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作品と人間性は切り離して考えるべきなのか

これはまだ自分の中で結論が出ていない話なのですが、書き始めました。
悪いことをした人の作った作品はダメなのか、という話です。

槇原敬之さんが逮捕というニュースを見て、なんだかとても悲しい気持ちになりました。
今後、おそらくテレビで見ることは0に近くなるだろうし、曲が放送されることもほとんどなくなるでしょう。
ダウンロードとか、そういうのはどうなるんでしょうね、わからないですが、とにかく槇原さんの作った作品に触れる機会は少なくなっていくのだと思います。

もちろん覚せい剤は犯罪ですし、絶対にダメだということはわかっています。
でも、ちょっと前にあった不倫騒動の時とは全然違う感情になりました。
どちらも”約束を守れない”という点では一緒なのに、不倫の方は「不快」と思って薬物の方は「残念」に思ったんですよね。
なんだか自分の中で矛盾しているようにも思いました。

むしろ不倫よりも薬物の方が罪としては重いはずなのに、なんでだろうって。
今日はもう夕方からずっとそればかり考えていて、あくまでもこれは仮説なんですが「その行為で傷ついた人が目に見えるかどうか」なんじゃないかな、と思いました。

ちょっと不倫の話をします。
前にも書きましたが、基本的にそこの家庭内の話なので、外野がとやかくいうものではないのですが、(間接的にも)不倫に加担するようなことはしたくないから、その人の出ているものを見たりするのは嫌かな、という感覚です。
これって、実際に傷ついているであろう奥さんの顔を知っているほど、より強い嫌悪感になるんじゃないかと思うんです。
芸能人同士の夫婦ではなく、一般の方と結婚している人だったらと考えて、いろいろと過去の事例を遡ってみたのですが、私の中でも「この人は不快」「この人はそうでもない」みたいな違いがあって、なんとなくそれが「相手をよく知っているか」が指標になっている気がしたんです。
(もちろん画面上でのことですが)
顔も知らない一般の人よりも、知っている芸能人の方が、そしてさらに身近にいる友人だったら尚のこと感情移入してしまうので、不快感が強くなるんだと思うんです、仮説でしかないですけど。

では薬物はどうなのか、と考えたのですが、やっぱり傷つく人はたくさんいると思います。
家族だったり、活動を応援してくれている人だったり、スポンサーになっている人なんかは「裏切られた」という気持ちが強いんじゃないかと思うんです。
でもその人たちのことを、残念ながら私はよく知らない
そういう人がいるであろう、ということは想像に難くないのですが、それよりももっと強烈に「作品の素晴らしさ」が脳内に染み付いているんですよね。
だから、その人の人間性みたいな部分に対する感情よりも、作品に対する感情の方が優先されたんだと思います。
あくまでも私の感覚ですが。

槇原さんは2回目の逮捕ですし、いつからどのくらい使っていたのか、なんかはもう本人しかわからないことだと思うのですが、でもそうやって作ってきた作品がとても多くの人の支えになっていたのは確かです。
人を勇気付けたり幸せにしたりしてきたという事実と、犯してしまった罪とを天秤にかけることはできませんが、だからといって前者をなかったことにはできないと思っています。
それは逆もまた同じことですね。
なんだか本当に残念すぎて、同じところでグルグルと考え込んでしまいます。

私なんかと比べたら申し訳ないのですが、やっぱり何かを生み出す時って”起爆剤”が必要なことが多いです。
それはコーヒーを飲むことだったり、映画を見ることだったり、ライブに行くことだったり、その人によって、状況によっても様々だと思います。
ただそれを薬物に頼ってしまうのは、やっぱりダメなんでしょうね。
自分の何かを打ち破るために必要だったとしても、それをヨシとすることは、できないんですよね。
きっとそんなものはなくたって、人の心に届く歌をたくさん生み出せる人だったと思うし、作ったものが「薬物のおかげでできたもの」なんては思いたくないからこそ、今回の逮捕はとても残念でなりません。

でも、考え方によっては、これで良かったのかも。
逮捕されなかったら、ずっと使い続けていたかもしれないし、そうしたらもっと精神も肉体も蝕まれていってしまったかもしれません。
それならば、ストップをかける人が必要だった、未来のために。
これからまた治療をして、罪を償って、復帰する、というのは難しいかもしれないけれど、正直なところ戻ってきても戻ってこなくても、いいんじゃないかと思うんです。
もう十分、素晴らしい作品をこの世に生み出して残してくれたと思うんです。
新しいものを生み出す時に、プレッシャーに苦しんだり、起爆剤として薬物が欲しくなったりするくらいなら、もう自分自身をいたわるために今後の人生を使ってもいいんじゃないか、と私は思います。
もちろん、戻ってくる場所があった方が励みになるならば、それはあってもいいことだと思うけど。

やっぱり結論は出ませんでしたね。
いや、ダメなものはダメ、という意味では、初めから決まっていました。
長々と書いたのに、すみません。
Twitterを見ていると、槇原さんの作品を皮肉るような言葉が並んでいて、それにもちょっと悲しい気持ちになります。
今日はとりあえず、『遠く遠く』を聴きたいな、と思っているところです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!