恩返しの気持ち

言葉にするととても軽いものに感じるし上手く言えないけれど、有難うが行動で返せる人になりたい。
言葉は当たり前に言える前提で、ちゃんと、恩返しができるようになりたいと最近凄く思うようになりました。

個人的に、人生にやり直しボタンがあったら押したくないと断言できるほど、出会いに恵まれてたくさんの人たちの愛に育まれて生きてきたと思う。
苦しいことや悲しいことがあっても背中を押してくれる人たち、迷い道に光を指して導いてくれる人たち、自分の心の扉を開けてくれる人たち、新しい世界を見せてくれる人たち、共に歩んでくれる人たち、見守ってくれれる人たち、私のことを、私よりも理解してくれる人たち。

だから、出会いの芽をずっと大切にしたいと思って、だから、その人達に誇れる自分でいたいと、期待してもらえる自分でいたいと思ったりもする。

手放したくないから。
出会いも、機会も、環境も。

そういう思いが強くなったのは、昔の頃のダンスが影響する。

人に甘えることも、頼ることも、失敗することも怖かった。大袈裟に聞こえそうだけど、ダンスや人を嫌いになることは自分にとって一番辛いことだったから。
今も人の目を気にしたり空気を読むことは得意だね、怒られないように、機嫌を悪くされないように。
緊張で体はこわばった。怖かった。
手放されないように必死だった。

だけど、そんな気持ちも、そんなダンスも手放した。
自分から手放した。
自分の気持ちに嘘をついて生きるのは、自分のことも信じられないのは、そういう自分が人を信じようとするのは、おかしいことだと思う。
心を閉じ込めようとする暗い部屋にいる小さな自分は今も私の心の中で飼っている。

でも、部屋の電気は少しずつ光るようになった。
出会った人たちが光を灯してくれたから。
こわばった身体を解いて、ダンスを楽しむ心を思い出させてくれた。
心と身体が密接に繋がっている。
人に優しくなれる。人の暖かさを感じられる。
自分にとって大切な何かが心を満たしてくれる。
心が動く。
心の動きが身体に伝導して身体の反応が心に伝導して他者との間に言葉にならない感覚が、ダンスという言語を通して注ぎ込まれる。
踊るたびに、新しい人生が始まる感じがする。
出会った人たちが全部全部与えてくれた。

だから、私は何を与えられるだろう。

という考えに戻っていくわけだ。

そんな大切な人たちが、大切にしたくなる宝物をくれるから。自分は何ができるだろう。
ダンスしかないんじゃないかな。
ダンサーとして生きるなら、自分のためのダンスだけじゃなくて、誰かのための踊りをできたらいいなと思う。
誰かと共有できる踊りになったらいいなと思う。
誰かの心に何かを与えられる踊りができたらいいなと思う。

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