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【映画感想文】オノ・ヨーコからジョン・レノンの愛人になるよう指示された個人秘書メイ・パンの物語 - 『ジョン・レノン失われた週末』

 むかし、さいたまスーパーアリーナの一角に、ジョン・レノンミュージアムがあった。たしか、テレビCMでその存在を知ったんだと思う。

 高校生の頃、映画『アクロス・ザ・ユニバース』にハマったことでビートルズを聴くようになり、ジョン・レノンにも興味が湧いた。それまでは『イマジン』や射殺された事件性から政治的な人物なのだと思っていたが、楽曲に触れ、前衛的な音楽性が好きになり、どんな人だったのか知りたくなった。

 だから、電車で片道2時間弱の道のりをかけて、ジョン・レノンミュージアムに向かった。

 もちろん、館内にはジョン・レノンの生い立ちやビートルズの歴史が学べる資料があったり、ゆかりの品が並んでいたり、その名の通りな展示物であふれてはいた。しかし、なんというか、想像していた感じとはけっこう違くて驚いた。

 端的に言えば、ジョン・レノンよりオノヨーコの凄さに気付かされる構成になっていた。

 ぶっちゃけ、わたしの中でオノヨーコって、ジョン・レノンの嫁以外の印象がなかった。しかし、そこにはオノヨーコが芸術家として製作してきた数々の作品が置かれていて、どれも最高にカッコよくて、すっかりファンになってしまった。

 例えば、『天井の絵』という作品がある。

 脚立が置いてあり、登った先には天井から虫眼鏡がぶら下がっている。それを覗いた先にはYESの文字。すべてを肯定してくれる。

 なんでも、オノヨーコがロンドンで個展を開催した際、ふらっとジョン・レノンがやってきて、このYESを見て感動したんだとか。

 日々の忙しさからストレスを抱えていたジョン。そこに否定的な言葉やくだらない内容が描いてあったら、そのまま怒ってギャラリーを出て行くつもりだったらしい。なのに、思いがけず、YESと認められたことで人生が一変。そのままオノヨーコに恋をしてしまう。

 え! 二人はこれがきっかけで出会ったの! と近くに添えられた紹介文を読んでビックリさせられた。

 他にも、オノヨーコの代表作である書籍『グレープフルーツ』も展示されていた。

 そもそも、わたしはオノヨーコがどういうジャンルの芸術家なのかも知らなかったのだけど、この本を読み、「インストラクション」に分類されるらしいとわかった。日本語にすると「指示」で、要するに、鑑賞者がアーティストの指示に従って行動することで初めて完成する芸術形態なのである。

 この『グレープフルーツ』という本にはオノヨーコからの様々な指示が載っていた。後に購入した美術手帖のオノヨーコ特集からいくつかを引用すると以下の通り。

叫ぶ。
(1)風にむかって
(2)壁にむかって
(3)空にむかって

『美術手帖 2003年11月号No.841オノ ヨーコ 未来に贈るイマジンの力』32頁

●質問事項 一九六六年春

以下の質問にホントかウソか、のどちらかで答えよ。

ホント/ウソ
◎六番目の指は、それが肉体的には感知できないものだから普通は使用されない。
◎ニューヨーク市には透明な平和の塔がある。それはしかし影がないので、とても見つけにくい。
◎血は肉体から出て初めて赤くなる。またそうだと思う時には青色になる。

<中略>

◎<ウィンクの話>
ウィンクの強さは ー 
 二台の車を正面衝突させた
 嵐を微風に変えた
 ゆるんだ蛇口から落ちる一滴の水
◎<風の話>
風の年齢は ー 
 エンパイア・ステート・ビルディングよりも一兆年も年寄り
 アルプスより三〇〇〇年も年寄り
 海より一日若い
 キリストより一日年寄り
 あなたの娘より二ヶ月若い
 あなたの死の五ヶ月後にはじまる

これ以上の情報および質問のコピーは「ストーン」パンフレットにある(五〇セント)。

『美術手帖 2003年11月号No.841オノ ヨーコ 未来に贈るイマジンの力』74-75頁

作品「扉」[一九六四年春]
◎出入りのための小さな扉を作る。

 小さいので、毎回出入りの時、身をかがめ、縮めなければならない。
 ……あなたのサイズや、出ること、入ることについて気づくことになる。

『美術手帖 2003年11月号No.841オノ ヨーコ 未来に贈るイマジンの力』76頁

 一見するとどれも詩のようだけど、読んだ人が頭に具体的なイメージを思い浮かべる点が特徴的。アーティストの言葉がきっかけとなり、それを見たり聞いたりした人たちの想像によって、存在しなかったものが存在するようになる。これが芸術家オノヨーコの凄さなのだ。

 そう考えると、なぜ、ジョン・レノンが『イマジン』を歌ったのか、『ハッピー・クリスマス(戦争は終った)』を歌ったのか、『パワー・トゥ・ザ・ピープル』を歌ったのか、その理由が見えてくる。

 どの曲もインストラクションだったのだ。音楽として提示されているけれど、重要なのは世界中の人たちに指示を聞いてもらうことだったのだろう。

 国境をなくすことも、戦争を終わらせることも、市民が力を持つことも、理屈では不可能としか思えない。ただ、みんながそういう状態を想像するようになれば、なにかが変わるかもしれない。

 それが現実になるまで、途方もない時間がかかるだろう。だが、政治の力でにっちもさっちもいかない以上、この回りくどいやり方をとるしかない。たぶん、ジョン・レノンはそう覚悟を決めたのだろう。

ジョン・レノン あのダサいおじさん
ジョン・レノン バカな平和主義者
ジョン・レノン 現実見てない人
ジョン・レノン あの夢想家だ

真心ブラザーズ『拝啓、ジョン・レノン』

 真心ブラザーズの『拝啓、ジョン・レノン』には、いわゆる世間的なジョン・レノン評が歌われている。

 数年単位という短い時間感覚でその活動を捉えようとすれば、当然、そういう風に言われてしまう。だが、この歌詞が「今ナツメロのように聴くあなたの声はとても優しい」と続くように、縮尺をぐーっと伸ばしたとき、見え方はガラッと変わる。

 ジョン・レノンは世界を否定しようとしたのではない。すべてを肯定しようとしたのだ。

 そして、それはオノヨーコのYESから始まっていた。

 さいたま新都心からの帰り道、わたしの中ではそんな物語が出来上がっていた。なんなら、オノヨーコ博物館に行ってきたような感覚すらあった。

 調べてみると、ジョン・レノンミュージアムはオノヨーコが全面的に協力していたらしい。けっこうバイアスがかかっていた可能性は高い笑

 とはいえ、その中でも、ひとつだけ謎なスペースがあった。「失われた週末」と題された部屋で、やたら荒々しい作りになっていた気がする。ノイズが流れ、照明は暗く、汚い落書きが壁に描いてあったような気がする。ただ、むかしのことなので、記憶は曖昧。なんなら全部、わたしの妄想かもしれない。

 ちなみに「失われた週末」とは、ビートルズがバラバラになった後、ジョン・レノンはオノヨーコとも別居し、18ヶ月孤独に過ごした時期を指している。恐らく、オノヨーコの視点から見たとき、この18ヶ月はジョン・レノンの迷走期。そのため、グチャグチャな演出が施されていたんだとわたしは認識している。

 実際、オノヨーコはインタビューなどで「失われた週末」について語るとき、やたら面倒な態度をとる。いかにもジョン・レノンの黒歴史であるかのような雰囲気を醸し出す。

 普通に考えれば、夫が家出をしていた期間の話なので、妻としては嫌な過去に決まっているんだけど、これをジョン・レノンの立場で捉え直したとき、やや疑問が生じてくる。というのも、ミュージシャンとして、この18ヶ月にジョン・レノンは信じられないほど精力的に活動しているからだ。

 具体的に言うと、「失われた週末」に当たる1973年後半〜1975年前半の間、ジョン・レノンは以下のアルバムを制作している。前作『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』が政治色の強さから商業的に失敗したことを考えると、その変化は著しい。

・『マインド・ゲームス』1973年11月 全米9位
※このレコーディング開始と同時に二人の別居が始まる。
・『心の壁、愛の橋』1974年9月 全米1位
・『ロックン・ロール』1975年2月 全米6位

 どれも名盤として名高いし、個人的にわたしも大好きだし、仮に「失われた週末」を暗黒期とするなら、これらのアルバムの素晴らしさは嘘なのだろうか? いやいや、あり得ないでしょ。

 だから、長年、「失われた週末」についてはモヤモヤっと違和感を覚え続けてきた。

 そしたら、先日、映画館で「失われた週末」に関するドキュメンタリーの予告編が流れて、やっぱり! と合点がいった。

 まず、衝撃なのはオノヨーコが個人秘書のメイ・パンに対して、別居したジョン・レノンの恋人になるよう指示をしていたということ。そして、指示通り恋人になった結果、思いがけず大恋愛に発展し、18ヶ月も公私を共にするようになったということ。

 なるほど、だとしたら、オノヨーコが「失われた週末」を肯定できるはずがないよね笑

 ずっと謎だったことが簡単に解決してしまった。そうなると映画を見ないわけにはいかなった。

 タイトルは『ジョン・レノン 失われた週末』だけど、実際はメイ・パンのインタビューが中心。彼女の視点から「失われた週末」について捉え直そうという内容だった。

 このメイ・パン。めちゃくちゃ破天荒な人物で面白い。なにせ、音楽業界の知識も経験もないのに、20歳でアップルレコードに飛び込んで、なんでもできると嘘をつき、そのまま雇ってもらったというのだ。

 さらに、その年、ジョン・レノンとオノヨーコが製作した映画を手伝った際、優秀さが気に入られ、二人の個人秘書となる。

 この二人の個人秘書という役割がいかに過酷だったか、恐ろしいにもほどがある。何度も何度も板挟み状態に陥ったそうだ。

 特に、ジョン・レノンと前妻シンシアの間に生まれた息子・ジュリアンが電話をかけてきたときが大変だったらしい。オノヨーコにお伺いをたてるたび、「ジョンはいないと答えなさい」と指示されるので、心苦しかったという。

 このときの罪悪感もあったのだろう。メイ・パンは「失われた週末」の間、シンシアとジュリアンがジョン・レノンと交流できるように懸命に努力したようだ。結果、この映画にジュリアンも出演し、あの頃は父親ジョンといかに幸福な日々を過ごせたか、嬉しそうに語っている。

 他にもメイ・パンは、ジョン・レノンがオノヨーコと一緒になったことで疎遠になっていた人々と再開できるように、相当努力もしている。なんと、ビートルズの四人が解散合意書にサインする前のタイミングで、ポール・マッカートニーとのセッションも実現したという。
(ただ、これには裏があるんだけれど……)

 いずれにせよ、「失われた週末」がジョン・レノンにとって、再生の時期であったことが伝わってくる。これはこの時期にリリースされたアルバムのクオリティから考えても、妥当な評価のように感じられた。

 ただ、そうなるとオノヨーコが悪者みたいになってしまうのが切ない。映画を見ていて、ディズニーのヴァランのようにオノヨーコが扱われているので笑ってしまった。

 特に、オノヨーコが「失われた週末」について語った映像として、自分で自分にインタビューしている映像が流れたときにはテンションが上がった。オノヨーコがオノヨーコに質問し、オノヨーコが答えるのである。

 ヤバいやつとして演出すべく、その映像は使われていたが、わたし的にはそれでこそオノヨーコという喜びがあった。アーティスト然としていてカッコいい。

 ジョン・レノンという存在が大き過ぎて、我々はジョン・レノンの人生を彼中心に捉えてしまいがちだ。メイ・パンの場合もそうなのだろう。

 だが、オノヨーコだけは違う。オノヨーコはジョン・レノンが隣にいようと自分が主人公なのだという矜持を失くすことはない。その強い態度は多くの反感を買うし、敵も作ってしまうけれど、わたしは堪らなく魅力を感じる。

 でも、だからって、父親と息子の仲を裂こうとするのはよくないよね。そう思うとジョン・レノンのサポート役に徹したメイ・パンも魅力的。

 なお、この映画はメイ・パンのフォトエッセイをもとにしているそうだ。作中、プライベートな写真がふんだんに使われているが、彼女が撮っていたものらしい。

 ともかく、「失われた週末」をオノヨーコ以外の視点から見ることができてよかった。こういうことって、歴史上の出来事の多くであるんだろうなぁ。

 メイ・パンはエンドロールで、ようやく真実が語れたと記していた。たぶん、これについて、オノヨーコは反論があるだらう。

 改めて、いまのオノヨーコにとっての「失われた週末」を聞いてみたくなった。




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