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旅先で迎える朝…

旅先で迎える、朝の景色が好きだ。

私にとっては非日常でも、そこにはその土地で暮らす人々の日常があって、朝の営みがある。
手をつないで駅へ向かう親子、突っかけサンダルでごみを出す人、前かがみで店先を掃除する人、後ろ手で往来を眺める老人。
すずめが鳴く。朝日の閃光は若い。車の走る音、トラックのクラクション。
だんだん排ガスの匂いがしてくる。1日がゆっくり立ち上がってくる。

私も通勤電車にまぎれて乗り込んでみる。皆それぞれの目的地へ向かっている。マスク越しにスマートフォンを覗き込む乗客。ルーズリーフをめくる学生。つかの間気絶して英気を養うサラリーマン。電車は河を渡る。車窓から土手に座っている人が見える。

この車両にいる人達は、みな息をしているし、他愛ない日常がある。

ふいに目が合う人が何人かいる。

その人達とは以前、もしかしたらどこかで会った事があるかもしれないし、ここではじめて偶然乗り合わせただけで、金輪際遭遇しないかもしれない。もしくは今度はどこかで、お互いを認識してちゃんと出会うかもしれない。この車両の中にも、過去に何度も同じ空間に居合わせた人がいるかもしれない。だけどずっとずっとこのままお互いを認識せぬまま、一生を終えるかもしれない。そんな事を思う。

向かいの席の足元に、誰かが置き忘れていったペットボトルが立っている。そんなだからその席には誰も座ろうとせず、後から乗り込んできた人々も、足元のそれを認めると、その席は避けるようにする。ペットボトルに存在感がある。そうしてそこはいつまで経っても空席のままで、電車は今、田園の中を進む。

不意に、どっと子供たちが乗り込んできて、車内は賑やかな活気にあふれる。遠足だろうか。校外学習か。この子供たちがどうかどうか健やかたれと願わずにはいられない。その群集を眺めているうち、電車は終着駅に滑り込んでいく。

<了>

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