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夢を語ること  -アキナちゃん・逢沢ありあちゃん-

生きていると、「将来の夢」を尋ねられる機会が何度か巡ってくる。
多くの人にとって、一番最初にこれを聞かれるのは、幼稚園や保育園のお絵描きの時間で、未来の自分を想像して描くよう言われた時だろう。小学校に上がれば、この質問は作文のテーマとして登場する。中学や高校では、進路希望調査という形で将来のビジョンを問われる。そして就職活動。この辺まで来ると、問われるのはもう「夢」というより「目標」だ。具体的で実現可能な将来の自分像を、親、指導教官、場合によっては友達や恋人などの親しい人に対しても示さなければいけなくなる。

小さい頃なら、無邪気な憧れや軽い思い付きでなりたい職業を口にしても、ある程度許された。家を継がせたいと考える親や毒親でない限り、子供の語る夢を頭ごなしに否定したりはしないし、そもそもそこまで真面目に受け取らない。むしろ夢を持っていること自体が評価されるほどだ。
しかし年齢が上がるごとに、無邪気に夢を語ることは難しくなる。学校という空間に入って同年代の子たちと比べられる中で、自分の得意不得意がだんだん見えてくる。自分の家庭の生活水準や現実的な将来の選択肢がどんなものなのかも、何となく分かってくる。

絵を描くのが好きだけど、〇〇ちゃんみたいに上手くないから、漫画家になりたいなんて言ったら笑われるかな。部活でレギュラーにすらなれない自分がサッカー選手になりたいなんて言えない。親に公務員になれと言われて育ったから、ミュージシャンになりたいなんて言ったら反対されるだろう。片親で生活が苦しいのに、海外留学したいなんて言うのはわがままだよね…。「夢を語る前に、それがお前のスペックに見合った夢なのかよく考えるんだな」という圧力は、年を追うごとに強まる。
やがて私たちは、自分のスペック、成績、親の価値観と経済力、地理的条件などの様々な要因から割り出された実現できそうな目標を「夢」として語ることを覚える。分不相応なことを言って馬鹿にされたくない。夢やなりたい自分を言葉にして人に笑われるくらいなら、誰にも言わずに存在自体をなかったことにしてしまおう。そうすれば傷ついたりしない。努力しても叶わなかった夢の話は沢山あるが、口にすら上らず静かに消された夢は、その何倍もあるのだろう。もちろん、人知れず心の奥にしまわれた夢も。

夢を口にするまでの葛藤

こんなことを考えるようになったのは、ミスiDのカメラテストの動画でアキナちゃんを見てからだ。
168センチの長身、面長で大人っぽい顔の造りと柔らかい表情の不思議なギャップが印象的な彼女は、モデルになる夢を叶えるため、山口から単身上京した19歳。習い事などはあまり長続きしないのに、秋元梢への憧れだけはずっと変わらなかったことが、モデルを志したきっかけだという。

モデルになりたいと周囲に言っていいのか悩んだ頃のことを、彼女はカメラの前でぽつぽつと語っていた。
今はもう動画が見られなくなってしまったが、私の記憶では、こんな言葉だった気がする。

「山口で、モデルになりたいなんて言えなくて」
「でも、言ったらみんな応援してくれて、ああ、言っていいんだなって」

どう見てもモデル向きの体型に生まれていても、モデルになりたいと口にするのが難しかったというのは意外だった。でも周囲からすれば、その夢は本人が思うほど非現実的ではなかったのだろう。言ってしまえば、案外受け入れられる可能性だってあるんだな…と気付かされた。自分の限界を決めているのは、自分自身なのかもしれない。

秋元梢と吉澤嘉代子とユニクロが好きであること、実家で見守ってくれる家族がいること、大学か専門学校か分からないが都内の学校に通っているらしいこと、色々なオーディションに挑戦していることくらいしか、彼女については分からない。ツイッターやインスタグラムの投稿があまりないので。オーディションを受けているという状況では消極的と捉えられてしまった可能性もあるが、一人の人間として見れば、病みツイートを畳みかける子やエゴサ→らぶリツの鬼になる子に比べて遥かに健全だ。

彼女のファイナル進出はならなかったが、結果が発表された後のツイッターのコメントも、自分はこれからも変わらずに夢を追い続けるという意気込みを込めたものだった。声高に主張することはなくても、彼女の中のモデルになるという目標は揺るがないのだろう。
そしてミスiD結果発表の数日前、彼女はこんなツイートをしていた。

残念な気持ちはありつつ、病んだり卑屈になったりしていなくて、良いなぁと思った。時折悲しみや落胆などがあっても、根っこの部分は穏やかで安定している感じがした。
いつか街中や雑誌のファッション写真の中で、彼女とばったり会ってみたい。

夢を口にした後の獣道

自己紹介PRやカメラテスト動画で、夢に届かなくて苦しい思いをしてきたと語る女の子は沢山いる。夢→挫折→再起というストーリ―は、ミスiDという空間では、もはや珍しくない。
しかし、このストーリ―を踏襲しているにもかかわらず、逢沢ありあちゃんの切実さは桁違いだった。

動物の耳(後にキツネと判明)を頭に付けて笑顔を浮かべる彼女の写真を見た時は、萌え系のアイドルの子か―としか思わなかった。しかし、動画の中の彼女は、全くふわふわしていなかった。むしろ傷だらけで闘っている感じだった。


「…名古屋で、4年半、アンドクレイジーというユニットで活動していました。今年、アンドクレイジーが無期限活動休止になったことをきっかけに、上京してきました。今、私に、肩書は何もありません」
「先日、イベントで、MCをさせていただいた時に、元アンドクレイジーの逢沢ありあですと自己紹介しました。ですが、その時会場にいたほとんどの人は知らない、と言われてしまいました。メジャーデビューをさせていただいたり、オリコンに入ったり、タイアップをさせていただいても、結局肩書きは地下アイドルで、4年半、全力で頑張ったものが、認められないんだなと、すごく悲しくなりました」
「グラビアのオーディションで、君、ミスコン何受賞した? と聞かれました。無名で、肩書きもない私は、スタート地点に立つこともできませんでした」


一生懸命喋りながら、ありあちゃんは涙ぐんだ。望んだ結果を出せなかった過去の活動を振り返って、悔しい気持ちを思い出しているのだろうか。しかし彼女は涙を浮かべながらも、時折スマホで用意してきた言葉を確認しつつ、カメラを見て喋り続ける。


「自分に自信がないけど、私は一生芸能のお仕事で、生きていきたいです」
「何千回、何億回、向いてないよって言われても、諦めたく、ないです」
「ミスiDになりたいです、宜しくお願いします」

涙目で訴えるありあちゃんの姿は胸に迫るものがあった。彼女の芸能への思いは、夢とか目標というよりも、執念と呼んだ方がいい気がした。
将来の夢を語る子は沢山いたが、「一生」「何千回、何億回、向いてないよって言われても」やりたい、と言い切った人は彼女だけだ。
彼女は「ミスiDになりたいです」とも言った。それを言えば、個人賞や小さな賞をもらえたとしても、「一応受賞できたし、いいよね」という言い訳はできなくなるのに。「誰かに見つけてほしい」とか、控え目な目標を言う子だって多いのに。目標が達成できなかった時のために予防線を張るような発言を、ありあちゃんは一切しなかった。
彼女と同じように芸能界を志してカメラテストを受けた子は、怯んだと思う。自分はあの子ほど強く芸能人になりたいと思っているのかな、と自信がなくなった子もいたのではないだろうか。

簡単には叶わない「芸能人」という夢を見つけてしまい、それに翻弄されている彼女は辛そうだった。しかし、それでも、間違いなく輝いていた。
もしありあちゃんが何の夢も見つけていなければ、彼女は今頃、特に目標のない喜怒哀楽の希薄な人生を何となく生きる女の子だったはずだ。もしかしたらその状態の方が、世間の定義する幸せのイメージに近いのかもしれない。でも、自分がそんな女の子に惹かれるかというと…それはないと思う。ましてやアー写を買ったりしない。
人生を懸けてやりたいことがあって、それに全力で向かってゆく人は綺麗だ。たとえ結果が出ていなくても。

昔の話

アキナちゃんとありあちゃんをはじめ、沢山の女の子たちが語る夢を浴びるように摂取しているうちに、自分の20代後半の日々を思い出した。会社にいる時間以外を、ほぼ夢のために費やしていた。土日も夏休みも、ほとんど一人で作業していた。4年近く、そんな生活をしていた。
結果を出せないまま30代になって燃え尽きてしまったから、この頃のことはあまり人に話していない。

しかし、まだ結果を出せていなくてもなりたい自分に近付こうと努力する子たちのまばゆさを見ながら、当時の自分の頑張りをなかったことにしたくない、という気持ちが湧いてきた。私が何も語らなければあの頃の自分はこの世に存在しなかったのと同じと考えると、淋しくなった。黒歴史として封印しかけていたのに。
もし私が、なりたい自分について人に語っていたら、誰かが応援するよと言ってくれたかもしれない。プライベートを潰してやりたいことをやる私に、美しさを感じてくれる人だって現れたかもしれなかった。理解してもらうことを勝手に諦めて、勝手に自分を孤独に追い込んだりしなくても良かったのではないか…そう思うようになった。

しばらくして、ネットで『She is』(https://sheishere.jp/)というウェブサイトのエッセイ公募を見つけた。毎月、応募作品の中から選ばれた1編がサイトに掲載され、作者は原稿料をもらえる。その時のテーマは「刹那」だった。
もし私が当時のことを書いた文章を応募して選ばれ、それがサイトに載って原稿料をもらうことができたら、あの頃の自分を供養してあげられる気がした。そして私はこんなエッセイを書いた。

結局、このエッセイは選ばれなかった。
編集部から、考えさせられるエッセイだったので、自分のSNSアカウントにこれをアップしてURLを教えてくれたら She is にリンクを貼ります、という内容のメールが来た。でも、私はアップしなかった。「内容は面白いけど原稿料を払うほどの文章ではないね」というのが編集部の評価なんだ、と悔しい気持ちになったからだ(既定の字数を越えてしまったせいもあるのかもしれないが、これ以上削れなかった…父親のエピソードはどうしても必要だし)。選んでもらえなかったのに、人生の大事な部分を差し出すのは割に合わないと思った。
今考えれば、エッセイを出してもこのメールすらもらえなかった人もいた可能性だってあるのだから「私は選ばれたんだ」と解釈してもよかったのかもしれないが、その時の私は原稿料という形あるもので自分の過去を祝福されたかった。それが、今年の9月の話。

今の話

She isにエッセイが載らなかったことで、やっぱりこんな話は求められていなかった、という気持ちになった。所詮、仕事と恋愛と友人関係と趣味をバランスよく取り入れた人生を歩んでいる人間の方が偉いし魅力的だと見做され、私のような時間の使い方をしてしまった不器用な人間の話なんて誰も参考にしたがらないんだよ、とも感じた。

でも、世間が「普通の幸せ」と呼ぶようなものを捨てて夢を追いかけているありあちゃんを見ていると、当時の自分を肯定された気がした。むしろ誇らしいとすら思った。
あれだけやった自分なら、ありあちゃんの前に立っても引け目を感じたりしないだろう。結果は出せなかったけど、私も頑張ったことあるよ、という気持ちで彼女を直視できる。
あの時、ちゃんと、全力で挑戦してよかった。

これまで「ミスiDウォッチャー」という肩書きで、気になったセミファイナリストやファイナリストについて感想を書いたり、彼女たちが出るイベントをレポートしたりしてきた。時には彼女たちの不器用さにも言及してきたが、私自身も決して器用ではないし、大した人生を歩んでいない。
ただ、「何なんだよ水溶きかたくり子って。自分では何の挑戦もしないくせに他人の人生どうこう言いやがって」と感じている人がいたとしたら、それは誤解ですよと伝えたい。ウォッチャーにもウォッチャーなりの挑戦があり、挫折があった…言わなかっただけで。

明日、そしてそれ以降の話

これを書いているのは、ミスiDフェスの前日だ。写真を撮って記事をアップするのは明日、つまりフェス当日の朝になる。
フェスでは、ミスiD2019のファイナリスト96人(辞退者除く…欠席者が出ればもっと減る…)がお披露目され、賞が発表される。それに加えて過去の受賞者のライブ、選抜者10名強?が出演するファッションショー、全員握手会など、内容は盛り沢山である。
ミスiD2019のキャッチコピーは「キミがいる景色が この世界」。既存の「美人」「かわいい」という概念に当てはまらない女の子だって誰かのアイドルになれるかもしれない、自分がこの世にいてもいなくても同じだなんて思わないで、というメッセージが込められている。

夢はあるけどチャンスを掴めない、自分に自信が欲しい、自分の作品や表現で誰かを幸せにしたい、沢山失敗してきた自分が表に出ることで駄目でも生きてていいんだよって伝えたい…など、一癖あるファイナリストたちが全員ふわっと肯定される優しい世界――ミスiDフェスは多分そういう空間なのだと思う。行ったことがないので憶測だが、少なくとも主催者が目指しているのはこういう場のはずだ。

今回、私は初めてミスiDフェスに行く。30になるまでに目指す場所に辿り着けなかった私だが、女の子たちのそれぞれの在り方が肯定される景色に紛れ、ついでに自分も肯定されたい。不器用さという点では、こういうオーディションを受けてしまうタイプの子に負ける気がしないので、ファイナリストではないけど彼女たちと一緒に許されたい。ま、この人なりに、noteに文章書いて静かに盛り上げてくれたし、いいよ♡みたいな感じで受け入れられたい。

そして、9月からミスiD2019に関する連載を2ヶ月間やってみて、やっぱり自分は文章を書きたいんだなーと実感した。エッセイでもレポートでも小説でも。
特定の人について書く以上、私は必然的に、それを読んだ本人に「こいつ全然分かってねーな」と言われるリスクを負うことになった。書いたものをアップするのはいつも怖かった。しかし、いざやってみたら、自分をよく見てくれて嬉しい、自分を俯瞰するきっかけになるので意見をもらえてありがたい、などの言葉が返ってきて、自分の言葉が誰かの役に立っているという喜びを感じることができた。作家になれないなら書く意味ない、と思っていた時期もあったのに、書くことに戻ってきてしまった。これはもう、私は書くという業を背負っているのではないか。

小林司実行委員長、読んでますか。

自分、この件、諦めてません!!
口頭で「連絡します」って言われてから4ヶ月経ってますけど! そろそろ始動するんですかね? もしや話自体、立ち消え? 説明求む。

(お忙しいのは分かってるんですぐにとは言わないですけど。年内希望。)

そしてnoteの編集者の方、ハッシュタグからここに辿り着いた She is の方、その流れで見てるCINRAの方、その他ウェブメディアの編集者の方。
私のこれまでのnoteとブログ(http://donichishukujitsu.blogspot.com/)を見て、一緒に仕事できそうだなって思ったらご一報ください。人物評、イベントレポート、書評、雑記、色々あります。ページ内の写真も全部自分で撮ってます(趣味レベルですけど)。書くと長文になってしまうことが多いですが、短さを求められた時はちゃんとやります。
とりあえず会社員やりながらできる範囲で書きたいです。原稿料ありで。サービス残業みたいなやつはブラック企業時代に懲りたので嫌です。(悪いのはどう考えても働かせる側なんだけど、就活に失敗したトラウマで「自分の労働には価値がないからそうなるんだ」という自分を責める思考回路に陥って病むのが想像できる。書くことを嫌いになりたくない。)

アキナちゃんやありあちゃんや、やりたいことに全力で向かっていく女の子たちが美しいなら、私は文章を書いている時が一番美しいはずだ。
今はどんな形でも、一人の書き手として存在したいという気持ちがある。そうなれるように、彼女たちと同様、あらゆる可能性を泥臭く模索してゆきたい。

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