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幸せなんて人それぞれなのは百も承知だけど

普通の幸せも案外悪くないな、って最近思います。

若い時は「何かを成し遂げよう」みたいな意識がとても強くて、というかそういう人にならなければ生きている価値がないんじゃないか、と思っている節があって、いろんなことを軽んじて来た部分があります。
それで何人か大切な人が離れていっただろうし、時間やお金を費やしてしまったと反省もしています。

「幸せと感じる基準」みたいなものが、他の人と少し違うんじゃないか、と自認していて、どういう風に生きて行けばいいのかと悩むことが結構ありました。
その中で「何かを成し遂げて特別な存在になることが幸せの一つの条件」のような気がしていたのかも知れません。

それと同時に、好きになる相手に関しても他の人とは違う「特別感」を求めていて、(「この人を理解できるのは自分だけ」という呪いにもかかっていたので)いわゆるモテるとかイイ人よりも、どこか特徴的な部分のある人を好きになっていました。

そうなると、お付き合いする上での苦労もちょっと独特なんですよね、価値観がぶっ飛んでるので。
「俺は人間に優しくするのは合理的じゃないと思う、それがたとえ彼女に対してであっても」
なんて言われたり
「ごめんけど裁判に巻き込まれたからちょっと100万貸してくれん?」
みたいなこともありました。

しかも、癖の強い人とお付き合いすると、その人と別れた後もそのインパクトがなかなか消えないので、より癖の強い相手を求めてしまったりするんですよね。
耐性ができてしまっているから、もっと強い刺激が欲しくなる、みたいな感じでしょうか。

「この、癖が強い人地獄から抜け出さないと、私、幸せになんか、なれない、かも……」
と瀕死の頭で考えつつも、かなりの期間、抜け出せずにいました。

そしてイタいことに、依存体質なんですよね、私。
ちょっと乱暴な言い方をすると、男の人がいないと生きている気がしないんです。
重いウザいと逃げられた経験も、もちろんございます。
(中島みゆきの『わかれうた』が脳内再生されます)

でも、思い返してみると、そもそも「普通の幸せ」自体を体験してないんですよね。
(幼少期からの家庭環境も含め)
知らないのに、なんだか自分が特別な存在であるかのように気取っていて、なんならちょっとそういう人たちを軽蔑しちゃったりなんかして、年ばかり重ねて変な男に貢いで、お前どうしたよ!? と。

そう思ったのは結婚した後でした。
旦那には何か大きなことを期待して結婚したというよりも、「たぶんこの人と結婚するべきなんだろうな」みたいな感じで入籍してしまったんですが、とてもラッキーだなと感じることが多いです。

旦那そのものは普通とは言い難いところもあるのですが、一緒の生活というのが普通に幸せなんですよね。
仕事から帰って来て、一緒にご飯を食べて、テレビを見ながらダラダラして、コーヒー飲んで、お風呂に入って、寝る前にYouTubeみて、「そろそろ寝ないとやばいのに眠れないかも」なんて言いながら5秒後には寝息を立てている旦那が横にいて、お布団があったかい。
そんなの普通じゃないよと言われるかもしれないけど、私が今まで経験した中では限りなく普通に近いことだし、幸せ以外の何物でもないなと思うわけです。

若い頃にイメージしていた幸せの形とはちょっと違うような気もするけれど、悪くない。
34歳になって、何も成し遂げていなくて、特別じゃない毎日だけど、全然悪くないじゃないか。
たぶん旦那も同じように、普通に過ごす毎日のことを幸せに感じて大切にしてくれるので、そういう部分が一致する相手と一緒になれて本当にラッキーだったな、と思います。

それに気づいてから、旦那にそのことを話したのですが、
「今まで変な人と付き合って苦労してきたからこそ、普通が幸せに感じるんじゃない? 今までの彼氏に感謝しないとね」
と言われました。

旦那はどこの山で修行を積んできたのか。
そろそろ帰ってくるころなので、鍋の準備でもして待つことにします。
(YES 手抜き!)

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