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新幹線

いつの頃だったか、もう随分前。おそらく、私が幼稚園に入った頃の時代だったと思う。父と母と兄と私の、4人家族全員で東へと旅立ったときのこと。移動に新幹線を使った。その時、たまたま、一番前の車両の、これも、たまたま、一番前の席だった。

当時は、まだ、検札を、きちんとやっていた時代。車掌さんが順番に回ってきて、我が家も車掌さんの検札を受けた。驚いたことに、その車掌さんが父に挨拶をするではないか。

聞くと、父の教え子だった人だという。


父は、高校教師だった。その当時はまだ元気で、クラス担任もしていた。

検札が終わり、車掌さんは運転室に入ったのだが、しばらくして出てきた。そして、父に、小さな声で耳打ちした。

すると、兄と、私が、車掌さんにつれられ、なんと、運転室へと招き入れられた。



初めて入る、新幹線の運転室。記憶が薄れているところがあるのだが、運転室に入ると、一段高いところに、運転士の椅子と隣の席の合計ふたつ、配置されている。

揺れが、かなり、あった。

運転席へは、小さな数段の階段を登る。私は、兄の後ろからついて、その階段を上り、前に広がる運転席のすぐ横に立った。

猛スピードで、新幹線は、走っている。

眼前に広がる、あっという間に、どんどん過ぎゆく景色。

すごい。

一生に一度の、奇跡的な景色だった。

ほんの数分間の、夢の旅路。


こんなこと、今では、絶対に考えられない。その当時、その時代の雰囲気でこそ成り立った、昭和の中頃の、国鉄時代の出来事である。

後になって何度か、その時のことが我が家で話題になったことがあった。先頭車両の、しかも最前列に、たまたま乗っていたこと。教え子が、担任をしていて、お互いに印象深い付き合いをし、卒業後もやりとりをしていたこと。いろいろな偶然が重なったのだと父は、言った。

でも、いまだに思うのである。そんな奇跡って、世の中に、あるもんなんだな、と。

事実は小説よりも奇なりと言うが、本当に、そうだ。

兄か私が、新幹線の運転士になっていたならば、もっと収まりの良い、完璧なドラマになっていたのだろうが、残念ながら、それは為し得なかった。


子供心に、先生って、なんて偉いんだろうと心底驚いた。いまは亡き父の、遠き良き、奇跡の思い出である。


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