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私のおもい1【発達障害の改善】を伝え続ける私の不登校と自閉症の子どもとの出会い


『発達障害 しあわせへの道しるべ』のブログは、
おかげさまで120万アクセスを超えることができました。

2019年の終わりを区切りとしてブログはお休みし、
来年は、新たなコンテンツを制作したり、
日本中を回って、多くの人に思いを伝えたいと考えています。

私が、どうしても伝えたい『おもい』とは何か?

始めに書くべきであった言葉を、終わりに書かせていただきます。

私の望みは、何かというお話です。


発達障害と呼ばれる子ども達、
その親御さん
先生方、

発達障害と呼ばれる大人の方、
その周りにいる方、

そういう方で、もしも今、苦しんでいる方がおられたら
なにかお手伝いをしたい。

一人でも多くの人にしあわせになって欲しい。
と、いうことです。


私は高校時代から、
母が開いていた自閉症の子どものための絵画教室に、
よく手伝いに行っていました。

あるとき、
6才ぐらいの一人の男の子の補助について欲しいと頼まれました。

その子は、ずっと洗面所で水を見ているだけで、
そこから動いたことは一度もないと、いうのです。

母の言うとおり、その子は、ずっと水道の水を流して見ていました。
私も後ろから水を見ていました。

そしてしばらくすると、振り返って、じっと私の目を見たのです。
それで、
『絵を描こうか?』

と、誘うと聞き入れてくれたので、
一緒に教室に入りって画板に向かいました。

真っ赤ないちごの絵を描きました。

緑のヘタの部分が難しかったようで、
私の手を持って描くように促されました。

それで一緒に描いたのです。

道具を洗うのも、一緒にしました。


私にとっては、ただそれだけのことだったのですが、
母と他の先生の驚きようが普通ではありませんでした。

多くの自閉症の子ども達を見てきた母や他の先生方が、
どのような働きかけを試みても、
その子は決して水場からは動かなかったというのです。

私は、その時、
ひょっとしたら、そのような子ども達のために、
自分にも何かできることがあるのかもしれないと思ったのです。


私は、その時、高校に行けずにとても苦しんでいました。

今のように、学校に行かないことが認められたり、
他の居場所があったりする時代ではなかったのです。

回りには、そのような人は一人もいなかったので、
自分が本当に駄目な人間なんだと、
ただただ消えてなくなりたいと思っていました。

でも、もしも、そんな私でも、
コミュニケーションが少し難しい子ども達と、
分かり合える方法を見つけられたら、

そして、何か助けになる方法を見つけられたら、

自分が生きている意味も、少しはあるのかも知れないと思ったのです。

そして美術系の大学を卒業して、美術教師となり、
特別支援学校の勤務を希望しました。

それから30年間、公立の支援学校で美術教師をしていました。


いつか、きっとこの問いの答えを見つけたいと思い続けていました。
でも、それは、やはり易しいことではなかったのです。

(『私の思い2』へつづく)

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