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【読書コラム】この本を知らずに生きてきた自分が信じられない! 中国文学をもっと読んでいかなきゃいけないと反省 - 『結婚狂詩曲』銭鍾書(著)

 先日、中国にルーツがある友だちとどんな本を読んできたかという話をする中で、『結婚狂詩曲』というタイトルが出てきた。なんでも名作らしい。ネットで調べたら銭鍾書が書いたものと載っていた。

 ぶっちゃけ、作品名も作者名もさっぱり知らなかった。というか、中国文学について、自分が全然知らないということに気がついた。『三国志』とか『水滸伝』とか、杜甫とか李白とか、古典はなんとなく把握しているけれど、近代以降の小説に関して言えば、魯迅ぐらいしか読んだことがなかった。もちろん、教養としても身についていない。

 一応、大学は文学部を出ているし、個人的に本も好きだし、世界文学の流れは望むと望まないとにかかわらず、これまでたびたび学んではきた。常々、それが欧米中心であるという違和感を覚えてきたけれど、改めて、中国文学がいかに重視されていなかったか、および、わたし自身が重視してこなかったのか、想像以上で驚いた。

 今後ともアジアに生きていくつもりなので、意図せずともそのど真ん中である中国文学を避けてきてしまった反省から、『結婚狂詩曲』という作品を教えてもらった機会を逃すわけにはいかない。奇しくも岩波文庫に翻訳があるようなので、早速、ゲットしてみた。

 これがめちゃくちゃ面白くってたまげてしまった。

 舞台は1937年。日本と戦争が熾烈化する中、留学から帰ってきた青年が就職や結婚を巡り、七転八倒するという話。最先端とされる西洋の考えを身につけた若者たちが自立した生き方を目指す一方で、家族や職場は伝統的な価値観が未だ根強い。その乖離によって人間が壊れていく様が諧謔的に描かれていた。

 解説によれば、夏目漱石の『吾輩は猫である』に通じるものがあるという。その時代の空気を風刺し、徹底的に茶化す感じは共通している。ただ、刊行されたのが1946年、戦後と中華人民共和国成立の空白期間だったためだろう。『結婚狂詩曲』の皮肉っぷりは桁違い。

 まず、主人公となる青年がダメなやつ過ぎて堪らない。本質的に運はいいけど、怠け者で見栄っ張り。かと言って、愛嬌があるわけでなし。つい、人が嫌がることばかり言ってしまう憎たらしい男なのだ。

 だいたい、留学にしても、本当は家にお金はなかったけれど、親同士の約束で許嫁となっていた娘さんが若くして亡くなったことで、お詫びのような形で費用も出してもらえることになる。箔がつきゃいいぐらいの気持ちだから勉強する気はさらさらないので、まともに大学を卒業だってできやしない。

 とはいえ、スポンサードしてもらっているわけだし、博士号なしで帰国するというのもいろいろまずい。なにか手はないかと悩んでいたら、古い新聞に「博士号売ります」の宣伝を見つける。気軽に学歴を詐称してしまう。

 揚々と帰国するときの船ではモテまくる。人妻と不倫に勤しむ一方で、めちゃくちゃ優秀な独身女性からもアプローチをかけられ、下船後も関係は続く。ただ、主人公か本命はその女性の従姉妹だからややこしい。三角関係やら四角関係やら、想い想われは複雑化。結婚するのしないので最後には大爆発してしまう。

 クズであることがばれ、居場所を失い、どうしたものかと途方に暮れていたところ、田舎で新設される大学から教授職のオファーが入る。僥倖とばかり飛びつくも、日本との戦争が熾烈さを極めているせいで、移動は一筋縄じゃいかない。同じ境遇の仲間たちと様々な苦難を共にする。

 なお、このとき一緒だった年下の女性からも主人公は好意を寄せられ、大学でしっくりこない労働に従事する中、外堀を埋められるように結婚するに至るのだけど、ここからの展開がハイテンションで最高だった。

 まぁ、この結婚生活が地獄過ぎて素晴らしかった笑 

 本来であれば、夫も妻も教養があるし、経済的に自立もできるし、互いに互いを尊重し合うことができるはずだった。というか、だからこそ、結婚してもいいと思ったはずだった。ただ、そこにそれぞれの実家が介入してくると話は単純じゃなくなってしまう。

 夫の実家は保守的。嫁が恭しくないことに義母も義姉妹も納得がいかない。定期的に嫁を呼び出しては「普通はこうするものなのに」と説教をしまくる。これに妻は我慢の限界を迎える。

 このとき、夫である主人公は職場での政治は失敗し、学歴詐称していたこともあって、大学を追放されていた。かわいそうに思った妻は父親に相談し、夫のために新聞社の仕事を都合してもらう。その上、自分も教員職を辞め、二人で引っ越しをしたばかりなのだ。

 しかも、妻は社交性があるので、早々に夫よりも給料の高い仕事を見つけて家計を支えまくっていた。それなのに姑から、

「女が働きに出てどうする。家事が疎かになるだろ。真面目に夫を支えろ」

 と、叱られ続けることに耐えられなかったのだ。

 一方、妻の実家は割と革新的だから、とりあえず夫を立てるという習慣が存在しない。そのため、主人公は不躾な評価に晒されまくる。端的な話、どうしてそんなに仕事ができないの? どうしてスマートに生きられないの? どうして才能がないのにプライドだけは高いの? と心臓を抉るような嫌味をぶつけられまくる。

 夫も妻も二人きりのときは相手を可愛いと慈しみ合えるのに、自分たちの価値観を親世代にかき回された結果、顔を合わせるたびに喧嘩をせずにはいられなくなる。そして、解消されないイライラから逃げるように、主人公は再び仕事を辞めて移住を決意する。でも、さすがの妻も今度ばかりはついてこない……。

 なにかが少し違っていれば、結果も違っていたのだろう。反実仮想がこだまする寂寞とした読後感に、この本を知らずに生きてきた自分が信じられなかった。それぐらい胸に響いた。

 こんな小説があったなんて。衝撃だった。自我を巡る若者のどうしようもない迷いという西洋的なテーマについて、外圧で近代化していくアジアの風土に合わせ、うまいことアダプテーションされていた。その上、これだけ世俗的な物語の裏側で、いつも日中戦争の影がちらついているという構成がなにより素晴らしかった。個人における戦争と平和、国家における戦争と平和、両者が地続きにあることが見事に示されていた。

 なんでも、中国では30年近く、『結婚狂詩曲』は禁書同然の扱いを受けてきたらしい。そういう作品を簡単に日本語で読むことができるんだから、わたしたちはとても恵まれている。なのに、わたしはこれまでこういう小説があると認識すらしていなかったわけなので、あまりにも勿体ない。

 たぶん、そういう本が他にもいくつもあるんだと思う。中国文学をもっと読んでいかなくては。そして、その次にはアフリカの文学にも触れていきたい。

 古今東西、知らないものが多過ぎる。まったく、死んでる暇もありゃしない。




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