見出し画像

牛とじうどん

8月21日、月曜日。
湯船に浸かりながら、明日の昼ごはんについて考えていた。

毎週火曜日は、とある蕎麦屋で出前を注文するのが事務所のルーティーンなのだが
そこの牛とじうどんが好きで毎週頼んでいる。


「あぁ、なんか今幸せかもしれない。」
珍しく、ふとそう思った。

特別な出来事があった訳でもないし、心身の調子がいいかと言われればむしろ最近は微妙。
電車も相変わらず怖いし、食欲も(マシにはなってきたものの)まだまだ夏バテ真っ最中。
おまけに最近は定期的に来る省エネモードに突入していて、人と会話する度にモヤモヤする日々が続いている。

ただ、最近はそれらを受け流し
「まあいっか」という言葉を自分にかけられるようになった気がする。
足繫く通っているカウンセリングのお陰だろうか。


僕は今まで"幸せになりたい"を原動力に、健やかなる時も病める時も過ごしてきたけれど
僕にとっての幸せのファクターになりうるものは
「自分らしくいられる時間の総量をいかに増やせるか」
「自分という存在がこの世にいた証をいかに遺せるか」
この2つだとずっと思っていたし、それらを実現したいという願望は今も絶えずある。

ただ、これらのものは難易度も高ければ、再現性も低い。
ここに重きを置きすぎると、「幸せでない時間」の方が多くなってしまう。

実際に今まで、高級品で満たされている時や、見た目のいい恋人がいるとき、上辺だけの浅く広い人間関係を持っていた時など
"世間的に幸せそうと定義される状態"にあるときでさえ、あまり自分は幸せだと思ったことがなかった。
それに気づきたくなくて、「きっと今幸せなんだ」と自分に言い聞かせ続けていたように感じる。


ほっと一息、心の奥底が緩んだとき
特別な何かが無くたって、幸せなのかも。

モノや娯楽に溢れた世の中だけど
意外と身近に幸せは転がってるのかも。


牛とじうどん、今日も美味かったなぁ。





                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?