ヴィパッサナー瞑想のこと

2012年10月に書いた、ヴィパッサナー瞑想の合宿に参加したときの記事を発見したのでこちらに転載しておく。
後半の記事は結局書けずじまいである。
いま振り返っても、人生で一番つらかった10日間であった。


9月25日~10月6日まで、日本ヴィパッサナー協会さんの10日間のセミナーへ参加してきました。
忘れないうちに、この10日間のことを
振り返りたくて書きます

(はじめに)
今日帰ってきました。
まだ、夢から覚めないような、夢だったような、
戻ってきたもとの生活がほんとうは夢だったような、不思議な気持ちです。
何が変わったのだろう、これからどうなっていくんだろう、
でも、あせらず、ゆっくり、いればいいんだ、と思ってます。

ぜんぶ、ぜんぶ書こうと思うんですが、
ヴィパッサナーに興味がある方は、読まないほうがいいと思います。
何も頭に入れず、とにかく行かれてみては。
私は全く真面目な修行者ではありませんでしたが、
いろいろ得た、というか気付いた、というか、見えてきたものがすごくありました。
有意義な10日間だったことは間違いないです。


(ヴィパッサナーとは)
ダンマの実践により、心の浄化を目的とした瞑想法、ということのようです。
コースの間じゅう、ものを書いたり読んだりすることは許されていたいので、すべて頭のなかで整理(できてないけど)したことですが以下のように理解しました。
反転→ダンマとは、シーラ(道徳律)を守り、サマーディ(心の統御)をし、パンニャ(知恵)を持つこと。
その道は八正道。
八正道をゆけば、いつの日にか心を浄化することができ解脱にいたることができる。
そのためには、パンニャの最高レベル(自分自身の経験から、真実の知恵をもって判断すること)が不可欠である。
真実とは、(アニッチャ(無常)、アナッタ(無我)、ドゥッカ(すべては苦である))。
パンニャを、自分自身の身体の中で、自分自身の体験として、体得する、そうして悟りに至り解脱する、
そのための、『実践的』な瞑想法、である。

一番、重きがおかれるのは、
冷静な心で、観察をすること。
すべては自分の中で起こっている、6つの感覚器官(心も含むので)がなければ、私たちは苦を生みだすことはない。
感覚がおこるとそれに反応(サンカーラ)し、嫌悪のサンカーラ、渇望のサンカーラ、がどんどん心にたまってゆき、そのせいで人は苦悩する。
すべてのことは、アニッチャであり、発生消滅を繰り返している、ゆえに、すべての感覚はアニッチャである。
そしてまた、いつも同じ私、というのもは存在しない。
そんなうつろいやすいものに、渇望を嫌悪を抱いたとてどうなるだろうか。
ただただ、観察をする、静かに、平静な心で。
それに反応してしまうと、また新しいサンカーラを生みだし、また新しい苦悩を生みだしてしまうことになる。
ただ、観察する。ただただ、観察し、すべてのサンカーラを滅して、心の浄化をする。



(きっかけ)
ただふらーっと立ち寄ったスピリチュアルなお店で、
瞑想修行のチラシやら、シャーマン養成のチラシやらを目にして、
瞑想に興味を持った、それだけです。
インターネットで調べると、
京都の山奥で10日間誰ともしゃべらず一日中瞑想する、というセミナーがあるというじゃないですか。
ヴィパッサナー協会さんのサイトを見てみると、
それだけで泣きたくなるくらい、今の自分に必要なことのような気がしたんです。

(スケジュール)
4日目昼まではアーナーパーナの修行、4日目夕方からはヴィパッサナー、最終日10日目はメッタヴァーヴァナ。

朝4時<起床>
4時半~6時半<瞑想>(ホールか部屋で瞑想)
あさごはん
8時~9時<グループ瞑想>(瞑想ホールでみんなで瞑想)
9時~10時半<瞑想>
ひるごはん
13時~14時半<瞑想>
14時半~15時半<グループ瞑想>
15時半~17時<瞑想>
お茶の時間
18時~19時<グループ瞑想>
19時~20時半<講話>(ゴエンカさんがいろいろお話してくれる)
20時半~21時<瞑想>
21時半<就寝>

(施設とか)
とてもきれいなところでした。
(きれいにしてくださってる方がいるから!ほんとに感謝感謝ですよ)
今回の参加者は私(21さい)が最年少だったみたいです。
新しい生徒は、男性13人、女性は19人?古い生徒の方も何人かいらっしゃってました。
みなさん細くておきれい。
最終日(メッタの日)にいろんな方とお話させて頂いたのですが、みんなやっぱなんていうか変でした。
基本的に放浪してはった。

(1日目)
【講義の内容】(反転)
まず、五つの戒律を守り、アーナーパーナを教えてください、という請願をしました。そうしてまず教わったのが、呼吸の観察。呼吸をコントロールするのではなく、自然な呼吸、普通の呼吸、を、ただ、観察する。というもの。
【わたし】
ほんとに、ほんとに、しんどくて、しんどくて、まじで逃げようと思いました。
なんで来たんやろうなんで来たんやろうなんで、バイト先のひととか稽古場ほっぽり出してきたんやろう、とか、もう後悔後悔の連続でした。
座り方もわからないし、瞑想ホールでの席が一番前やったのもなんかプレッシャーだったり、
もう身体中痛くて痛くて、うわっこれ頭おかしくなる!って何回思ったかわからないです。
その痛みの中で、いろんなイメージが一瞬で浮かんで消え、浮かんで消えて、
アブストラクトなものが多かったですが、、知らないけど麻薬のような、悪夢みたいな。
一日目が終わった時は、これ、終わるのかな、あと一週間以上もこうやって生活するなんて地獄だ、ってほんと思ってました。
甘ちゃんですが、私よりしんどい状況のひとをおもいうかべたりして。。(戦場の兵士とかさ)

【聖なる沈黙について】
わたし、10日間ひととしゃべらない、とか、ザラにあるんです。
だから全くストレスありませんでした。
目をあわせてはならない、ジェスチャーしちゃいけない、とかも、
むしろありがたかったくらいです。
言葉がないと、人は冷たくみえるけれど、自分はまわりに優しくなれる。
一挙一動静かになるし、不満があっても伝えるすべがないから、自分で解決するしかない、
自分で解決できることをいかにいままで言葉に依存して、他の人のせいにしていたか、と思い知りました。
言葉にしなくていいことはたくさんある。

【ごはん】
菜食。不殺生を守るためか、結構厳格な菜食だったようです。はじめての菜食ワクワク!
最後まで、全然飽きたり肉たべたーいとかもなかったし、食事はもう満足満足でした。
古い生徒さんのボランティアで成り立っている、というのがほんとうにありがたく、感謝の気持ちでいっぱい!
サラダばっかり食べるのかなーとか思ってたら全然そんなことはなく。
玄米がほんとにおいしくて食べ過ぎないようにしなきゃいけないのに、わたしむりでした。
0日目はおそば、
1日目朝はおそばのリメイク料理、昼は豆乳スープ、お茶の時間はフルーツ(りんご、バナナ、オレンジ)


(2日目)
【講義の内容】
呼吸の観察。呼吸が皮膚にあたっている感覚。を、ただ、ただ、観察する。
【わたし】
しんどかった。耐えられなくて、夜、ひとりでふとんの中で泣いてました。
私、ライターを持っていたんです。
だから、逃げだせないのなら、もう、この建物焼いてやろう、いざとなったら焼いてやろう、と思って耐えてました(おわっとる!)

でもまだ、座り方と息のしかたがわかってきたために、すこし楽に。
すると、数を数えはじめたり(これやっちゃダメ!!!)、好きな人たちのこととか思ったり(これもだめ)、
心がほんと、楽なほうに楽なほうに、って、フラフラしはじめる。だめ!!だめ!!!

あと、これもまた主旨に反するとおもうけど、収穫のひとつとして、
自分の身体の、骨のこととか筋肉のこととか
めっちゃ観察できました。ここが曲がるとこうなるのかー、とか、腹筋に力を入れると背骨はこうなるのかーとか、
息を入れる場所を変えると肋骨と肩甲骨のがひろがって伊丹がやわらいだり増したりする、とか。
私の顔面表情筋のクセとか、もういろっいろ。
そして、長く座っていると、あれです、正しい姿勢が、一番骨に負担かからないです!当たり前かもしれないけど、
心から実感しました。骨を支えるために筋肉はあるのだなーと。(ほんとかどうかはしらんけど)
筋肉がないと、骨を支えられないからどんどん痛くなっていきました。

【ごはん】
いきなりおぼえてないわ、、、、、
おでん?だった気がします。

(3日目)
【講義の内容】
呼吸の観察。上唇を底辺とした、鼻全体を覆う三角形の部分に意識を集中して、そこに感じる感覚を観察する。
かゆみ、暑さ、もぞもぞしたかんじ、など。わからなければ、呼吸に意識を集中して、観察する。感覚を感じたら、そちらに意識を集中。
【わたし】
しんどかった。でも、横着するすべを身につける(寝る)。
最低ですが、普段の生活リズム(朝8時就寝~昼15時起床)から、
(朝4時起床~夜9時就寝)にいきなり変えても、眠れるわけがなく、午前中に寝てしまうことが多かったです。
部屋のひとたち(7人部屋)はたいてい真面目に修行してはった。
わたし、この時点では、朝の2時間瞑想とかもうほとんど捨ててしまってました。
【ごはん】
めっちゃおいしかった、ベジ仕様のトマトソーススパゲッティ!
もう一回たべたい!!豆がいっぱいはいってて、うん、おいしかったなー!味濃いめのものを久々に食べた気分。


(4日目)ヴィパッサナーの日
【講義の内容】
アーナーパーナの三角形の部分を、上唇から鼻孔まで、と範囲を狭めてから、昼、ヴィパッサナーの講義。
身体に起こっている感覚を、頭の先からつま先まで、ひとつひとつ、細かく細かく部分に分けて観察してゆくというもの。
その間、全く、身体を動かしてはいけない。
当然、痛くなるし痒くなるし、でも、その感覚に対して、すこしの嫌悪感も抱いてはならず、反応をしてはならず、ただただ、静かに、平静な心で、じっと、観察をする。

【わたし】
ヴィパッサナーの講義は、正直、衝撃的でした。
5日目に逃走をくわだてる生徒も多い、という話だったので、心してのぞんだんですが、うん逃げるわそりゃあ!という。
でもほんとうに、楽できる逃げ道がなくなった!!と思った、講義を聴きながら泣けてきて、
そのあとのグループ瞑想で、もう逃げない!やったる!ちくしょー!とおもってやったったら、
意外とできたので、ちょっと自信がつく。

そのあとの講話で号泣。
なんで泣いたのか思い出せないけどほんとしんどかった、
わたしは、ひとり、ほんとにこんなに孤独だったことがかつてあっただろうか、と思っていた気もする
次の日から先生がとても優しく接してくださって救われた気持。

この時点では、脱力のときに行う、身体が重くなっていくイメージとか、身体の境界線とか、セメントを入れていくイメージとか、と似てる、と
思っていたのですが、
あとから全く違うな、と思いなおしました。
イメージの助けを借りない、ということは、はるかに難しいです。
そんで、実際にめちゃ集中してみると、感覚が生々しくて、かつ、要素に分解されていくかんじがわかって驚きます。
ほんとにストイックな瞑想法やなーと。
型とか、理論の理解とかはどうでもいいけど、
とにかく自分にストイックに努力することを要求されるところが、とても好感が持てました。
これは万人のための生きるすべなんだな、という理解はすんなりできた。


ふわー!前半はとりあえずこんなかんじです!後半は明日書けるかなー。

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