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母の強さは亡くなっても健在なのがすごいと思った話




夕食後のリビングでの何気ない会話だった。

カツオのたたきを食べたことから、家族の会話は好きな刺身の話へ。

やっぱりまぐろ派ともちろんサーモン派。

うちは5人家族だから奇数になる。

まぐろ派2人、サーモン派3人。


サーモン派の息子が

「ほらやっぱりサーモンだよな。」

と嬉しそうに笑う中、末っ子が

「Kおばあちゃんまぐろ好きだったよね!」

とひらめいたように声を上げた。

「え、うん、まぐろ好きだったよー。」

「だよね!やった!Kおばあちゃんがこっちにくれば心強い!!」

と、勝利を確信したような満足気な満面の笑み。


「・・・⁉︎」

私は思わず、

「えーっと、亡くなったおばあちゃんがまぐろ好きだと心強いの?」

「うん!だっておばあちゃん強いもん!」


Kおばあちゃんは私の母であり、6年前に癌で亡くなった。

末っ子がおばあちゃんと過ごしたのは小さい頃の記憶になる。


「強いって、意志が強いってこと?」

それには近くにいた長女が答えた。

「んーそれもそうだけど、人として強い。デヴィ夫人みたい。」



は〜っ。

なるほどね。



子供達の心に「強い」印象をしっかり刻み込んだ母。

多数決で負けそうになってもおばあちゃんがいれば勝てる!という純粋な気持ち。


母はいないけど、いるんだ。

まるで母が討論に参戦するかのように話す末っ子の面白さと純粋さ。

母の、強さを印象づける生き方と存在感。

その両方に感心してしまった。



何が強いではなく

「人として強い」

って最強なんじゃないだろうか。


で、次に出てきた例えがデヴィ夫人て。

「イッテQ」は1〜2年前まで家族のお気に入りの番組だった。

家族みんなでデヴィ夫人の言動を見ていた。

出川さんや若い女の子達に、ズバッと歯に衣着せぬ物言い。

やると決めたらやる意志の強さ。

自分の道を進む姿勢。

70歳超えて、泳ぐイルカの上に立つチャレンジ。

他にもいろいろチャレンジしていたなぁ。


私はどの辺がデヴィ夫人なのか、もっと突っ込んで話を聞きたかったけど、娘はもうスマホモードに突入してそれ以上話す気はなさそうだった。


そういえば、ずいぶん前にイッテQを見ていた時、ズバズバ物を言うデヴィ夫人を見て、

「私嫌いじゃないなぁ〜。なんかカッコいいよね。」

と言っていた気がする。


きっとそんな所が母と重なっていたんだろう。



母は自分にも人にも厳しかった。

厳しいけど子供達はその優しさもしっかり感じていただろう。

実家に行くと子供達の好きなご馳走をたくさん作ってくれ、喜ぶデザートまで用意してされている。

食事の後、母は子供達が退屈しないよう気を配って声をかけたり、遊び相手を率先してやっていた。

ただ、端々に出るマナーや礼儀についての指摘、その時のキッとした目力の強さと厳しさ。

それもしっかり受け取っていたよね。


4人兄弟の長女だった母は、年の離れた弟の面倒もみながら「しっかりしなきゃ」という気持ちが強かったんだと思う。

確固たる意志や信念に基づいて行動していて、ブレない軸を持っていた。

私には身近な人であったけど、結構個性的な人だった。


厳しさも特別だったけど、いろんな場面で

「うちのお母さんは友達のお母さんとちょっと違う。」

と子供心に感じていた。



子供の頃の母は、いつも口を一文字にした力の入ったような顔をしていて隙がなかった。

甘えたり、優しく話を聞いてくれたりする存在ではない。

親の言うことは絶対であり、子供は親を敬い、従わなければいけない存在だという教育方針。

そこに、私の気持ちや意見を伝え理解してもらう余地はなかった。




でも、愛情はあったんだと思う。

厳しさのあまりにうまく伝えるのが下手だったんじゃないだろうか。


小学4年の頃、動物を飼いたかった私は母に主張してみたが、

「私は子供が好きだから。2人もかわいい子供がいるからそれで満足なのよ!」

と笑ったことがある。

普段から母の愛情を感じていない私にはその言葉は違和感があり、いや、違和感しかなく、宇宙人の言葉のようにも感じていた。

それくらい、私は母の口から出る「子供が好き」という言葉と普段の言動のギャップが気持ち悪かった。


でも、それは母の本心だったのかなと思う。



毎年誕生日や母の日には、何をあげたら喜ぶか一生懸命考えて、貯めていたお年玉を使ってプレゼントした。

でも、まず

「ありがとう。」

が言えない人なのだ。

「花束高かったでしょ。お金かけても長持ちしないのに。」

と顔をしかめる。

そのうちプレゼントはケーキと鉢の花に固定していき、兄と分担して買った。

母の文句が少ない形で落ち着かせたのだ。

「ありがとう。」は相変わらず言わないが、笑顔に喜びが溢れていた。




母は最期まで携帯電話を持たなかった。

世の中の多くの人が持ち、友達が持っていても、あれば便利と勧められても、

「私のペースが乱れる連絡がくるのは嫌。」

、、、もう、ハイとしか言いようがない。

母は我が道を行く人なのだから。



確かに母は強かった。

自分の意志をしっかり持ち、凛と輝いていた母を誇りに思う。

亡くなった後も誰かの心に生き続け、影響を与えられる存在に、

私もなってみたいと思った。









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