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プロセスエコノミーの履修条件

昨日のnoteから一夜、取り上げたイベントの運営メンバーとLINEで話をし、バイトをして今に至る。

引き続きクラウドファンディングはされているので是非支援のご検討のほど、よろしくお願いします。

さて、昨日の記事でも触れていた「プロセスエコノミー」の概念について先輩からどんなものなのか聞かれることがあったので少し考えてみた。

ざっくり言うなれば、過程を売るという考え方になる。

今は流行っているのかよく分からないけど、NiziUとかがそれになる。

女の子たちがアイドルを目指す過程を切り取り第三者の枠を超えてもはや彼女たちの親のような目線としてコンテンツを楽しむのがそれだろう。

身近なプロセスエコノミー

身近な例はどこにあるのかと考えると、文化祭が浮かんだ。

学祭の思い出って、よく考えたら当日よりも準備日の方が多い気がする。

学祭の実行委員をしていた当時、学祭本番の日は運営や謝罪に駆け回っていた記憶しかない。歩数計を見直したら14キロ歩いて60階分階段を使っていたのが出てきた。

めちゃくちゃ苦しかったししんどかったし疲れた記憶しかないけど、確かに楽しかったし数年後に同窓会でも開かれたら間違いなく学祭は話題になるだろう。

記憶や過程が財産となりつつある現在、プロセスエコノミーが一般的になっていくなかで、これを楽しむにはきっと学祭を楽しんでいなければいけない気がしている。

誰かと協力をして何かを達成し、その時間を共にする。それの発展型が昨日のような企画なのかもしれない。そう考えれば3000円の働く権利だってそれなりにエンタメ的な商品として考えられる気もしなくもない。

そんなことを考えてこうやって打ち込んでいるけど、よく考えればプラモデルとか料理とかも過程込みで楽しんでいるのだからプロセスエコノミーじゃないか。

では、料理をすることとイベントを一から企画して成功させることを目指すこと、これらは何が違うのか。

多分どっちでもいいしそういった過程そのものに価値を見出しているのが「プロセスエコノミー」ではないだろうかと考えた。

結果vs過程の不毛な戦い

そうであったとしても、社会的に求められていることは結果だ。

テストを受けるまでにどれだけ勉強したかを報告しても、点数が赤点ならそれは不可だしその評価は覆ることはない。

就職であっても不採用ならそれまでで、例え発展途上国に学校を建てようとバイトリーダーをやろうとオンラインサロンに入ってイベントを成功させようと無意味だ。

そして不都合なことにどんなことであっても過程が結果の足を引っ張ることは少なくはない。

となると、このプロセスエコノミーの考え方やそれを適用するものとしてはCtoCではなく、BtoB、あるいはBtoCの場合しか使われないのかもしれない。

経験や過程を商品とする。それは狭いコミュニティのヒトとヒトの間で成立するかと言われると微妙であり、何かしらの商品として展開する場合に適用されるのではないか。そう考えた。

誰かのために何かをするのはあくまでも「動機」であり、「過程」とは言えないだろう。

仮にこの仮説がそうであるのなら、しつこいけれど何度も取り上げる「3000円の働く権利」や「差し入れをする権利」だってプロセスエコノミーなのかもしれない。

そうか、自分が度々取り上げるあのコミュニティはこのプロセスエコノミーを一般社会的な資本主義から逸脱しているから世間的に浮いているのか。

ホリエモン万博とかも設営に時間かけるし多分そのイベントが作り上げられる瞬間の共有をするためにファンやサロンメンバーは「働く権利」を買っているのか。

時代があのコミュニティに追いついていない。それなら合点がいく。

いずれにせよショービジネスやエンタメビジネスをするのにある程度の業務をボランティアで賄おうとする姿勢には理解はできても共感できないのはあるけど、納得はいった。

プロセスエコノミーのこれからと共感の成れの果て

何かを決断する、体験をする、そういった瞬間をマネジメントしてパッケージ化することがビジネスとして成立するのであれば、いずれオンラインサロンではなくムラ社会が特定の場所で構築されるのもそう遅くはないのかも。

他人たちが一つの教義に従いコミュニティを形成し、家族に似た空間を愛する自治区へとしていく。

もちろん通貨は円ではなくなるだろう。もしかすると元首のみの政治体制へ移り変わるのかもしれない。

そのうち同じ宗派の人たちから子供が産まれ、その宗教の申し子のように育て上げられ、また次代へと歴史は紡がれる。

これぞ究極のプロセスエコノミーではなかろうか。

自分は見てみたい。この無宗教であることが許される国で、一つの依代を見つけた人たちが作り出す幻想郷を。寄る辺なき人たちが自分は特別であると盲信する狂気の国を。

きっと大きな煙突からの煙には何かしらからの解放に沸く歓喜の声が乗って流れてくるはず。

そんな将来がやってくるのを、密かに楽しみにしている。

度々自治区だとか独立だとかの概念が浮上するけどインフラとかどうするんでしょうね。昔女だけの国を!とか叫ぶフェミニストの方がいたけど、どう頑張っても文字通りのマンパワーを放棄したら生活が詰むでしょ。

そんなわけで今日もぎりぎりの投稿でした。

ではまた明日。明日は怒涛の1-4限授業にバイト。ちょっと解脱の仕方をググってから寝ます。

おやすみなさい。

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