見出し画像

やり残したセーブデータ。

先日、久しく会っていなかった友人から連絡があった。

夜中に突然、Twitterにダイレクトメッセージが届いていて驚いた。僕が悪いのだが、彼女とは僕から連絡を絶っていた。厳密にはどちらから連絡を絶ったのかは判断が難しいところなのだが、まあトドメを刺したのは僕の方だった。Twitterでは本名を明かしていないので、どう見つけ出したのかは驚いたが、よくよく考えれば私のハンドルネームは散々ゲームでも使い回らされたものだったので、昔から僕を知る彼女からしたら本名を晒しているのとそう差はなかっただろう。

思い返せば、連絡を取らなくなってから実に六年半もの月日が経っていた。その間に僕は前頭部の剃り込みの広がりを気にし始め、一日中座り仕事をすれば節々の痛みが数日響くような歳になっていた。彼女は同い年であるので、きっと彼女も年相応の姿になっているのだろう。募る話も適度に切り上げて、数日後の夜に飲みの約束をした。

彼女の住む隣の街まで会いに行った。彼女と最後に顔を合わせた改札を出て、すぐ真ん前にあるエスカレーターを駆け降りて、よく一緒に食事をした商店街を抜けて、待ち合わせ場所であるJR側へと抜けて行く。六年半ぶりに会った彼女は、以前は肩甲骨までかかっていた髪が肩にかからないくらいの短髪になっており、少しだけ茶色く染めていた髪も黒くなっていた。額には少し皺ができていたが、以前には無かった大人びた雰囲気を漂わせており、それが美しかった。おそろく以前の僕ではそう感じなかったであろう。僕自身のこの感想にもこれまでに重ねてきた年月を感じた。

特に当時の仲違いについてお互い謝罪する事もなく、お互いそれを求める事もなかった。共有していなかったお互いの六年半を少しずつ埋めていき、ただ笑い合うだけの数時間を過ごし、変に気持ちが浮かれてしまう事もなく、その会を静かに終えた。会わなかった間のズレを感じる事もなく、本当に会わなくなってからの"続き"だった。自分では消したつもりでいたやり残したゲームのセーブデータが、偶然にもクラウド上に残っているのを発見し、それを起動した。そんな感じだった。

それで良かった。
僕も、多分彼女もそれを望んでいる。

人生は地続きだ。自分では捨てたつもりの過去だって、結局のところ地続きに繋がっている。
そしてそれは、決して悪い事ばかりではないようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?