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2022/9/27宗岡茉侑生前葬弔電

さる9月27日、わたくし宗岡茉侑の生前葬を行いました。 また式に至った経緯や、式の内容の詳細は別記事において書き記したいと思いますが、 すべての弔電を式中に読めなかったこともあり、 頂いた弔電のなかから、掲載許可を頂けたお言葉をこちらに掲載させていただきます。 弔電というより、皆様がわたくし、宗岡茉侑(または宗岡ルリ、myau)の人間性であったり、書いてきた文章であったり、行ってきたパフォーマンスであったり、持っている思想であったり、わたくしの生きてきた人生に、まっすぐ対

    • 八月短歌

      おごそかに線香花火分け合ってささやかな死を繰り返す夏 お国から貢がれる身になればこそお国のためには死なぬと思う 「散りぬべき時知りてこそ」つぶやきて 開かなかった花火として生く 偶然に浴衣で歯医者へ行く日なり きちがいなれどこういうのじゃない 美しさ 黒髪ぱっつん長髪のお化けでありたい その 美しさ 人形のソバージュ切ればたくさんの 光ふるふる祝福のごと 布噛んで心中道行しずしずと涙を拭かぬ傲慢こそ美 ぴらぴらの簪買ってとねだれども どこにもなくて国を呪えり

      • 緊縛と自己肯定感

        先日、緊縛界の第一人者である有末剛先生の緊縛教室京都クラスにモデル参加させていただいた。 もともと私は緊縛が好きだが、自分が縛られる経験はなかった。 まず、主催の女性の方が、注意事項として、個人的な連絡先の交換はやめてください。と言われたのがとても良かった。 生徒さんもモデルさんも、みなさん本当に感じのいい方々で、ヘンタイの世界、であるがゆえに?それに真剣で、一分一秒無駄にしてなるものかという気概を感じた。 いままでショウや御本、DVDで拝見していた 有末先生はお会いし

        • 掌ニ穴ヲアケタルコト

          掌に穴を開けた。 正確には水かきの部分、ハンドウェブと言われるピアス、左手の人差し指と中指の間である。 14Gのニードルで刺して貫通させてある。 以前、左手の親指と人差し指の間に穴を開けていた。 半年ほど共に過ごしたが、練炭自殺未遂をしたとき、気がついたら外されており、穴も塞がってしまっていた。 私はそれがとても悲しかった。 私はピアスにそこまで興味のない人間だと思う。 ただ、掌となると、話は別のようだ。 以前、手首に開けていたこともあったが、あまりしっくり来ず外してし

        2022/9/27宗岡茉侑生前葬弔電

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          3本

        記事

          七月短歌

          注染の浴衣の薔薇よ 愛すれば愛するほどに青く染まる指 色水の流れてゆくにまかせては洗う注染 夏は来にけり 鞄から出ているうさぎの両耳も 優先座席に座す理由とされ 二万でと声かけられて五万でと 答えるほどには貧困である 「妖精の翅もぎったの」 300円のネイルホリックで指先染めて いちじくの木を呪うよに夜毎われ トリキュラーの色見つめ飲み込む 自殺企図のちの仕打ちの月経にラジオは森田童子を流し 雨あがりぬらり線路の黒色の終末ののちの世界うるわし かささぎが橋をわ

          七月短歌

          短歌を詠むこと覚え書き

          最近Twitterにて短歌を詠んでいる。 わたしは 短歌の勉強などしたことがない。 唯一、穂村弘の「はじめての短歌」を詠んだことがあるくらいだが、 あれは短歌入門の本というよりは人生のある一面の価値に向けようというような本だと思うので…。 7年ほど前、自分の好きな二次創作BLの短歌アンソロジーを主催したことがある。 当時はそのCPが好きで好きでたまらず、世界にちらばるそのCPのかけらを拾い集めることに必死だった。 どうしてもそのCPの短歌が読みたかったし、詠みたかった。

          短歌を詠むこと覚え書き

          ロリィタ短歌まとめ

          2022年7月1日〜31日まで、Twitter上で オトナアリス主宰で川野芽生さんの短歌を毎日一首アップしてゆく、という、#地上のアリス という企画が行われていた。 私はとても嬉しくなって、他のロリータさんの歌も読みたいと、 #ロリィタ短歌 というタグを作って自分も詠むことにした。 勝手に周辺企画として、私も一日一首、あげることにした。 この記事はそれのまとめである。 【7月1日】 Lolitaは鎧だなんて苦しみの言葉を越えてゆけるよぼくら 【7月2日】 この夜を

          ロリィタ短歌まとめ

          鴨川デルタで腕切ってたとき

          昨年の六月に二度目の自殺企図をした。 その前に、色々と限界であったのだろう、4月21日に鴨川デルタで腕を切っていた。(写真が残っていたので日付がわかる) その時のことを思い出したので書こうと思う。 人生それ自体を面白くしようとすることに余念がない私だ。 その日はどうしても死にたい気持ちがおさまらず、でも数少ない友人たちとの鴨川飲みの日であった。 ネイルの学校の授業が終わって、駅まで15分歩く。その15分の徒歩移動に耐えられず、途中で座り込んでしまった。 とても天気の

          鴨川デルタで腕切ってたとき

          精神科病棟での生活4(面会)

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          精神科病棟での生活3

          どうしても恋人に逢いたかった。

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          宇治徳洲会病院編

          「自殺未遂した日のこと」、の続きです。 このあとの記事は「精神病院入院一日め」になります。 つぎに目が覚めたのはそのまる3日後の夜中だった。 死ねなかったんだな、と思ってめちゃくちゃに泣いた。本当に死にたかったんだなとその時思った。死ねなくて情けなかった。また生きなきゃいけないのかと、せっかくのチャンスを逃してしまったと悲しい気持ちでいっぱいだった。 当然、生き延びることが出来たという喜びは全く感じなかった。 あのまま死にたかった。 ただ、長年の疑問であった、練炭自殺は果

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          自殺未遂した日のこと

          自殺を助長、誘発する意図はありません。精神的に不安定なときに読まれると、内容に引っ張られたり、フラッシュバックを起こしたりする可能性がございますのでおすすめしません。自己責任でご覧くださいませ。

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          自殺未遂した日のこと

          生きること所懐

          2022年3月11日 暖かくなってきた。嬉しい気持ちと焦る気持ちがある。 練炭で死にづらくなるからである。

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          宗岡ルリだった

          私は2008年〜2013年ごろまで「宗岡ルリ」という芸名で演劇をしていた。 宗岡ルリは私の中でただの芸名を飛び出して、ひとつの理想的な人格、また、外部のさまざまな目線から作られる実態のない仮想人格のように機能していた。 私はそれに現実の肉体が耐えられなくなって宗岡ルリという名前を捨てた。 その後は演劇や映像作品に出る際も、本名である宗岡茉侑を使用している。 いまだに私のことを「ルリちゃん」「ルリさん」「るりりん」と呼んでくれる人もいたり、私はそれは特に嫌ではなくわざわざ訂正

          宗岡ルリだった

          愛する私のJane Marple90's collection

          私はJaneMarpleをとても愛しているけれども、全く詳しくない。 沢山のお洋服を所持しているけれどもほとんどが古着で購入したものだからだ。 おちついたJaneより、はすっぱなMILKの方が性に合っていたし、私がロリータに目覚めた頃のJaneにはほぼ魅力を感じていなかった。 けれども今、私を最も狂おしく悩ませるメゾンはJaneMarpleである。 特に、90年代のJaneMarple。ままごとみたいにかわいらしい洗濯表示や、大きな白いタグのついたもの。 かたっぱしか

          愛する私のJane Marple90's collection

          ヴィパッサナー瞑想のこと

          2012年10月に書いた、ヴィパッサナー瞑想の合宿に参加したときの記事を発見したのでこちらに転載しておく。 後半の記事は結局書けずじまいである。 いま振り返っても、人生で一番つらかった10日間であった。 9月25日~10月6日まで、日本ヴィパッサナー協会さんの10日間のセミナーへ参加してきました。 忘れないうちに、この10日間のことを 振り返りたくて書きます (はじめに) 今日帰ってきました。 まだ、夢から覚めないような、夢だったような、 戻ってきたもとの生活がほんとうは

          ヴィパッサナー瞑想のこと