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"ikill" | kazcaに餞を

2015年6月13日。
この日は僕にとって、とても意味のある日です。
長文苦手な人はとりあえずこれ聴いて。

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この記事を読んでくれる人はほとんど僕のことを知らずに、これを読むことになるでしょうから、多少今までの文章と質感が違うな、と感じるかも。

僕はかつて、バンドマンでした。
「バンドマン」と今も自分で言うのは恥ずかしいし、いつもどこかで「僕は音楽を作ってはいるけれど、バンドマンではない」みたいな変なひねくれがありました。

そして、それは今も続いていて、何をしている人なのか?と聞かれた時に、「創作全般をしています」みたいな曖昧な、情報量のない答え方になってしまう。

僕が音楽を作っていく上で、ずっと心に留めていたことがあるとするなら、僕は音楽をできるだけ多くの人には届けたいとは思っていたが、自分の周りや音楽をやっている界隈の人ではなくて、学生時代の自分のように布団を被って息を殺して泣いている人に届けたかった。

だからこそ、僕はこのバンドを結成した段階から、あまりライブもしなかったし、正直指折り数えられる程のライブ回数で本気でバンドをやっている人たちからすると、「バンドマン」と名乗ること自体が烏滸がましいとすら思う。そもそもそういうカテゴライズで呼ばれた記憶もない。

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先見の明というのも本当に烏滸がましいけれど、コロナ禍以降の音楽業界の衰退を見れば、音楽はもう音楽としての機能を失っているように思う。

今まで「ライブでしか感じられないものがある」みたいなことを声高に叫んでいた人たちが「配信ライブ」という形で売り出したのはもう音楽がどうとか、そういうのじゃないんだな。

カート・コバーンが必死に悩んでいた音楽自体じゃなく、音楽に周辺する人たちにお金が潤って、アーティストだけが悩んでいた時代も過ぎ去って、のらりくらりその状況に乗っかっている運の良かった中身のないアートを食い物にしている演者も流される人間たちにも心底腹が立つ。

とまあ、僕は音楽は好きだが、心の底から音楽業界みたいなところの汚れた部分が本当に気持ち悪くなってしまって、気付けば自分が音楽を作ることすら、そういう汚れた世界を助長してしまうことに感じてから、一曲とすら曲が書けなくなってしまった。

高校生の頃は一日に一曲作るぐらいの多作な人間だったのに。もう本当に嫌だ。どこの世界にもそういう歪みはあるのだろうけれど、僕はそれを知ってしまった以上、純粋な気持ちで音楽を続けるのは不可能になったのかもしれない。

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アー写にはならなかったけど良い写真 その1
アー写にはならなかったけど良い写真 その2
アー写にはならなかったけど良い写真 その3

ただ、僕が本当に感謝しているのは、kazcaというバンドを最初に立ち上げに協力してくれたメンバーと、新しく入ったメンバーと、撮影、映像、音響、レコーディングなどなどの力を貸してくれた人たちと、それから僕が本当に精神的にどうかしてしまった時にでも、程よい距離で繋がってくれていた人たち、そんな僕を当然のように排斥してくれた人たちだ。

自分を正当化するようで、本当のことだから書くが、あの当時の僕は僕であり、僕では無かったと今では思う。だから、あの時期の自分と今の自分は切り離すということが今はできてそれなりに生活を送れている。「生きるためにバンドを辞めたい」と言ったのもあながち間違いではなかった。もう僕は本当に自分自身に勝手に追い詰められていた。

そして、僕はこの界隈からは自ずと去ることになった。「排斥してくれてありがとう」というのはそういう意味でも、僕の居場所はここではないことが分かったからだ。

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居場所なんてどこにも無いということ、居場所はどこにもでもある。僕が今感じているのは、そういう矛盾を孕んだ歪な世界に生かしてもらっているということ。

僕は元々、誰かと一緒に行動するのも、同じ空間に居続けるのも、大きな音を浴びることにも向いてなかった。それでも、今でも僕が作った音楽を聴き続けてくれている人の言葉がたくさん届いて、「いつかは!」みたいな本当に申し訳ない気持ちがありながらも音楽をやってほしいと望んでくれる人たちが何人も居て、これは僕が自分が音楽だけではなくて、聴いてくれて何かを感じ取ってくれた人たちに真摯に向き合ってきたという自分の中での少ない自信を持てるものだったんだな、と今は思っています。

あれからもう10年経ったけれど、今はもう音楽を作る側、聴く側とかではなく、僕と一対一の人間として関わってくれる人は本当に増えたなと感じています。僕が苦手なことも分からないことも、メンタルが落ち込んでいる人も誰かが声を掛けてくれる。これが僕が作った自分だけの居場所なんだと今は言いきれる気がします。

最後に、10年前の配信(アコースティック形態だったけど、この時いちばん想いが届いた感・聴いてくれた人たちから届けてくれている感があった)から10周年的なアニバーサリー的な、、、ものを用意したかったんだけど、相変わらず僕は自分から言い出した約束も守れないし、本当にポンコツの極みなので6/13には間に合いませんでしたが、"ikill"(イキル)という「北極星/かすみ草」というシングルにプラスする形のEPで配信することに決めました。

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僕が生み出せたものよりも、きっと僕がいろんな人の人生の足を引っ張ってしまったと思っている。メンバーにも、本当に大切にしたかった人すらも無碍に扱ってしまった。僕はこのまま自分を赦さないし、赦されようとも思わずに自分の人生を生きていく。この選択が良かったと思える人生にしたい。

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