NAGAYAMA TEPPEI

九州プロレス所属。広報・興行部 フリーテレビディレクターから九州プロレスのフロントに転…

NAGAYAMA TEPPEI

九州プロレス所属。広報・興行部 フリーテレビディレクターから九州プロレスのフロントに転職して3年目。 映像の専門学校の講師も務めておりました。

最近の記事

本番1分前に気絶した話

お昼の帯番組ADをしている時の話をひとつ。 ADになって1年経ったくらいだったか スタジオ業務の次のステップへ、ということで 生中継ADの業務をすることとなった。 詳しくはまた別の機会に書くとして… 毎週恒例の温泉中継というものがあった。 3時間の生中継の中で、2箇所の温泉地を訪れて中継をするというものだ。 準備、打ち合わせ、本番ととても慌ただしく 気がついたら放送開始という感覚さえあった。 温泉中継のタイミングは、3時間の中に数回。 番組タイトルが出る、生放送の

    • テレビマンになるまで vol.4

      何の仕事をするにも、結局は人だ。 1人では、何も生み出せないし誰かと関わらないといけない。 そういう意味で言うと厄介なのは「派閥」「グループ」が存在するということだった。 こっちを立てればあっちが立たず。 こっちに気に入られれば、あっちで嫌われる。 地方の狭いコミュニティーの中では、この攻防が頻繁に行われていた。 それは、ADの中でも発生していて、とにかく人間関係に疲れる日々であった。 休みもない激務を乗り越えても、これが原因で辞めている人、かなりいるんじゃなかろう

      • テレビマンになるまで vol.3

        テレビマンになりたいのであれば大きく分けて3種類に分けられる 1、テレビ局に就職 2、制作会社に就職 3、フリーランス それぞれメリット・デメリットはあるのだが… 詳しくは、また違う機会に書いていきたいと思っている。 私がテレビ業界に入った入口は、1と2の中間。 テレビ局の子会社への就職だった。 就職といっても、派遣ではあったのだが(これが3年後いろんな問題を生んでくる)説明を聞いていると何より楽しそうだった。 面接の中でやりたい!という意志を熱心に伝えるほど魅力的であ

        • テレビマンになるまで vol.2

          専門学校に入る資金を貯めるため、バイトをして3年。 21歳の時である。 専門学校九州ビジュアルアーツ の音響学科 音楽ビジネス専攻に入学(今はマスコミ・出版学科になっているようだ) ラジオディレクターを目指して入学したものの 蓋を開けてみれば、レコード会社・イベンター・芸能マネージャーを育成するようなカリキュラムだった。 思っていたのとは違う… しかし、やれば楽しいもので… というか高い入学金、授業料を払っている時点でその中で頑張るしかない 何か学んで卒業してやる!とい

        本番1分前に気絶した話

          テレビマンになるまで vol.1

          今どきテレビマンになりたい人はいるのか? そんなことを言われるのも当然だろう。 実際、テレビがモニター化している人が今はほとんどではないだろうか。 だが、去年まで勤めていた映像専門学校の学生(18〜20歳)のほとんどが YouTuberや映像ディレクター志望ではなく、テレビマン志望だった。 まだ火は消えていなかった。 そんな学生がふと、この記事を読むかもしれない。 その時のために自分の経験したこと・感じたこと・やっておいた方が良かったと思うことを残しておこうと思う。

          テレビマンになるまで vol.1