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自分を苦しめていたもの②

前回に引き続き、今日も自分を苦しめていたものについて書いていきます。というわけで、タイトルは「自分を苦しめていたもの②」とさせていただいています。


ちなみに「自分を苦しめていたもの」については、こちらの内容になります😁



最近、自分を苦しめていた正体が少し見えた気がしています。その正体がサッと影を潜める前に、言葉にしておきたい。何度でも言葉にすることで、思考も変わっていきそうな気がするから。だから、素敵な考え方が見えそうな時は、何度も言葉にして、自分自身にその素敵な考えを馴染ませていきたいと思うのです。読み手側としては、少ししつこいかもしれませんが、ご了承ください(笑)




それでは、本題へ🏃‍♀️



自己否定
自己嫌悪
生きづらさ


これまでの人生で、こういった感情が長らく自分の中に存在していました。なんで自分はこんな性格なんだろうか。自分って冷たい人間だな。自分のことも好きになれないし、人間には向いていないのかなあなんて思ったり。



何かと自分を責めて否定してきてた。だから、生きづらく苦しくて。でもそれも自分自身が変わらないことには、どうにもできない問題だと思い、理想の自分になれればその苦しみから解放されると思い、自分自身と向き合ってきたつもりでありました。自己啓発本を読んで考え方を見直してみたり、自分が心地いいと感じる暮らしに整えてみたり。そうやって、なんとかしようとしてみるものの、ちょっといいかもとなるのはその時だけで、時間の経過とともに自己否定や自己嫌悪が始まり、いつもの自分になっています。ああ、きっと自分はこういうタイプの人間なんだとちょっとした諦めモードに。


そんな自分を苦しめる正体が少し見えたのが最近です。



自分を苦しめていた正体


その正体とは、

「善悪の判断」

です。人間は、無意識でいい悪いの判断をしています。この人の服装いいな、この人のこういう行動は良くない、といった感じで、いい悪いの判断を行っています。これは自分自身に対しても。


そもそも、いい悪いという判断は自分が決めたものであって、実際のところはいいも悪いもないんです。なぜなら、誰かにとってはいいと感じるものも、他の誰かにとっては良くないと感じることがあります。この国ではいいとされていることも、他の国へ行けば良くないことだってあります。日本では協調性が求められるけど、アメリカでは個人の意見が求められるとか。人、場所、状況などによって、いい悪いは異なります。


いい悪いという判断は「思い込み」とも言えます。これが私を苦しめてきた正体。どう私を苦しめていたかと言うと、自分のことを良くないと思い込んでいたんですね。


人に優しくできない自分
不機嫌になってしまう自分
自分のことしか考えていない自分
内向的な自分


これらの自分は良くないものだと思ってきて、自己否定をしてきたわけです。結局は、これも自分が勝手にいい悪いを判断しているだけでなんですよね。


人には優しくするべき
機嫌よくいるべき
周りのことを考えるべき
外交的でいるべき


裏を返せばそこには「〜すべき」という思い込みがあるのがわかります。〜すべき思考の恐ろしいところは、そうでない自分を否定し排除しようとするところです。


人に優しくできない自分
機嫌が悪い自分
自分のことばかり考える自分
内向的な自分


こんな自分もいると受け入れてあげること。でも、私は、理想の自分以外は排除していました。理想以外の自分のことは否定していました。完璧人間にでもなるつもりだったのでしょうか。




できない自分を受け入れてあげる

これが自分の苦しみからの第一ステップかもしれません。できない自分を突き放すのではなく、できない自分の隣にちょこんと座ってあげて、寄り添う。そんなイメージを持つと、今まで好きじゃなかった自分も悪くないかも、今の自分も十分素敵かもと思えるから、言葉というか考え方の影響力ってすごいなと思います。



「普通」も思い込み

今までは、世間一般で言われる「普通」にしがみついていました。


社交的でフレンドリーであるべき
自分から話しかけるべき
気を遣うべき
30歳までには結婚するべき


普通(大多数側)でいることが、自分にとっても良いものだと思い込んできました。そこに近づければ、世間とも馴染めるのかもしれないと。でも、本当にそうなのかってことです。たしかに、世間が求めるものに合わせて、大多数側にいれば周りもそうなんだしと、安心感はあるのかもしれません。でも、そこじゃないと思うんですよね。


世間(普通)に合わせたところで自分の苦しさからは解放されない。

逆にそれは自分自身を閉じ込めることになるので、もっと苦しさを抱えることになるんじゃないかと思います。


今日の結論に立ち帰ります。私を苦しめていたのは、善悪の判断・思い込みです。大多数側にいるからといって、その人たち全員が幸せなのかと言うとそうじゃないと思います。少人数側にいるからといって、その人たちみんなが苦しさを感じているかと考えてもそうじゃないと思います。


仕事だって、正社員で働く人が大多数側です。でも、正社員で働いている人がみんな幸せそうかと考えるとそうではないことがわかります。一方で、フリーランスやフリーターとして働く人たちは少数派です。そういう人たちがみんな苦しさを感じているかと考えてもそうじゃない人はたくさんいます。アルバイトと副業をして、自分のやりたいことをして幸せに生きている人だってたくさんいます。


40歳以上になると、結婚している人が大多数派です。それもどうでしょうか。結婚しているから幸せ、結婚していないから幸せじゃない。そんなことはないはずです。結婚していても幸せじゃない人もいるだろうし、独身でも自由に楽しく幸せに過ごしている人だってたくさんいます。


それでも私たちは、大多数側でいることの方がいいと思いがちです。でもやっぱり、いいか悪いなんて自分の勝手な判断であり、思い込みでしかないんです。



それよりも大事なのは、

自分がいいと思えるかどうか

ってことだと思います。


悪くないかも
ちょっといいかも
なんかいい感じ
好きだな
心地いいな


そんな感覚を生きていく中で探していくことなんじゃないかなと。そして、それは自分自身に対しても同じです。私は今まで理想の自分ばかりを追いかけて、理想の自分がいいと思い込んできました。理想でない今の自分は悪だと思い込んできました。でも、それは自分の思い込みだったと気づきました。それに気づくと、今の自分も悪くないかも、こうやって自分の内面に目を向けて自分と向き合える自分って素敵かも、なんて思えてきます。前までは、普通に縛られていたから、こういう内向的な自分は少数派=普通じゃないとかって勝手に判断して、否定してきました。でも、今はこんな自分のことを素敵かもと思えます。


いいも悪いも存在していなくて、いい悪いはそれぞれが判断しているもの。だったら、自分がいいと感じるものを見つけて自分を愛していこうと思います😁






最後まで読んでいただきありがとうございます!いつか書くを仕事にできたらいいなと思っています。応援いただけるとすごく嬉しいです✌️