランド経験論の夜明け・西洋哲学の基本も。

イングランドは、なぜ、「経験論」を確立できたか?

これは、16世紀のイングランドの状態を鑑みると、よくわかります。シンプルに言うと、

「神ばかりに頼らず、自分たちで道を切り開いていく」

まず、神ばかりに頼らずでは、二つの事象があります。

まず、先述の「プロテスタント」の起こり。予定説で自分が救済されるかどうか決まっている。それならば、今しっかり働こう!自分でしっかり考え、何事にも恐れず実行していこう。の風潮が出てきました。

もう一つは、ヘンリー8世が、離婚を認めないカトリックから外れ、イングランド国教会を作りました。これにより、国王の権威が上がりました。つまり、神が絶対ではない

そして、自分たちで道を切り開いていく、にも大きな事象があります。
まずは、スペインを打ち破ったエリザベス女王による、外洋覇権
これにより、どんどん自分たちで道を切り開いていきます。そして、東インド会社を設立し、輸出業を盛んにし、大国になる成功を感じます。

自分たちでもかなり出来る!

このような背景により、自分たちで考え、実行していく素地ができてきました。
ここから自分たちで考える=哲学がまた盛り上がってくるわけですが、

ここで、一旦、西洋哲学に入る前に、

「向こう側」と「こちら側」

をベースに、西洋哲学の肝を説明いたします。

日本人が理解しにくい西洋哲学の一因として、「向こう側」の認識の薄さがあります。

まず「こちら側」は、普通に我々が実際に見える、聞こえる、感じる世界。

「向こう側」は、簡単に言いますと、見えない世界、実在しない世界。

「実在しない世界」こう言いますと、日本人の場合、幽霊や妖怪などを思い浮かべてしましますね。いわゆる「あの世」(異界)。

西洋人にとっては、「向こう側」は、まず「神域」があり、そして「精神世界」があります。

神域は、神様の領域。精神世界は、ドイツ語で「Geist ガイスト」。人間による観念の世界。五感でとらえきれない世界。

一神教(ユダヤ・キリスト・イスラム)を信じる人たちは、神前提なので、見えない世界があることを知っています。

逆に、日本人は、見える神(自然の神:神道)や仏陀(仏教)前提なので、理解しにくいかもしれません。

もしかしたら、「向こう側」を否定するニーチェやサルトルが日本人に人気なのでは、「向こう側」を気にしなくて読めるからかもしれませんね。

また、「向こう側」はないので、「こちら側」で今がんばるは、なじみがあります。こちらだけなので、周りとの調和も生きていくには必要です。そういう世界。

しかし、世界は広がり、インターネットで国境はなくなり、生きる世界が日本だけでなくなりました。

ゆえに、「向こう側」の認識と、それに基づく思考と実行が必要になってきていると感じます。

具体例を持って、西洋と東洋の考えの違いをお話します。

「じょうろ」 と 「ひしゃく」

じょうろなど、西洋の道具の作り方は、まず向こう側も含め、「真理」を見出す。

なぜ、どうして必要なのか?

そこから本質的な原則を導き、構造化する。

ゆえに、だれにでもすぐ使え、最大の効果を生み出す。最大値から逆算して作っている。

半面、ひしゃくは、こちら側で、今までのやり方(手ですくう)を進化させる。

実存するモノを使い発展させる。

ゆえに、すぐ効果は出ない。

しかし段々と効果は増し、値に限界はない。

そのため、使うための修練は必要。

日本人は、修練は好き。よって、多くの人が習得できる。箸もそう。 

さて、「向こう側」をいきなり理解するのは難しいので、まずは「こちら側」を理解していきましょう。

これは日本人にとってもなじみがあるので、理解しやすいと思います。

「イングランド経験論」とは、

個人的な経験や体験は排除し、人間が生きている現実世界(こちら側)だけで、客観的に観察や実験を行うことで、結論付ける方法論です。

フランシス・ベーコン(イギリス:1561年ー1626年)は、このイングランド経験論の流れをつくる

「帰納法」

を体系づけた人です。

「帰納法」とは、

ある事象について数多くの観察や実験の結果を集め、そこに共通する事実からから原理や法則を導き出す手法です。

現実世界(こちら側)だけで完結しますので、神が介在する余地はありませんし、個人的な体験も排除し、客観的に結論付けます。

こうした人間の知性を存分に働かせた状態をベーコンが表現した言葉が、

「知識は力なり」です。

しかし、観察や実験をしていて、個人の見解、偏見、先入観はつきものです。そういったことを排除すべく、ベーコンは、4つのイドラを使って、気を付けて正しく結論に導いてもらいたいと考えました。

・種族のイドラ: 人間という種族そのものによる偏見
・洞窟のイドラ: 個人的偏見
・市場のイドラ: 言語による偏見
・劇場のイドラ: 依拠する伝統志向による偏見

これらのイドラを排除することで、ピュアな事実だけが残り、それによって、確かな法則がつくられる、というわけです。

気を付けなければならないのは、間違った事例を入れ込んでしまうと、最終的な法則も間違ったものになってしまいます。

こちら側だけで完結する理論展開、それが経験論です。この理論をベースにイギリスでは、哲学が大きく発展していきます。

次回では、この理論を継承した「ロック」と「ヒューム」の話をしていきます。

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