緊縛と自己肯定感

先日、緊縛界の第一人者である有末剛先生の緊縛教室京都クラスにモデル参加させていただいた。

もともと私は緊縛が好きだが、自分が縛られる経験はなかった。

まず、主催の女性の方が、注意事項として、個人的な連絡先の交換はやめてください。と言われたのがとても良かった。
生徒さんもモデルさんも、みなさん本当に感じのいい方々で、ヘンタイの世界、であるがゆえに?それに真剣で、一分一秒無駄にしてなるものかという気概を感じた。

いままでショウや御本、DVDで拝見していた
有末先生はお会いしてみるととてもサッパリしたお人柄で、縄の世界の方ながら、中途半端なエロの感じがない。とても素敵だと思った。

的確に重心をとらえ、ひとりひとり違う身体の構造の場所を的確にとらえ、縛られる。

まるで川辺の小石を積み上げるようだと思った。


私がまず感じ驚いた事は、縛られている方が楽であるという事だ。
縄が自分の身体の延長であるような感覚、
パワードスーツを着ているような。
拘束されるということは、それに身を委ねてしまえば、自分だけで自分自身を立たせているよりずいぶん楽なのである。

後手縛りをされても、はじめは自分自身の筋力で後ろ手を組まなければならないが、縄で縛られてしまえば、もう力を抜いても身体がその形になっているので楽である。
身体が吊られても、自分で立つよりたくさんの縄が手や筋肉の代わりをしてくれるような感じで、非常に楽であった。身体をこわばらしたり、抜けようともがけばそれは責めとして立派に成立するのだが、
身を委ねきってしまえば、幸せな感覚である。


この、「身を委ねる」という感覚がとても大切でありそれこそがこの世界の肝のように感じる。
委ねる人は(今回はモデルなのでたくさんの方に縛っていただいたが)私が決める。
ペアーになるにはかなり高度な信頼関係が必要であり、それを一瞬で構築できることが先生の凄さの一つとも思った。


その日、お昼ご飯たべたあとくらいからなぜか吐きそうになっていて、緊張なのか何なのか、良くないもの吸いすぎたのか薬飲みすぎたのかマスク酸欠だったのか、いろんなことが重なって、
途中吐きそうになって離席してしまったものの皆様優しく、私は非常に申し訳なかった。
すこし休んだら回復。
目がちかちかしていた。
自分の体調の変化、意外と自分ではなかなかわからないので注視し続けなければならないな。


私の身体なんて、ちんちくりんで最近はかなり太り、首やお腹には猫背線がくっきりついてしまっているし、
顔はでかいし首は短く、鎖骨もほぼ見えないし、足首手首は太く、嫌なところだらけなのだけれど。

有末先生は、縛るのに本当にちょうどいい身体の大きさだと言ってくださった、
そして、強いね、身体がやわらかくいいね、鑑賞に耐えうるね!と。
少し肉がついている方が映えるのだと言ってくださった、
肌が白く、極めて日本的な体型の方が緊縛には向いていると。
すごくいいね!と言ってくださった、
それがお世辞に聞こえず、嫌にも思えず、なんだかとてもとても嬉しかった。
本当に目を見張るほど体型もお顔も美しい美しいモデルの方もいらっしゃったのに、みんな違ってみんないい、といった感覚を本気でもたれているように感じた。

有末先生の作品

縄を解かれると、一気にいままで感じていなかった重力が身体にのしかかり、1人で立つのはこんなに大変だったのかと感じる。
ぼーっとするような、プールに入った後のような心地よい脱力感と体のだるさがあり、非常にとろんとした感じになる。

生徒さんの作品

縛られるとき、私は物である、私は誰かの物である、そう言い換えることもできるかもしれないが
そのように厭世的でマッチョな世界ではなく、言葉にするのがなかなか難しい、優しい世界であった。

物になることの心地よさなどは特に感じず、高度なコミュニケーションを感じた。
その中で、遊びとして、縛られたまま、転がされるなどすると私はときめいた。
身を委ねきることは心地よく、よく言う抱きしめられている感覚を私も感じた。
それはとても面白く安心する心地であった。
しかし、セクシーな気持ちにちっともならなかったのは逆に不思議であった。自分がどんな格好になっているか、自分からは見えないしね。

女性の縛り手さんに縛られるとまた違うのかもしれない。
男性の縛り手さんだと、とにかくこれは「遊び」である、セクシーな雰囲気になってたまるか、色気のある遊びをしているが、セクハラになってはならない、という気持ちが(お互いに)先にたって存在している。
それは本当に大事な意識だし、それを持てない奴はここに来てはならないと思う。
とにかく笑いが沢山起きていて、爆笑してしまうことも多々。
セクシーな顔をして写真を撮りたいのに笑顔になってしまうので困ったりした。
その笑いは多分、意図的に起こしているが、無意識下の意図である。

同性の縛り手さんだと、これらの壁がもしかすると壊れるのかもしれない。踏み込んだ関係になる可能性を感じた。

笑ってしまう


またぜひ機会があればやりたい。
こんなに褒められるのは久々であったし、天性のもの、と言われたことがとても嬉しかった。
もともと、ストリッパーになってみたかった人生だったり、デッサンのヌードモデル(友人でやっている人が多く憧れていた)をやりたかったけど踏み出せずに生きてきたこともあり、
少しこの世界を探検してみたいと思った。

もちろん、自分の身体と心を大事に。

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