自由地獄

昔のクラスメイトと食事をする機会があった。
実に5年ぶりの再会。
駅の改札で待ち合わせて、適当なお店に入った。

正直、あまりにも久しぶりすぎたので、お店に向かう途中、何をどう話そうか考えながら歩いていた。

お酒も入り、お互いリラックスし始めた頃、わたしの饒舌ぶりにも拍車がかかり、なんだか取り留めもなく話してしまったように思う。

途中、進路の話になった。
その友人は留学経験があり、現在大学3年生。
だんだんと就活モードに切り替わっている頃らしかった。
(成瀬は4年生なので既に就活は終わっている)
友人の周りでは、着々と将来の方向性を固めている人が多く、そんな人々を見て友人はこう思ったそう。

『なんでみんなそんな簡単に1つに決められるのかな?』

たしかに。
今は頑張れば、ある程度はなりたいものになれる時代だ。
だから選択肢は無限にある。そうなると当然選べない。
私たち大学生のほとんどは、その選択肢の中から少しでも自分に合ったものを探すために、あるいはわからないから知るために学校に来る。

しかし、いざ大学に進学しても、本当に天職と呼べるものにみんなが出会えているのだろうか?
おそらくそんな人は少ない。

何かしたい。でも何があるのかわからない、何がしたいかもわからない。興味が湧きそうなものもわからない。何から始めていいかわからない。どこに向かえばいいかわからない。自分がどんな人間なのかもわからない。

そんな煮え切らない状態で、進路選択に踏み切る人々を見て友人は疑問に思ったという。

その疑問はわたしも以前から抱えていたものだった。
しかし最近はその疑念が薄れているようにも思う。

というのも、わたしが思うに、人には2つ種類があって
たまたま自分が好きでやっていたことと、向いているという事実が見事に揃って大成を成すタイプと、目の前にあることをただ極め続ける。あるいは、なんとなく流れに身を任せてとにかく目の前のことから道を導き出していくタイプがあると思っているからだ。

わたしはおそらく、現時点では後者。
なぜならわたしはまだ好きなことと向いてることに揃って出会えていないと思うからだ。

ならば後者の目の前のことから導き出して行くタイプとして見つけていくしかないと思った。

選べるということは一見自由だ。
でも自由すぎて決め手に欠ける。
もはや何か1つに絞ることが1番損なのではないか、とすら思ってしまう。

自由であるがために、世間の目や損得勘定、一般に言われていることなど、見えない何かに翻弄されて気がつくと無意識にがんじがらめ。なんてことも。

どこに就職するか?あるいはどうやって生計を立てていくか?
誰と恋愛するか?
結婚するかしないか?
子供産むか産まないか?
仕事やめるか続けるか?
家買うか借りるか?
pcどれ買おうか?
ご飯何食べようか?
何着ようか?
暇な時間をどう過ごすか?

なにからなにまで無限に広がる選択肢。
生きやすさを追い求めるあまり生きにくい時代に突入した現代人のジレンマ。

まさに自由地獄ともいえる。

途中、話題は恋愛に切り替わり、この話はここで終わり(笑)

また近い将来、お互いに打ち込める道にたどり着けた時、数年前は自由地獄に悩んだよなあ〜って笑い話になっているといいと思う。

そんなわけでわたしも残り少ない学生生活を活用して、未来を探求していこうと思った。

どんな会話からも気づきを得られることが楽しい。今日も有意義な時間を過ごした。


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