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ホームスクーリングに切替えてから初めての学校個人面談でした

本日息子たちの個人面談の日でした。
我が家は2学期が始まってから兄弟揃って登校しぶりが加速し、ホームスクーリングに切り替えたのですが、学校に行きません宣言以来だったので久々に学校へ。
親と先生だけの面談なので私1人で行きました。


クラス全員の個人面談なので1人あたりの持ち時間は15分。
15分で話せるほどの内容もないし、学校行っていたときよりもはるかに悩みもなくとても充実している毎日なので、先生と話すこともとくにないし、ぶっちゃけ行かなくていいかなと思ってましたが、クラスの全体スケジュールにしっかり組み込まれていたのと、学校側も気を利かせて兄弟の担任どおしで時間を調整までしてくれていたので、とりあえず行ってきました。

そして学校に久々に行って色々思ったことがありましたので、これをテーマに今日は書いてみようと思います。

次男の絵が入選したと賞状をもらった!んだけど・・・

まずはじめに。
次男がまだ学校に行っていた頃に書いた絵が入選しました~!と本日賞状を貰いました。やったじゃーん!と思う反面手放しでは喜べない気持ちが。
その理由は、現在次男は一切絵を描かないようになってしまったからです。

次男は学校へ入学した頃から一気にお絵かきが好きになったようで、小さなころはあまり興味を示さなかったのに、急に絵を楽しんで書くようになりました。

次男にとってお絵かきは自分で見つけた楽しいことであり、お絵かきが彼の中で空前の大ブーム到来だった期間にはamazonで自由帳やスケッチブックなどを大量まとめ買いしたこともあるくらい、とてもお絵かきを楽しんでいる様子でした。

そして自分で作り上げる作品が増えていくごとに彼の自信にもなっていると目に見えて実感していました。

そんな中、学校行きしぶりが始まるちょっと前から自分の絵がクラスの子に下手くそだとバカにされたと言ってくることが少しづつ増えました。

息子には困ったり嫌なことがあったら先生に言おうと伝えていましたが、息子の話だと先生は取り合ってくれない様子。

周りの情報や他の学年のママからも、「1年生のクラスが荒れて崩壊しているってよく聞くんだけど大丈夫?」みたいな話も聞いていたので、担任の先生に実際クラスの状況はどうなのか?と直接聞きにも行きました。

先生の返答は「被害者は次男君だけじゃないんですよー。正直個性の強い子が多くて私も困ってるんですよ~」でした。

先生も大変なのは分かるし、学校は色んな個性を持つ子が集まるところだということも分かっていますので、手を焼く子がたくさんいて余裕がないのも分かります。
かといって、目に見えて手のかかる子のことばかり注意してて他の子の対応やケアが全く行き届かないというのはなんか違くないかと思っていました。

そんな頃クラスで事件が連発。
嫌な思いをした子たちは都度必死に先生に訴えていたようですが、先生は話を聞いてくれなかったようで子ども達の担任への信頼がなくなっていきました。
この頃、1年生の息子の同級生ママ達からもよく相談を受けました。
理由はみんなこぞって「先生に言ってもどうせ助けてくれないから学校行きたくない」と子どもが言うという内容。

確かに親が話に行っても先生はいつもどこか他人事のようで、的を得た答えは返って来ず親から伝えてもあまり響かないのでどうしたものかと思っていた頃。

学校で息子が自由帳に書いた渾身の絵に上からぐちゃぐちゃーってされて💩と0点と書かれた自由帳を泣きながら見せてきて「俺は絵が0点なんだ!俺の絵はクソなんだ!二度と絵なんか書かない!」とビリビリに破き、怒りで小さな体を震わせ泣きながら私に言ってきたときに思いました。

あー、こんなに大好きだったことが1つ無くなってしまった。
いくらでも伸びたり広がったりしたであろう才能もこうやって自信と一緒に一瞬で失ってしまうんだなと。

それから、次男は今も絵を描こうとはしません。
たまたま自由帳を見てしまうたびに思い出して涙で目をウルウルさせながら泣くのを堪えて本棚に戻しています。

だから今日「すごいですね!賞状ですよ~!おめでとうございます!息子君にもお伝えください!これで自信が取り戻せるかもしれませんね!この調子で学校来てって伝えてください!」と言ってきた先生には、いやいや、お前ね。って思ったし正直震えた。笑

悪気はないのは分かるけど、ちょっとデリカシーないなと思ってしまった。

先生って、親以外で直接子どもの人格形成や才能に触れることもある仕事でもあり、子どもを伸ばすことも潰すことも容易い立場。

先生も自覚が必要だと思ったし、私達親も 子どもを育てるとはこうゆうことなんだと責任を再認識するいいきっかけでした。

帰宅して次男に表彰されたことを報告しても案の定の無反応。
むしろ絵のことを思い出して、涙をためて不機嫌になったので、賞状はまたクルクルっと丸めてそっと見つからないところにしまいました。

次男 6歳の冬の切ないエピソード 忘備録としてこちらに記録しておきます。


我が子が学校へ行っていない状態で学校へ行く母親の気持ちは?

話は変わりますが、
私はX(旧ツイッター)で不登校や子育て関連の投稿や親御さんの吐露している気持ちなどをよく勉強としても見ているんですが、今日やたらと目に入ったのが不登校児の親が学校へ行くことの辛さ系のつぶやきをたくさん見ました。今ちょうど面談シーズンなのかな?

そこには、わが子が通えない学校はお母さんの目から眩しく映っていたり、
学校に当たり前に通えている子を羨ましく思うような内容のものが沢山ありました。
お母さん自信が学校に出向いて教室に入ると、壁に貼ってある作品や当番表からもやっぱり生活感を感じますもんね。

うちの子だけがここに通えなくなったという目線で見てしまうことに、罪悪感を持ちつつもそう思ってしまうことに自己嫌悪なっている投稿を数多く見て、苦しんでるお母さんが本当に多いなと思いました。

学校に行くことが当たり前で、それができなくなった我が子を見ると自己否定が強くなってしまうのも、学校行くことが当たり前だと思っているからですよね。

中学生や高校生の親はとくに進路や将来のことも控えていて心配や不安も大きくなっていると思います。

これに関しては実際に一緒にできるワークとかが必要になってくるので記事作成などちょっと時間かけて今後じっくり書いていきたいなと思いました。




私は自分でも驚くほどに完全に気持ちが切り替わっていた

不登校児2人の母として今日まさに面談で学校へ出向いた私はというと、先述のような悩みが笑っちゃうくらいありませんでした。
ゼロ。むしろマイナスくらいの感じでした。

本当に学校に未練ないなーと改めて思ったのと同時に、逆に子ども学校行きたいって言いだしたらどうしよう?笑 くらいに思いました。

我が家は夫婦で自営業+私はフリーランスなので子ども達と好きな時に好きなことできるってゆうのは親としてもとてもありがたく、生活のバランスも良いんですよね。

もちろん子どもたちが進んで学校に行きたい!と言い出したららバッチリ送り出しますが、ゴール設定が復学ではないので、学校に全く未練がないんだなと思いました。

とはいえ、同年代の子と生活できるってゆうのは学校の最大のメリットだと思います。
だけどうちの息子はどちらも、子供どおしのやりとりに酷く疲弊を感じていたので、うちは今はこれでOKです。

親が無理に手を施さなくても、心がしっかり育っていれば、自分のペースで必要な時にしっかり動けるようになります!


息子さんはどんな感じですか?というざっくり質問が連発する

不登校児のお母さんとの面談はやっぱりこの話題でした。
でも質問がざっくりすぎて、なんかやっぱそうよねと思う内容でした。

まぁ15分という限られた時間ですし、元気ですか?勉強はどうですか?普段は何をしているんですか?と、給食の停止がどうのこうのとか提出物いつまでとか淡々と業務連絡、そして冬休み明けは来ますか?でした。

別に何か期待していたとかでもないですが、まぁ学校は学校として機能してるんだなという印象と、先生も先生だけど普通の人です。
当たり前だけど。

だから寄り添った教育といっても難しいし、それ以上もありません。
学校に期待していないといったら失礼だし、先生にも本気で子どもと向き合ってくれる先生がいることもももちろん知ってます。

でも結局子どもを変えれるのは親だなと改めて思わされました。

本気で向き合ってくれる先生も子供にとって絶大な良い影響を与えると思います。

現に、うちの長男は1年2年3年と毎年たまたま担任が変わってるのですが、2年生のときの先生は息子ととても合っていて、息子に痒いところに手が届くような声かけをいつもしてくれて、こちらが感心するほどよく子ども達のことを理解しようとしてくれている見てくれている先生でした。

28歳の可愛い系フェイスの優男イケメン先生。
子ども達のことが大好きですという言葉が嘘っぽくなくて、クラスのトラブルも少なく子ども達もみんな安定していました。

うちの子もイケメン先生に関わってもらっていた期間はとても安定していたし、色んな事に挑戦出来たり本当に良く頑張っていました。

が、3年生で今の先生になってからは息子の気持ちを汲んでくれるような感じのタイプではなく、うちの息子と全く合ってないなーと思います。

安定の2年生の時と比べてもクラスの問題は増え、3年生になってからは保護者会で学校の状況や先生の対応が毎回議題になっているので、やはり先生の影響は思っている以上に大きいんだと思います。

これは先生がダメとかできないとかそうゆうことではなくて、気質的に合っていないという感覚で、声の掛け方ひとつ需要と供給が合っていないと感じるのです。

先生と生徒とはいえ、結局は個人と個人です。
先生というだけでこちら側も過度に期待しすぎてしまう部分もあったりしますが、人間合う合わないはいくらでもありますし、家族でさえも考え方や価値観の違いも無限にありますよね。

結局は先生も親も子供も同じ人間だということを再認識しておくと過度な期待に落胆することもなくなるし子育てにおける考え方も楽になります。


ホームスクーリングに定義がないからこそ学校との距離感がちょうどいい

今日の面談で感じたのですが、我が家は学校に「とりあえず今はホームスクーリングにして学校へ行くのをやめます」と高らかに宣言して現状に至るのですが、当初学校の話し合いの際に学校側は支援級やスクールカウンセラーなど色々提案してきてくれました。

お母さんの話も聞くし子どもさん達も負担が少なく学校に来れるような方法を考えましょうと何度もアイディアを出してくれました。

学校に午前だけでも、給食だけでも、1時間だけも、朝や放課後誰もいない時間でもいいから!と色々提案してくれてたんですが、私は「大丈夫です、そうゆうのいいんです!考えてくれてありがとうございます。」と全スルー。

きっと私が全スルーで話にならないからだと思いますが、お父さんも同席してくださいと言われ学校に話し合いに行ったときは、5人の先生と私達夫婦と今後どうしていくのかについて話し合いました。

学校側はやっぱり色々な提案をしてきてくれましたし、とくにスクールカウンセラーと支援級の先生はこれが仕事なので、どうにか支援級にだけでも来れるようにと熱烈歓迎状態。

しかし、私も旦那も学校という施設と教育システムから一旦子供達を離したかったので、何を提案してくれても「あ、そうゆうのは大丈夫です。ホームスクーリングでいくんで!」とホームスクーリング連発ゴリ押しで話し合いが終わったので、学校側は え??の状態だったと思います。

たぶん田舎なので前例なかったんだと思います。笑
そしてホームスクーリング自体を先生達も実態を把握できていないんだと思います。
なぜならホームスクールには決まった定義がないから。
だから、学校側も宣言後は色々言って来ません。
もうよく分かんないし、そこまでいうならそのホームスクーリングとやらでやってください、もうお任せしますな感じの状態です。

この感じが私にとっては非常にラッキーでした。

良かれと思って学校は寄り添う体制を見せてきてくれていましたが、ぶっちゃけ私はこの学校に来れるようにサポートを!みたいなやりとりがかなりのストレスでした。

学校から離れたかったし元々私自信が学校に重きを置いてなかったこともあり、不登校になる以前から別に学校に頼りたい願望はありませんでした。

なこで、定義のないホームスクーリング宣言により先生や学校側からも変に詮索されなくなり、どうですか?元気してますか?みたいな電話とか連絡のやりとりも一切無し。

手紙やプリント類だけまとめといてもらって適当に取りにくるんでここに入れといてくださいとだけ伝え、自分のタイミングで職員玄関にある引き出しから取っていくだけ。

今日はせっかく学校に行ったので、学校においてあった絵の具や習字セットも家でやるんでって言って持って帰ってきた。

家でしっかり勉強はしてると伝えたからか、学校でやる予定の課題も全部くれたし図工のキット、理科の実験キットも貰ってきました。

ありがとうございます。じゃあ家で適当にやります!と言って帰宅。

別に提出するわけじゃないし、気が乗らなきゃやらなけばいいだけ。

あまりに私が「家でやります」ばっかでドライだから、「勉強頑張っているなら私も少しかかわりたいので課題とか出してくれればハンコ押して返しますよ」と言ってくれたけど、
じゃあ本人が出したいようなら出しますとだけ伝え終了。

なんて丁度よい距離感!!
私は今の学校や社会との距離感がとっても気に入っています。

不登校、悪いどころか全然いいとこばっかじゃん!!と今日も1人思うのでした♡


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