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【第3回心灯杯 創作】 肩

☆この記事は、第3回心灯杯に向けた、オリジナル創作です。¥120の有料記事にするという応募条件に従い、有料にしております。いつも通りの独り言記事は、いつも通りに、20:00に投稿致します。この記事は少しいつもよりも長いです。ご興味が、もしもおありになれば、今回に限り有料ですが、読んで頂けると嬉しいです。


2月の初旬、東京での中学受験の帰り。飛行機の席が隣同士でとれず、私と長女の舞は、前後の席に別れて座った。

離陸して機内サービスもひとしきり終わり、シートベルト着用のサインが点灯して徐々に高度を下げて伊丹に着陸していこうという頃、私は、疲れ果てて、眠りに落ちそうになっていた。

その時だった。前の席の、舞の異変に気がついた。


舞は、うずくまるような姿勢で、肩を小刻みに震えさせて、声を押し殺して、泣いていたのだ。


私は、その小さな肩を見て、一瞬で、すべてを悟った。

舞には、無理をさせ過ぎたのだ.....。


舞は、持ち前の負けず嫌いも手伝い、彼女なりに必死に受験勉強に食らいついた。

最初はいちばん下のクラスだったが、春を過ぎる頃からジリジリと成績が上がり、模試のたびに成績を伸ばし、ひとつ、またひとつと、階段を登っていった。そして6年生の春には、いちばん上のクラスになり、夏には、模試の偏差値は、とうとう、志望校に追いついたのだ。

親バカと言われようと、客観的事実として、舞は、精一杯、これ以上無いくらい、よく頑張ったと思う。

この冬。私の、春からの東京転勤が決まり、それに伴って舞は、東京の中学に志望校を急遽変更して受験に臨んだ。

だが.....。


ちょうど2年前の今日、舞と私は、塾の三者面談に臨んだのだった。そしてその時、舞が言った。

私、受験する!

塾とは言っても、全国の有名系列塾ではなく、地方の街の、小さな塾である。最初は、学校の補修のつもりで、行かせていた。

面談の相手は、塾長だ。私は、びっくりして、塾長の顔を見た。すると、塾長は、腕組みをして、静かに目を瞑っているだけだった。

静寂がしばらくその場を包んだが、その沈黙を破るように、塾長が、おもむろに、口を開いた。

受験をするかしないかは、ご本人と、ご家族が決めることです。私は、その決断を、応援することは、できる。

受験の準備をするには、でも、もう、遅いくらいですよ。相当、頑張っても、追いつくかどうか、微妙なところやと思います。正直。

たいていの子供さんは、もう、遅くとも去年の春には、始められてるんです。

それでもやるんか、いうことですね。



過去に、私には、苦い経験がある。中学受験には、見事に失敗をしているのだ。

母は、教育熱心な人だった。私を早くから学習塾に通わせてくれた。私の成績も、悪くはなかった。いや。むしろ、期待にも増して、良いほうだった。そして、無謀にも、高望みをしたのだ。母も。私自身も。

通っていた少年野球チームも退団し、友達と遊ぶこともやめて、一念発起。毎日のように受験勉強に明け暮れ、孤独に塾通いをした。夜遅くまで勉強漬けの毎日。自分でも、よくやったと思う。

合格すれば、そこから先は、輝ける成功への道が拓ける。そんな幻想を信じて、ひたすらに精進した。直前の模試の判定も、A判定連発だった。誰もが、志望校への合格を信じて疑わなかった。

だが、結果は残酷なものだった。



舞が受験をすると言った時、やめておこうと言っておけば良かったのだ。こんなことになるのならば。だいたい、まだ幼い小学生の頃から勉強漬けの生活をして、何の見返りがあるというのだろう。

人生なんて、中学受験ひとつなんかで、決まることなんてない。そんな明明白白な真実を、今の私ならば、あの頃の私に、言って聞かせてあげられるくらいの、人生の経験値を重ねてきている。

どうしてそれを、あの時の舞に、言ってあげられなかったのだろうか。



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