蘇る小学校時代・・・友情とイジメの狭間

数日前のこと。
とても達筆で、直筆かつ巻紙という、イマドキ珍しい手紙が届いた。
それは、今、東京で歌舞伎役者としてがんばっている、小学校時代の同級生から届いた手紙だった。


・小学校時代の同級生たち


今も地元の京都に残っていて、実家の跡継ぎとなった世代の同級生たち。
特に男の子たちは…… 男の子と、ついつい言ってしまうが、もうみんな、アラフィフのいい年頃になった、オッサンたちだ 笑

それはさておき 笑
さすがに、地元が京都の祇園というだけあって、名家の名士が多い。その男の子たちが、この半年くらいの間に次々にLINEや、実際に会うなどして、繋がり始めていたらしい。

その中の1人が、私が帰省していた時に、偶然…… 本当に偶然、街で出会った。私は全く気づいておらず、彼が声をかけてくれて気がついたほどだ。
そもそも、私、知り合いと街ですれ違っていても、なぜか、ほとんど気づかない 笑 大体、声をかけられて、Σ(゚◇゚)!! ハッ! となるタイプなのだ。

その彼が、届けてくれた手紙には「卒業時に埋めたタイムカプセルを掘りだそうという計画が動き始めた」と書かれていた。既に先日、何名かが集まって、埋まっている場所を探しに、スコップを持っていったらしいのだが……
結局見つからず、行方不明とのこと!! Σ(゚◇゚)ガーン!! どゆことっ!?笑


・次々繋がっていくこと


スゴい時代になったなぁと、つくづく思う。
卒業以来、ほぼ40年近く連絡が途絶えてた面々が、ネットの力もあって、次々と繋がっていくの。初日2日目だけで、10数名と繋がることができた。

私の世代は、第2次ベビーブーム世代、とは言われていたものの、小学校のクラスは2クラスしかなかった。そして1クラス25~26人という小規模さ。なのに、地域的なこともあったのか、将来は旧家の旦那衆や、老舗の女将という道が、既に決まってしまっている子供たちが多かったような気がする。

2クラスで、60人もいない学年だった。当然、クラスの壁を飛び越えて、みんな仲良しになる。けれど、一度イジメが始まると、それはどこまでも広がって、壮絶なモノになってしまう一面もあった。閉鎖的空間、閉鎖的関係が生み出す、人間の悲しい性とでもいえばいいのか……


・いじめられっ子でした!!


そう。私は「出る杭は打たれる」タイプのいじめられっ子だった。京都の女は、性根がイヤらしいねん!!笑 それはもう壮絶だったなぁ 笑

ホントにくだらない、ほん~っとに些細なことを妬んだ、1人の女の子が発端だった。まぁそんなもんだよね、はじまりなんてさ。

詳細は忘れてしまったけど、私は彼女に対して、彼女が気に入らないことを何かしてしまったらしい。その直後、誠心誠意、謝罪したつもりだったのだけど、私に素直に謝られてしまって、更にそれが彼女をイライラさせてしまったらしい。 

……どないせーっちゅーねんっ!! と、今なら叫ぶだろうな 笑

それが、4年生の頃の話。
学年が変わる頃には、隣のクラスの女子にまで、イジメの通達が広がったとかで、学年全ての女の子が、私を無視するようになっていた。
スゴいよね、こーゆーときの、女の子の団結力って!! (*゚∀゚*)カハッ!! それが、卒業まで続いた。 ← サラッと言っちゃうw


・いじめられていても、全く応えなかった


結局は、主犯格の子だけが、結局ずっと妬み恨みを持ち続けていただけで、周りの子達は「どっちとも仲良くしたいのにな……」というのが正直なところだったらしい。 でも、自分が次の標的になることはイヤだもんで、仕方なく主犯格に従っていた、と、卒業後に話してくれた子がいた。

一方の私にしてみれば、女の子たちが遊んでくれないのなら、男の子たちと遊んじゃうやん?笑 お転婆やったから、男の子たちと遊ぶ方が楽しかったし、みんなサバサバしてて、ウダウダすることなかったもんね 笑

けれど…… 
あとで知ったことだけど、それも余計に腹立たしかったみたいで (゜_゜;) その遊んでる子たちの中に、「私の好きな、○○くんがいる!!」だとか、なんとか 笑 

「私なんて、恥ずかしくて話しかけられないのに、あんなに楽しそうに遊んでるなんてずるい! 許せない!! イジメてやる!!」 

……しらんがなwww 
そんな性格で、人に好かれるとでも思ってんのか? と、今言いたいwww

休憩時間とか放課後とかは、1人で図書館にも行くようになってたから、学年の違う先生方とも顔見知りになって、可愛がってもらえるようになった。
私自身にしてみたら、その3年があったおかげで、読書好きに拍車がかかり、図書館の蔵書は全て、2~3周、読み終えてしまっていた。

だから、いじめられていても、私自身に手を出してこない限りは、完全放置だったんだね。全く相手にしてなかったというか……◝(⁰▿⁰)◜✧


・母と大好きな先生の言葉


そうなれたのは、私の母の言葉と、5・6年時の担任の先生の言葉が大きい。いじめられていることを相談した時、母が私にあっけらかんと言い放った言葉。

「そんなにイヤなら、大人になって、札束でその子たちの横っ面を張り飛ばしてやるくらいの人間になればいい!」「いじめられたとウジウジと泣いているヒマがあれば、そんなアホどもが追いつけないくらいに勉強して、知識を武器にすればいい!!」「いじめられて死にたい!? アホか!! 死ぬ気になれるんなら、殺してからでも遅くないでしょ!!」

今だから言う…… 
おかぁ~~~さぁ~~~~ん!! 無茶苦茶ですヤンっ!!爆

そして、大好きだった担任の先生。
図書館の蔵書、読破2周目が終わったとき、いじめられてることを何時なしに話してしまった。今でもそのシチュエーションはしっかり覚えている。クラスで飼育観察していたメダカに、先生と餌をやりながら話してた。

私:せんせ~、図書館の本、2周目終わっちゃって、もう読むモノありません~。いじめられてて、遊ぶ友達もいないし、私どうしたらいいのかなぁ……

先生:じゃあ、3周目いけばええやん? 好きなヤツを何度も読めばいい。
それでも足りないなら、そうやなぁ…… そんなに本が好きなら、お前は大学まで行ったら、そのあと大学院っていうところまでいったら、好きなだけ本も読めるし、イヤって言うほど論文も書かされるし、楽しいかもな?

私:だいがくいん? そこは、どんなところなんですか~??

先生:先生も大学までしか行ってないから、詳しくはわからんけど、お前は大学院まで行くべきやと先生は思うよ笑 ほんで、世界中みてまわってこい。きっと面白いと思うぞ~?
で、そのまえに、イジメに対しては、知識で対抗しろ。「ペンは剣よりも強し」っていうからな 笑 お前は口も達者で人気者やから、もっと賢くなれ。絶対、大丈夫や!! 笑


母に関しては、さすが私の母だと、今なら思える 笑
私は泣き寝入りするような子ではなかったし、いじめられて自殺するくらいなら、殺してから死ぬ、を選択するような性格だったことを、一番わかってくれている。 それに、たとえ母がそう言ったからといって、実行するようなバカでもないと言うことも。


そして、担任の先生。
「知識で勝て」と言うのを、具体的に教えて下さった。最初に手渡されたのは、「こども六法全書」だった 笑 

イジメというものが、大人の世界だったら、どういう犯罪になるのか。それが発覚したら、どういう罪に問われるのか。その後、どういう処罰が下されるのか。それを自分なりに考えて、まとめてみろと仰ったのだ。

目から鱗が落ちる、とは、まさにこのことだった。
モノを盗まれた=窃盗罪、直接小突かれた=暴行罪、嘘をついて罪をなすりつけられた=偽証罪…… こんな感じで、わかるところから、ノートに書き込み続けていたのを思い出す(*´ー`*) ナツカシイ…… 面白かったな、実際。

だから、小学校時代は6年間皆勤賞な上に、「こども六法全書」が、愛読書となった(*゚∀゚*)カハッ!! いじめられていても、それをイジメとはもはや思わなくなっていたというか、今日は何してくるんだろう? それはどんな罪に問われるんだろう? 指摘したら泣くかもな? って、毎日思ってた笑

そして、大人になったら、いつかゆっくりその子の人生を眺めてやろうと思っていた。


・小学校の担任という存在


小学校時代の担任の先生の存在って、もぅそれは、子供にとっては、めちゃくちゃ大きいと思う。その先生が好きか嫌いか。その先生に好かれるか、嫌われるか。それだけでも、日常の態度や勉強に対する姿勢は、全く変わってしまう。それだけで、成績がまったく変わってしまう。

残念ながら、イジメが発覚した4年の担任は、いじめる側に加担した。いじめてる子を庇ったのだ。何かきっと傷つけられたに違いない、と。 私の話は、全く聞いてくれなかった。というか、最初から聞く気はなかったのだろう。子供には訳のわからない口上で、言い逃れて私を悪者にしてしまった。

ある日、仲の良かった男の子たちが、件のいじめっ子が女の子たちみんなに書かせた「イジメ誓約書」を見つけたのだ。それを持って、数人でその担任に言いに行ったところ、見事にもみ消しやがった。(オッと失礼。言葉が乱れたわw)

それを見ていた男の子たちは、校長先生に話しに行く!! と、担任に詰め寄ったところ、1人ずつ呼び出されて叱られたらしい。要は、先生に脅された訳だね。子供相手に、大人げない酷いことしやがるぜ、まったく……(オッと言葉が……笑)

だから私は、絶対この汚い大人だけは許さない!! と思ったことを覚えている。幸い、5年生のクラス替えで、生涯の恩師と想える先生と出会えた。
あの時、5年の担任の先生に出会っていなかったら、私の人生は大幅に変わっていただろう。


・飲みに行く約束


その担任の先生と最期に会ったのは、渡英する直前の頃だった。駅前でばったり出会ったものだから、あまり長話が出来なかったことを覚えている。

先生:どこのべっぴんさんかと思ったら!! お前、大きくなったなぁ!!

私:わぁぁ!! ご無沙汰しております!! 先生、お元気そうですね!!

先生:おうおう、元気げんき!! そうや、来週空いてるか? 飲みに行こうぜ! べっぴんさん連れて、ワシ飲みに行きたいわ~笑

私:うあ! 行きた~い!! でもすみません、私、週末からイギリスなんですよ!!

先生:はぁ!? イギリス行くんか!? ホンマか!! 旅行かぁ!?

私:違いますよ!! 留学ですよ!! しばらく行ってきます~!! あの時、先生が「世界を見て回ってこい」って言ってくださったから、それやってきますね!!

先生:ホンマか!! 帰ってきたら話聞かせてや! 楽しみにまっとるぞ!

私:了解です!! 美味しいところ、飲みに連れてって下さいね!!

先生:おし! 約束やぞ~っ!! がんばって来いよ!!


……なぜだろう、あの日のあの場面、先生の表情、言葉まで全部、くっきりはっきりと思い出すことが出来る。

結局、帰国後もあちこち飛び回っていたりして、先生との約束が果たされないまま、今に至ってしまった。そして、その先生は数年前に、もう鬼籍に入ったと、今回の連絡で初めて知ったのだった……

先生は、亡くなる前に、今回の幹事の子に「アイツと飲みに行く約束してるからなぁ、大人になってから、ワシら友達になったんやぞ~」と、誇らしげに言って下さっていたという。

約40年ぶりに話す電話越しに、これを聞かされて、私は嗚咽を抑えることが出来なかった……



・あれからもう35年の月日が経ちました(きみまろさん風味でw)


小学校の卒業の日、1人の男の子が駆け寄ってきて言ってくれたことがある。中学からは別々の道に進んだ子。今回手紙を送ってきてくれた子だ。

「あのさ、時々、みんなと一緒になっていじめたりして、ごめんな。でもな、オレ思ってたんやけど、なえちゃんはホンマに強い子やなって思ってた。1人になっても、いじめられてても、学校休まへんかったし、泣いてるのもみたことない。そやしな、きっとこれからも、大丈夫やと思う!!」

色々と思い出してくると、ほんとに、私ってありがたいことに、みんなに支えられてたんやなって、つくづく思う。たとえその時は、いじめたりいじめられたり、ってのがあったとしても、ちゃんとみんな見てくれてたんやなぁと。家族や先生だけじゃなく、やっぱりクラスのみんなも。

約35年を経て、やっとあの時の言葉に、ありがとうと言うことが出来た。
彼は覚えていなかったみたいだけど、卒業式に彼がくれたその言葉が、いろんな場面で助けてくれた。私にとっては、とても大切な、友達からのやさしさの証だった。


不思議なことに、今回また繋がり始めた面々に、当時私をいじめていた子たちがいない。取り巻きで、一緒になっていじめていた子たちはちらほらいたりはするけれど、女の子たちの大半は、消息不明らしい。

まぁ、結婚して地元を離れてるってのは、十分あり得るし、小学校区の半分くらいが、都市整備計画地区だったから、実家無くなっちゃってるはずで、引っ越しちゃってるだろうしね。私もそのうちの1人やし笑


あの時、埋めたタイムカプセル(場所がわかり次第)掘り返すまでに、どれくらいの数が、また繋がれるのかはわからないけど、大人になった今、子供を持つ側になった今、みんながどんな生き方をしているのか、どんな生き様をしてきたのかを、じっくり眺めてやろうと思う。にゃーっ!(=^..^=)ミャー


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