NAGAYAMA TEPPEI

九州プロレス所属。広報・興行部 フリーテレビディレクターから九州プロレスのフロントに転…

NAGAYAMA TEPPEI

九州プロレス所属。広報・興行部 フリーテレビディレクターから九州プロレスのフロントに転職して3年目。 映像の専門学校の講師も務めておりました。

記事一覧

本番1分前に気絶した話

お昼の帯番組ADをしている時の話をひとつ。 ADになって1年経ったくらいだったか スタジオ業務の次のステップへ、ということで 生中継ADの業務をすることとなった。 詳し…

NAGAYAMA TEPPEI
9か月前
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テレビマンになるまで vol.4

何の仕事をするにも、結局は人だ。 1人では、何も生み出せないし誰かと関わらないといけない。 そういう意味で言うと厄介なのは「派閥」「グループ」が存在するというこ…

NAGAYAMA TEPPEI
9か月前
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テレビマンになるまで vol.3

テレビマンになりたいのであれば大きく分けて3種類に分けられる 1、テレビ局に就職 2、制作会社に就職 3、フリーランス それぞれメリット・デメリットはあるのだが……

NAGAYAMA TEPPEI
9か月前
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テレビマンになるまで vol.2

専門学校に入る資金を貯めるため、バイトをして3年。 21歳の時である。 専門学校九州ビジュアルアーツ の音響学科 音楽ビジネス専攻に入学(今はマスコミ・出版学科になっ…

NAGAYAMA TEPPEI
9か月前
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テレビマンになるまで vol.1

今どきテレビマンになりたい人はいるのか? そんなことを言われるのも当然だろう。 実際、テレビがモニター化している人が今はほとんどではないだろうか。 だが、去年ま…

NAGAYAMA TEPPEI
9か月前
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本番1分前に気絶した話

本番1分前に気絶した話

お昼の帯番組ADをしている時の話をひとつ。

ADになって1年経ったくらいだったか
スタジオ業務の次のステップへ、ということで
生中継ADの業務をすることとなった。

詳しくはまた別の機会に書くとして…

毎週恒例の温泉中継というものがあった。
3時間の生中継の中で、2箇所の温泉地を訪れて中継をするというものだ。

準備、打ち合わせ、本番ととても慌ただしく
気がついたら放送開始という感覚さえあった

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テレビマンになるまで vol.4

テレビマンになるまで vol.4

何の仕事をするにも、結局は人だ。

1人では、何も生み出せないし誰かと関わらないといけない。

そういう意味で言うと厄介なのは「派閥」「グループ」が存在するということだった。

こっちを立てればあっちが立たず。
こっちに気に入られれば、あっちで嫌われる。
地方の狭いコミュニティーの中では、この攻防が頻繁に行われていた。

それは、ADの中でも発生していて、とにかく人間関係に疲れる日々であった。

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テレビマンになるまで vol.3

テレビマンになるまで vol.3

テレビマンになりたいのであれば大きく分けて3種類に分けられる

1、テレビ局に就職
2、制作会社に就職
3、フリーランス

それぞれメリット・デメリットはあるのだが…
詳しくは、また違う機会に書いていきたいと思っている。

私がテレビ業界に入った入口は、1と2の中間。
テレビ局の子会社への就職だった。
就職といっても、派遣ではあったのだが(これが3年後いろんな問題を生んでくる)説明を聞いていると何

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テレビマンになるまで vol.2

テレビマンになるまで vol.2

専門学校に入る資金を貯めるため、バイトをして3年。
21歳の時である。

専門学校九州ビジュアルアーツ の音響学科
音楽ビジネス専攻に入学(今はマスコミ・出版学科になっているようだ)

ラジオディレクターを目指して入学したものの
蓋を開けてみれば、レコード会社・イベンター・芸能マネージャーを育成するようなカリキュラムだった。
思っていたのとは違う…

しかし、やれば楽しいもので…
というか高い入学

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テレビマンになるまで vol.1

テレビマンになるまで vol.1

今どきテレビマンになりたい人はいるのか?

そんなことを言われるのも当然だろう。
実際、テレビがモニター化している人が今はほとんどではないだろうか。

だが、去年まで勤めていた映像専門学校の学生(18〜20歳)のほとんどが
YouTuberや映像ディレクター志望ではなく、テレビマン志望だった。
まだ火は消えていなかった。

そんな学生がふと、この記事を読むかもしれない。
その時のために自分の経験し

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