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【映画感想文】食材になることでしか贖罪はあり得ない! 自分を食い物にしてきた男たちを文字通り食い物にするタイのエモグロスプラッター - 『人肉ラーメン』監督: ティワ・モエイタイソン

 タイトルに惹かれて、内容はよく知らずに見る映画というものがある。今回見た『人肉ラーメン』もそんな映画。

 美味しいラーメンはいらんかね……というキャッチコピーから想像するに、どうせバカなホラー映画なんだろうなぁと思って劇場に向かった。

 ところが、なんてこった!

 めちゃくちゃエモいじゃないか!

 主人公は中年の女性なんだけど、この人がまあ、かわいそう。ひたすら男たちに食い物にされてきた。若いときに性加害を受けているし、親に無理やり結婚させられた夫からは酷い扱いをされてきた。

 ある日、そんなクソ夫は浮気相手と姿を消してしまう。残された娘と二人、なんとか生きていくために彼女はかつて母親がやっていたラーメン屋を復活させる決意を固める。

 そして、そのラーメンというのが人肉ラーメンなわけなんだけど、お察しの通り、自分を食い物にしてきた男たちを逆に食い物にしています。文字通り笑

 食材になることでしか贖罪はあり得ないというお母さんの大発明で、復讐は蜜の味というけれど、めちゃくちゃ美味しい出汁がとれるらしい。もはや言葉遊びの領域で、くだらないのか、詩的なのか、よくわからないけどグッときてしまう。

 しかし、そんな彼女はステキな青年と恋に落ちてしまって、いつも通り裏切られたと苦しくなるも、やっぱり好きで好きで仕方ない。だから、彼のことをラーメンにしてしまえるほど恨み切れない、というところから物語は展開していく。

 この辺の心の揺れ動きの撮り方が面白かった。フィルム調になっていて、神聖かまってちゃん『夕暮れの鳥』MVみたいなエモさに満ち満ちていた。

 とは言え、ご注意を!(あるいはご安心ください?)

 そんな風に言うと、爽やかな映画なのかなぁと思わせてしまいそうだけど、一応、R-18になっているので、エモくないところ凄くグロテスクです笑

 主人公にとってダメな人間をラーメンにすることは救済の意味もあるので、容赦なく、スパンッ、スパンッとやっていく。でっかい中華包丁を片手に背後からゆっくり近づき、焦らすことなく断ち切っていくのだ。ターゲットは気づいたら脚を失くしているし、腕を失くしているし、首からドバッと血を流している。そんでもって、チャーシューを作るみたい(というか作るため)に肉塊が紐でぐるぐるしばられていく。傷口に色とりどりのスパイスが塗り込まれていく。美味しそう……でいいのか?(躊躇)

 不思議なのはあまり残酷に見えないところ。本人としてはキッチンで食材を淡々と処理しているだけの感覚なのだろうか。めちゃくちゃ人を殺しているのに恐ろしい顔をしていない。むしろ、尊い美しささえ湛えている。でも、被害者の方は泣き叫んでいるわけで、このギャップが堪らなく怖かった。

 とんでもないものを見た。エモくて、グロくて、エモグロってやつだ。斬新だった。エンドロールに流れる歌もザ・名曲って雰囲気だし、タイ、すごく攻めてる。

 劇中、軍事政権にデモを行う若者たちが制圧されるシーンもあったり、監督はかなり明確なメッセージを待っていそうだった。ホラーのフォーマットに当てはめて作っているけど、おそらく、予算さえあれば社会ドラマに挑戦するはず。これからが楽しみ!

 帰るとき、エレベーターで他のお客さんと一緒になるわけだけど、若者グループがヒソヒソ「ラーメン食べたくなっちゃった」と笑い合っていた。ブラックジョークのようだけど、案外、その気持ちはわからなくもなくて、わたしもタイっぽいラーメンを食べたくなっていた。

 変だなぁと認識しつつ、カルディに寄り、パクチーラーメンを購入。ささっと平らげてしまった。

 しかし、実際のところ、人間の肉ってどんな味がするんだろう。中学生の頃に大岡昇平の『野火』を読んで、猿の肉と言われて食べたものが人間の肉だったと判明したとき、ゾワッと怖くなったのを覚えている。

 そこから人間の肉を食べる小説や映画にハマった。武田泰淳の『ひかりごけ』とか、アン・リー監督の『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』とか。B級ホラーの『食人族』も好きだった。

 ほとんど同じ内容のクイズ、『ウミガメのスープ』も興奮した。その後、似た刺激を求めて水平思考クイズを解きまくったが、元祖を超えるものとは出会えていない。まさしく原点にして頂点だった。

 わたしたちは毎日なにかしらを食べて生きている。そして、それはよく言われることではあるけど、動物の命を頂いているわけで、後ろめたさがないわけではない。無論、別にさほど意識もしていないけど、知っている以上、100パーセントは無視できない。結果、少しずつ自分の中に罪が重なっていく。

 いつか罰せられるんじゃないか? 目には目を、歯には歯を。因果応報。根源的な考え方はなんだかんだ我々の奥深いところでは生き続けていて、どこかで自分も食われる側になってしまうんじゃないか。内心、そんな風に恐れているのかもしれない。

 だからこそ、人間を食べる罪はまんま自分が食べられるという形で返ってきそうなヤバさがある。共食いをしないなんて、別に約束したことはないけれど、暗黙のルールとして社会はずっと回ってきた。このレールから外れたくないと本能的に思っているからこそ、食べられる恐怖の裏返しで、人間を食べてしまう恐怖が成り立っているのかも。

 加えて、自分の舌にそんな自信がないという問題もある。子どもの頃、カレーを食べていて、

「豚肉美味しい!」

 と、言ったら、母親から鶏肉なんですけどと呆れられたことがある。お寿司屋さんでおまかせコースを頼み、うっかり大将の説明を聞き逃したら最後、いま口の中で旨味広がる白身魚は白身魚以外のなにものでもなく、スズキなのかイサキなのか、答えられるはずがない。

 もし、友だちの家に呼ばれて、猿の肉で作ったのとハンバーグを出されたら、一口で、

「人間じゃねえか!」

 と、ツッコミを入れられる気がしない。珍しいねぇとか、意外と硬いんだなぁとか、呑気なコメントをしながらバクバク食べ進めてしまうだろう。

 いや、それは友だちに限った話ではない。だいたいわたしたちはカップヌードルに入った謎肉を旨い旨いと喜んで食べてきたじゃないか。あれは大豆ミートだったからよかったけれど、人間の肉じゃないという保証はどこにもなかった。

 ぶっちゃけ、ラーメン屋のスープを飲んで、どんな出汁が使われているのかなんてわからない。煮干しぐらい特徴があれば別だけど、普通は臭みもないし、すっきりといけてしまう。

 そう考えると本当にわたしは人間を食べたこと、ないのかな?

 子どもの頃、学校の帰り道に焼鳥屋さんがあり、そこのおじさんはとても優しく、よく焼鳥を無料でくれた。モモなのか、ムネなのか、内臓なのか。よくわからなかったけど、みんな、美味しい美味しいと食べたものだ。

 後にそのおじさんは殺人未遂で逮捕された。もともと北海道で暴力団だったとか、逃げてうちの地元にやってきたとか、食い扶持を稼ぐために始めた焼鳥屋は異様に安く、瞬く間に人気店となったとか。様々な噂が流れた。

 詳しくは過去の記事を。

 で、ふと疑問に思ってしまった。

 あの焼鳥って、ちゃんと鶏肉だったのかな? と。



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