見出し画像

【映画感想文】自分が必要とされない恐怖から男は女を支配しようとするけれど - 『男女残酷物語 サソリ決戦』監督: ピエロ・スキバザッパ

 予告編で流れるたび、これを見ない手はないのだろうと思ってきた映画がとうとう公開された。その名も『男女残酷物語 サソリ決戦』で、どういう内容なのか、さっぱり予想がつかない。

 実際に見てきたけれど、さっぱり意味がわからなかった笑

 と言っても、ストーリーは意外と単純。

 謎の慈善団体の幹部っぽい男が、同団体で広報として働いている女を拉致監禁。週末、サディスティックに攻めまくり、殺害するという計画を実行に移す。しかし、ギリギリで手を下せず、恋人のように接してくれる女にうつつを抜かし、女に対するトラウマとコンプレックスを克服するため、決死のセックスに挑むも返り討ちに遭う。まさしく男女の究極の戦い!

 ハッキリ言って、展開は粗いし、心理変化はめちゃくちゃだし、そうはならんやろの連続だし、肝心のSM描写はかなり雑。それでは興奮しないだろうってお粗末なもの。

 ただ、音楽と美術館が素晴らし過ぎて、ひたすらうっとりと見張れてしまう凄みがあった。

 1969年製作らしいので、当時、流行った近未来の描写方法よろしく、とにかくアバンギャルドで刺激的。便利なのか不明な機械だったり、イッセイミヤケっぽい縫い目のないツルッとしたファッションだったり、気持ちの悪い装飾だったり、なにもかもがひたすら過剰。

 吉田喜重の『エロス+虐殺』だったり、キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』だったり、タルコフスキーの『惑星ソラリス』だったり、1970年前後の未来に対するイメージは世界中で共通していたのかしら。

 そういう意味では当時の最先端に触れる感じがあって面白かった。

 加えて、今回、『男女残酷物語 サソリ決戦』の上映を巡って、各所で話題になっている通り、フェミニズムの観点から見直す意義はたしかにあった。配給が『テルマ&ルイーズ』の4Kレストア版やフェミニスト・スリラーとして話題を呼んでいる『ロイヤルホテル』を扱う株式会社アンプラグドなのも納得だった。

 作中の説明は唐突ながら、慈善団体幹部の男は女を監禁し、痛めつける理由として、人工授精の技術が発達したことによって、精子が選択可能な商品となり、肉体としての男が必要とされなくなることに強い不満を述べていた。そして、憎しみから筋トレなど男らしさを追求し、懲らしめる目的で女を支配しようとするのである。

 さらに彼は幼い頃、サソリの交尾を目にしたこともトラウマになっている。なんでも、サソリのメスは交尾を終えるとオスを食べてしまうらしく、以来、男を養分とする女を憎むようになったという。

 でも、いざ、自分に優しい女が現れたとき、あっさりメロメロになってしまうのだからどうしようもない。TPOをわきまえず、キスをしたがり、セックスをしたがり、応じてもらえないと不機嫌になる。

 結局、彼にとっての「愛」は自分を受け入れてくれるか否かでしかなく、相手のことなど少しも考えはいないのである。とどのつまり、子どもがお母さんに求める愛情と変わらない。

 そのことを象徴するように、女性がM字開脚しているモニュメントの股の中へと彼はおずおず入り込んでいく。

 これは女性の性を肯定する作品で知られる、フランスの芸術家ニキ・ド・サンファルの巨大女性像『ホン』であり、このビジュアルイメージだけでも鑑賞する価値がある。

 官能小説やAVなどのエロコンテンツで、女性器を「下の口」と表現することは多々あるけれど、『ホン』の女性器には文字通り「下の口」で、歯のようなギザギザが開いたり、閉まったりする。男が女を食べたつもりが、逆に、食べられているのかもよと物語の結末を暗示している。

 女に傷つけられるかもしれないという恐怖心が男をミソジニーへと駆り立てて、その振る舞いが女の反感を買い、成敗されるに至る過程は可哀想でもある。ただ、どうすれば彼を救えたかといえば、母親以外に母性的な愛を求めるのをやめなさいとしか言いようのない難しさもある。

 特に本作は各エピソードにリアリティがないので、なにもかもが観念的で、弱者男性が妄想の果てにインセルとなった話にも見えてくる。かつ、そんな弱者男性に対して、女ができることは防御のための攻撃しかなく、両者の溝がますます深まっていく未来も見えた。

 象徴的なセリフとして、彼は理想の女を「マドンナ」と呼んでいた。いわゆる聖母のことである。

 当たり前だけど、現実に「マドンナ」なんているはずない。そう見える女がいるとしたら、「マドンナ」を演じているだけで、本質的にフィクションである。

 なのに、女に聖なるものを求めていたら、がっかりするのは当たり前。勝手に期待値を上げるだけ上げて、目の前の女が架空の基準とズレているからって、憎しみを抱くのはめちゃくちゃだ。

 最近、Amazonプライムで配信されていた『ザリガニの鳴くところ』という映画を見たのだけれど、その中でも似たような男の認知の歪みが取り上げられていた。

 金持ちの家の息子が、湿地で孤独に暮らす少女を聖なるものとして、コントロール下に置こうとするけれど、そんな人間が作り出した力関係、自然界の掟の前ではなんの意味もない。ざっくり、そんな感じだった。

 そう言えば、『ザリガニの鳴くところ』でもサソリに似た話が出てきた。湿地の生態に詳しい少女がカマキリのメスは交尾の後にオスを捕食すると説明するのだ。

 結局のところ、男らしさという人間が作り出した幻想だけで、女を支配するなど不可能である。だからって女の方が偉いということでは全然なくて、性別に関係なく、みんな生きるために必死という単純なところに帰結する。

 他人を全面的に受け入れる余裕のある生き物なんて、この世にいるわけないんだよね。Mr.Childrenも歌っていた通り、恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム。相手の嫌な部分も含めて好きになれなきゃ始まらないよね。




マシュマロやっています。
匿名のメッセージを大募集!
質問、感想、お悩み、
読んでほしい本、
見てほしい映画、
社会に対する憤り、エトセトラ。
ぜひぜひ気楽にお寄せください!! 


ブルースカイ始めました。
いまはひたすら孤独で退屈なので、やっている方いたら、ぜひぜひこちらでもつながりましょう! 

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,685件

#映画感想文

67,494件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?