いつかこのnoteを笑って見られますように。不登校と言葉に不自由を持つ娘と過ごす日々

吃音を持ち、それで不登校になった娘、よなの母です。記録用ゆえ、読者の方に読みやすくタイ…

いつかこのnoteを笑って見られますように。不登校と言葉に不自由を持つ娘と過ごす日々

吃音を持ち、それで不登校になった娘、よなの母です。記録用ゆえ、読者の方に読みやすくタイトルなどまとめられていませんが、ご了承ください。吃音の治療法に関する情報が少なく、自分と娘の治療や経緯を記して、自分用の記録として振り返り、読んでくださる方にも何かのお役に立てればと思います。

最近の記事

不登校の親が担任にできるお願い具体例。スクールカウンセラーさんから聞いた

遠足 ・どういう分け方で誰と同じ班になるのかの確認 ・誰と隣になって現地まで歩くのか確認  →できるだけ仲のいい子にしてもらえるよう依頼 ・改めて遠足の説明と、嫌なことを言われたら先生の横で歩いたらいいからねということを電話で直接ヨナに伝えてもらった。 日々のこと・図工や理科の作品などの教材を手に入れる ・家で実施して、学校へ親が持っていく ・学校でみんなの作品と一緒に掲示してもらう  →クラスメイトにヨナも一員だと認識してもらえる ・週に一度ヨナに直接電話してもらう。その

    • 不登校中。オンライン授業を受けることをやめた

      ヨナが元気がない。「ヨナいいこ?」「ママ、ヨナのこときらい?」って聞いてくる。この質問は、今環境調整にチャレンジしている私にとって最も残念な質問。なぜならヨナに信頼されていない、嫌われるとビビられているというサインだから。さらに吃音も目に見えてひどくなっている。 色々と思い当たることを考えてみたけど分からない。。 ある日不登校の親の会に参加した。 そこでオンライン授業をしているという話をしたら、 「それは公開処刑」「自分が違う場所にいることをつきつけられているようなもの」「

      • 環境調整をはじめて、娘の暴言暴力とスキンシップが激しい。きっと初めて全力でママにぶつかってきた。

        カウンセリングへ行きだしてから、環境調整がはじまった。これは というもの。 私はこんなことが自分にできるのか?と疑問だった。案の定、すぐに心折れてへこんだ。何度も折れた。でもヨナの前では折れた様子を見せてはいけない。 これを初めてすぐに、学校へは行かなくなったし、朝ゆっくり起きてきて着替えもせずにYoutubeを見る。 食べたお皿もさげない、ごみは床に捨てる、勉強や宿題、もちろん一切しない。机の上をはだしで歩く。夜は11時半まで起きてテレビを占領する。習い事も急に休むって

        • 第2回吃音カウンセリング。「うん」って言おう、って練習するのやめよう?

          第二回吃音カウンセリング。メンタルリハーサルの導入。先生が言ってくれてヨナが目をつぶってイメージする。その繰り返し。 これに毎回お題があるので、毎日ふとんに入って行う。 ヨナが「うん」と返事したら、先生から 今、「うん」っていうぞって考えた?いえるかなって怖かった? 頷くヨナ。 もう、そんな練習やめよう。やらなくていいんだよ。歩くのと同じ。何も考えずにしゃべろう。つっかえてもいいじゃない。 うん、と言いながら涙をうかべていたヨナ。これまで辛かったよね。 「うん」という一言

        不登校の親が担任にできるお願い具体例。スクールカウンセラーさんから聞いた

          第3回吃音カウンセリング。吃音で落ち込んでる時間が1日2.5時間→15分に。

          ※過去のことを振り返って記録しています。前回のヒアリングで、吃音を指摘されたりからかわれた回数や、吃音への恐れ、どもるであろう言葉の言い換え、会話の回避、吃音でうまく話せなかった時の後悔をヨナに聞いて数値化していた先生。 今回、カウンセリングで指示された環境調整とメンタルリハーサルを経てどのぐらい効果が出ているかを計測するために再度ヒアリング。 なんと環境調整が始まる前は、学校で、家庭で、1日2.5時間もそのことを後悔して落ち込んでいた。それが今回の結果、たった1カ月で15分

          第3回吃音カウンセリング。吃音で落ち込んでる時間が1日2.5時間→15分に。

          先生からの提案。放課後の登校

          ヨナの先生から電話があり、来週から放課後に学校へ来て図工の制作を一緒にやらないかと提案してくれた。 先月から、毎週ヨナの携帯に直接電話して雑談する時間を作ってもらっていて、電話よりも直接会ったほうが授業に参加してる感じがするし、どうですかとのこと。クラスで一緒に参加したいメンバーを募ってやってみたいと。(ここはヨナに確認してヨナさえよければ、と) とてもいい話だと思った。 これまで掲示物はできるだけ家で実施して、クラスのみんなと並べて掲示してもらっていた。でもその様子をヨナが

          吃音治療中で不登校のクリスマス。よなはめちゃめちゃ話す。私は泣いた

          今日は学校の先生の配慮で、クリスマス体育という授業をしてもらった。それについて先生から電話があり、ぜひ来てねとのこと。先生よなに一人で日直させて笑い者にしたり、ろくでもない方だったけれど、この配慮は嬉しかった。その日の帰り、お友達と帰ってきていいよというと喜んで行った。 帰りに一緒に帰ってきたお友達もつれてイオンに買い物へ。 先生から電話があり、「心配になるほどハイテンションで!喋りまくっていました!」「クリスマス体育の時も、ふと目を離してまた見たら、クラスの前に立ってゲー

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          長いこと辛くてnoteを更新できなかった。今は明日学校へ行かせることよりも、10年後には笑えるようになってるよとおおらかに思える方が大事と思える

          こんにちは。よなの以前のnote更新から半年もの月日が流れていました。 この半年間は、あまりにもしんどくて、辛くて、この世の終わりみたいなところに行って帰ってきた感じです。 ・娘の不登校 ・娘の進級 ・下の子の保育園問題 ・主人の古い考えの説得 ・娘にとっては、今の地域という環境が悪すぎる説 ・私の実母の干渉 ・私の孤独感との闘い ・カウンセラーの先生との出会い ・家庭教師のはじまり ・フィリピンへの留学と移住も含めて検討 ・自分の時間の確保を優先した 詳しくは、また記事

          長いこと辛くてnoteを更新できなかった。今は明日学校へ行かせることよりも、10年後には笑えるようになってるよとおおらかに思える方が大事と思える

          2021年12月、ほぼ不登校に。治療の環境調整のため、学校欠席を受け入れ認めざるを得ない状況。相談室4回目

          12月21日、よな(仮名)は午後から学校へ行くようになった。 給食の時間の直前に教室に入るのが定番。 私は仕事を中抜けせざるを得ない。よなが学校へ行くのを最優先したかったので、社内でも重要な会議やwebでの商談はその周辺の時間には入れないようにしていた。 せめて午後からでも行ってほしくて、効果的だった声かけは下記。 ・ 友達連れて帰ってきていいよ ・ お迎えに行くよ 幸い友達は大事にしているようで、喜んでみんな遊びに来る。 誰かと帰ってくるのが定番になって、リモートワーク

          2021年12月、ほぼ不登校に。治療の環境調整のため、学校欠席を受け入れ認めざるを得ない状況。相談室4回目

          都筑先生の本「吃音は治せる」を読んで、親として悲しいが腹落ちしてしまった

          吃音を専門とされている都筑先生の著書を、先生の相談室を訪問する前に読んだ。この本は現在廃盤になっているらしく、中古でないと購入できないプレミア価格。それでも読んでおこうと思ったのだ。 結論、納得した。ずっと認めたくなかったが、吃音は親の責任もあると私は理解した。 ※ここで私が書くのは、自分が読んで、多分このnote書いてる今も悲観的に思い込んだことであり、一般の親に対する決めつけではないことを理解してほしい。 最終的に先生は「子供の性格と親の接し方のバランス」と丸く書い

          都筑先生の本「吃音は治せる」を読んで、親として悲しいが腹落ちしてしまった

          吃音で通い続けた言語聴覚士の3年。このままではダメだと都筑先生のもとへ

          娘が発吃してから3年。近所の言語聴覚士さんのもとへ通っていた。 毎回「先生どうですか?」と聞くが、「そうですね、詰まらずに読めてましたよ」「少し調子悪いですがまぁ様子見ですね」という返事だった。吃音は目に見えて効果があるものでもないし、仕方ないのだけど。 家に帰って主人からも「様子どうだった?先生なんて?」と聞かれるが、曖昧な返事しかできず、心はモヤモヤしてた。 娘が日直を一人でやっていると聞いた。クラスで笑われて嫌な思いをしたと。それからみるみる症状は悪化した。 そ

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          5歳の娘の吃音は突然、始まった。自分が愛されていることがただ申し訳なかった

          娘が5歳の頃、お友達の家でのハロウィンパーティの帰り。突然声を出すことが難しくなり、自分でも驚いていたようだった。体を大きく反らせて思い切り声を出さないと喋れない。 そこから暫く、ほとんど話さなくなった。明るさがとりえの娘だったのに。保育園のハロウィンパレードの時、みんながワイワイする端っこでお化けに「トリックオアトリート!」の「ト」が言えなくて、大きく口をあけたのに静かに閉じて、うつむいていた顔が、今でも頭から離れない。 私は驚いて、小児科医のお友達に相談した。 内科を

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