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人生

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ながめいづきの人生。毎日の鬱備忘録を生み出す思考回路の原体験。どうしてひねくれてしまったのか、その謎が徐々に紐解かれていく。
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100:不倫・夜逃げ|人生#005

100:不倫・夜逃げ|人生#005

・前回

・14歳の誕生日を迎える1週間前、僕の人生は暗転した。

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・サッカー部の活動の中で大怪我をし、サッカーに対する情熱は消え失せたものの、まぁ急に環境を変えてもな…と思い部活動は何となく続けていた。
・骨折が完治した後、ピアノも再開した。

・中学2年生にあがったことで、嫌いだった先輩たちは卒業し、可愛い後輩もできたので、いろいろ思うところはあれどそれまで通りの生活を続けてはいた。

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090:怪我|人生#004

090:怪我|人生#004

・前回

・11歳~14歳にかけて、大きな怪我を何度かし、生活の仕方が少し変わった。

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・5歳から始めたサッカーもなんだかんだ続けていた。
・住まいを福岡県柳川市から北九州市へ移した時も、サッカークラブを変え、週3~4くらいでそのサッカークラブに通うようになった。

・サッカーを長く続けていて、サッカー自体は好きだったが、チームスポーツは嫌いなままだった。
・中学校に上がってから市の選抜

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080:初恋|人生#003

080:初恋|人生#003

・前回

・小学3年生の3学期、父の都合で僕は福岡県柳川市から北九州市へ引っ越した。
・それに伴い、転校した。あやめが周辺に綺麗に咲き誇っている、比較的新しい小学校だった。

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・通っているピアノ教室も変えなければいけないということで、もっと本格的になる良い機会だからと、推薦を受け少しだけ名のあるピアニストに弟子入りした。
・最初に通い始める前、課題のような形で「子犬のワルツ」の楽譜を渡さ

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070:小学生前半|人生#002

070:小学生前半|人生#002

・前回

・小学校低学年の頃は自我があまりなかった。

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・校庭に藤棚があり、春にはクマバチが大量発生する小学校に入学した。
・僕が通っていた幼稚園の人たちの多くは校区がそこそこ離れていたからか別の小学校に行ったみたいで、卒園時にはいろいろな人とお別れをし入学時には大半の人と初めましてをした。
・初めての登校は5つ離れたその頃小学6年生だった兄と一緒だった気がするが、あまり覚えていない。

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060:幼少期|人生#001

060:幼少期|人生#001

・前回

・物心がついた頃にはピアノを弾くことは当たり前だった。

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・僕は福岡県飯塚市という、麻生太郎の出身地として名前が上がらなくもないような、治安の悪い場所で生まれたらしい。
・らしいというのも、生後半年で福岡県の柳川市という北原白秋の出身地であることや川下りで有名な地に引っ越したので、僕の記憶は柳川市から始まっている。
・父が福岡銀行という地銀に勤めていたので、福岡県内での引っ越し

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