【読書コラム】ピントが合わなかったのは、カメラを持つ手が震えていたから - 『ちょっとピンぼけ』ロバート・キャパ(著),川添浩史、井上清一(訳)
先日、マシュマロでロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』を代わりに読んでほしいというメッセージを頂いた。書かれている内容をどう理解していいかわからず、ページをめくる手が止まってしまったんだとか。
存在は知っていたけど、読んだことはなかった。タイトルから勝手にキャパがどんな風に写真を撮っているのか、技術論だったり、精神論だったり、そういうことが語られているんだと想像していた。
で、Amazonで購入し、届いたものを読み出してビックリ。全然、そういう本ではなかったのである。
日記というか、回顧録というか、エッセイというか。第二次世界大戦の報道カメラマンとして従軍した日々が記されているのだけれど、めちゃくちゃラフな語り口に虚をつかれる。
なにせ、安全な場所にいるときは酒とギャブルと女の話ばかり。危険な場所にいるときも酒とギャンブルと女の話ばかりなんだもの。
こういう写真を撮りたいとか。世間にこういうことを伝えたいとか。熱いメッセージはどこにもない。どうして戦場に行くのか。キャパ自身、よくわかっていない様子なのだ。
はっきり言って、捉えどころのない文章が続く。マシュマロで頂いたメッセージの通り、どう理解すればいいのかわからない。これは途中で投げ出してしまうのも納得だ。
でも、読み進めていくとキャパという人間が少しずつだけど見えてくる。
例えば、イギリスの飛行場で空軍部隊の帰りを待っているシーン。朝には美しい編隊を組んで24機が飛び立ったにもかかわらず、戻ってきたのは17機。そのうちひとつは着陸装置を撃ち飛ばされている。
カメラマンとして、そこにいる以上、決定的な場面を撮影せずにはいられない。だが、人間として、そんなときにカメラを構えてしまう業の深さに打ちのめされて、あっさりファインダーを閉じてしまう弱さがある。
てっきり、キャパは強い人なんだと思っていた。あれだけ、最前線で臨場感あふれる写真を撮っているんだもの。命知らずのクレイジー野郎じゃなければ説明がつかない。
ただ、この記述が本当ならば、キャパは弱い人である。なのに、戦場に留まり続けるのはなぜなのか。大きな謎にわたしの好奇心はうずき始めた。
何度も、キャパは戦場を離れる誘惑に襲われる。特にロンドンの社交界で知り合った女性と恋に落ち、一緒に暮らす準備をしだしたときは、当然、仕事を辞めるものと思われた。
彼女の名前はピンキィ。髪がピンク色をしているから、そう呼ばれている。洒落た会話を交わして、踊り、二人はたちまち親密になる。まるで映画のような展開だ。しかも、それから、わたしと戦争、どちらをとるの? と言わんばかりの駆け引きが繰り返されていく。
本当ならすごい話だ。……でも、……ちょっと、……あまりにもドラマチック過ぎるよ笑
ぶっちゃけ、キャパの創作な気がする。ただ、ピンキィという女性は実在したようで、ネット検索したらキャパが撮影した写真も出てきた。入院中のヘミングウェイをお見舞いで訪れた際のものらしい。
たぶん、左のおしり丸出し男がヘミングウェイで、いたずらな笑顔で服をまくしあげているのがピンキィ。なるほど、めっちゃくっちゃ可愛い!
こんなお姫様みたいな恋人とあれやこれやを繰り広げるとは、キャパ、色男にもほどがあるって。
本人もそれを自覚しているのだろう。使う言葉もいちいちキザったらしいのがなによりの証拠。
いやはや、カッコいい大喜利を開催しているかのようじゃないか。その上、文学界の大スター・ヘミングウェイとは親子のように親しくて、戦場で合流し、ドイツ兵に打たれながらもふざけ合ったりしているときたら、主人公以外の何者でもない。
なのに、いざ、D作戦に参加してみると、いよいよ死ぬかもしれないという恐怖を前に、縁起でもないと遺書を出すことすらビビってしまうのだ。
普段の気取った態度がフリになっているから、いざってときの臆病っぷりが際立っている。てっきり、俺は勇敢なんだと自慢したいんだと思っていたが、どうもそうではないらしい。むしろ、己の弱さをさらけ出そうとしているかのよう。
そのことを示すエピソードとして、ドイツ兵の襲撃に遭ったとき、恐怖で震えてカメラをちゃんと構えられなかったという話が出てくる。それでも、決定的な瞬間を逃すわけにはいかないとシャッターを切る。
結果、出来上がった写真は"ちょっとピンぼけ"していたという。誌面掲載時には「キャパの手は震えていた」とキャプションが添えられていた。
この辺りで、ようやくキャパが『ちょっとピンぼけ』でやりたかったことが頭角を現す。
自らをオデュッセウスに、ピンキィをペネロペに見立て、第二次世界大戦を彼のオデュッセウスにしようとしたのだ。だけど、キャパ流のオデュッセウスはあらゆる困難を乗り越えられない。そこに大きな意味がある。つまり、ハッピーエンドの不在を象徴しているからだ。
第二次世界大戦の終末。ベルリン作戦に同行したキャパはナチスの蛮行の証拠を目の当たりにするも、あえて、一枚も写真を撮らない。
戦場のリアリティをフィルムに収めることが仕事の戦場カメラマン。だが、パシャパシャと撮れば撮るほど、その有り様は複製可能なものとなり、本来の恐怖はどんどん価値を失っていく。キャパは悩む。自分はなんのために写真を撮るのか?
そんな彼が数週間ぶりに、思わず、戦死していく若者を撮影してしまう。長い従軍期間も終わりを迎える。
ピンキィのもとへ急ぐ。あまりに待たせ過ぎたから、彼女は他の男と結婚すると言っている。二日も議論を重ね、キャパはピンキィの心を取り戻すことができたと思い込み、シャワーを浴びる。
第二次世界大戦とピンキィとの恋が鮮やかに重ねられていく。戦場カメラマンにとっての戦争とはなんなのか。カメラでは決して捉えることのできない真実を、キャパはテキストで見事に描き出していた。
この本を読み終えて、じわり、胸に残った寂寞をわたしはきっと忘れない。
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