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【読書コラム】愛する人になにをあげることができるのか? - 『おおきな木』シェル・シルヴァスタイン(著), 村上春樹(訳)

 わたしは幼少期、読み聞かせをあまりしてもらわなかったし、そもそも字を読めるようになるのが遅かったので、全然、絵本を読んでこなかった。そのため、いま、これだけ本を読んでいる割に絵本を知らな過ぎて驚かられることがある。

 例えば、『ぐりとぐら』も『はらぺこあおむし』も『となりのせきのますだくん』も読んだことがない。一応、みんなの会話からでっかいカステラを焼くとか、あおむしが食べ過ぎでお腹を壊すとか、ますだくんが意地悪とか、なんとなくは知っているけど、詳しくはよくわかっていない。

 むしろ、最近、子どもたちや友だちからおすすめの絵本を教えてもらって、定番の名作に30歳を超えて初めて触れるに至り、めちゃくちゃ心に沁みるんだけど! という経験を繰り返している。

 最近もそういう絵本を紹介してもらった。シェル・シルヴァスタインの『おおきな木』という作品で、村上春樹が翻訳している。

 ストーリーはすごくシンプル。

 あるところに一本の木があり、その木は一人の少年のことが大好きで、一緒に遊ぶ日々に幸せを感じていた。落ちた葉っぱを拾ってもらったり、木登りしてもらったり、木陰で眠ってもらったり。

 でも、時は流れ、成長した少年の興味関心は別のところに向かっていく。友だちができたり、好きな人ができたり、木とは遊ばなくなってしまう。

 そして、久々に少年がやって来たとき、木は大いに歓迎するけれど、なにやら目的は別にあるみたい。聞けば、少年はお金がなくて困っているという。そこで、木は自分の枝になったりんごをあげると言い出す。これを売ってお金にすればいい、と。少年はありったけのりんごを持っていったまま、またしても長いこと姿を現さなくなってしまう。

 次にやって来たとき、少年はすっかり大人になっていた。結婚し、子どもを作る予定らしい。だから、家を建てたいと相談してくる。これに対して、木は自らを枝を使うように伝える。おじさんになった少年は木の枝を喜び集め、それを使って夢のマイホームを建てるべく、そそくそと立ち去ってしまう。

 さらに何十年と経過して、おじさんになった少年がやって来る。なんでも、船で遠くの場所に行きたいそうだ。だったら、わたしの幹を切って使えばいいと木は申し出る。おじさんになった少年は木を切り倒して、それで船を作って旅立ってしまう。

 切り株になったしまった木。少年のことが大好きで、できることはなんでもしてあげたいと思ってきたけど、さすがにつらくなってしまう。

 それでも、そこにじっと佇み続けて、おじいさんになった少年がやって来たときには謝ってしまう。あなたにあげられるものはもうないの……。

 ただ、おじいさんになった少年はがっかりしない。むしろ、これだけを歳をとってしまったら、ほしいものなんてないと言っている。じゃあ、なんで、ここにやってきたのか。

「こしをおろしてやすめる、しずかなばしょがあれば
 それでいいんだ。ずいぶんつかれてしまった」

シェル・シルヴァスタイン『おおきな木』村上春樹(訳)

 それだったらと切り株になった木は自分の上に座りなさいと意気込む。ようやく二人はかつてのように幸せを共有することができるのだった。

 これで終わりなのだけど、ジーンッとしてしまった。こんなことを言ったら陳腐なのは重々承知しているけれど、めちゃくちゃ考えさせられた。

 もし、幼いときに読んでいたら、少年に感情移入するのだろう。ただ、大人になってしまっているので、どうしても木の気持ちに寄り添わないではいられない。

 いわゆる「無償の愛」って、こういうことを言うに違いない。木にとっての幸せは少年の幸せであり、たとえリターンがなかったとしても、自分の持っているものをすべて差し上げる。親が子どもを愛するような尊さを感じる。

 村上春樹による訳者あとがきによれば、作者のシェル・シルヴァスタインは元々漫画家・イラストレーターで、作詞作曲の才能もあり、ヒットソングを連発し、グラミー賞もとっているんだとか。

 ちなみにグラミー賞は"A Boy Named Sue(スーという名前の少年)"という曲で受賞していて、シェル・シルヴァスタインは作詞を担当している。

 この歌詞もけっこうよくて、父親から「スー」という一般的に女性に多い名前をつけられてしまった少年の苦難が描かれている。名前のせいでいじめられ、揶揄われ、非行に走ってしまう。そして、自分を捨てて家出した父親を探し回り、復讐のために戦うというエディプス・コンプレックスが炸裂した作品である。

 なんでも、シェル・シルヴァスタイン自身、名前の響きが女性っぽいということで苦労を重ねてきたようで、その苦い思い出を芸術に昇華させたのだ。

 ちなみに日本では絵本作家として知られているようだけど、本人は子ども向けのものを書く気はなかったという。ところが出版社の担当編集者に才能があると励まされ、やっているうちに「向いてるのかも」と思い直したのかもしれないと村上春樹は予想していた。きっと、プロの作家にとってはよくある話なのだろう。

 いずれにせよ、結果的に素晴らしい絵本が生まれてよかった。愛だったり、時間だったり、哲学的な題材が惜しげもなく扱われているので、たしかに、子ども向けかと聞かれたら、そうでもないのかもしれない。実際、かなり抽象的で感想を言うのは難しい。それでも、大人と違って子どもたちはうまい感想を言おうなんて嫌らしい欲望を持っていないから、素直に受け止めることができるんじゃなかろうか。

 そう思うとやっぱり幼い頃にこういう絵本を読んでおきたかったなぁ。でも、覆水盆に返らず。いまさら、悔やんでも仕方ないし、だいたい、年齢が一桁だったときに自分の意志でどうこうできるわけもなし、今回の人生ではそういう縁がなかったものと受け入れよう。

 まあ、なんだかんだ言っても、こうして死ぬまでに出会うことができたわけだしね。すべて、よし! 教えてくれた友だちに感謝! 

 



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