鴨川デルタで腕切ってたとき

昨年の六月に二度目の自殺企図をした。

その前に、色々と限界であったのだろう、4月21日に鴨川デルタで腕を切っていた。(写真が残っていたので日付がわかる)
その時のことを思い出したので書こうと思う。

人生それ自体を面白くしようとすることに余念がない私だ。

その日はどうしても死にたい気持ちがおさまらず、でも数少ない友人たちとの鴨川飲みの日であった。

ネイルの学校の授業が終わって、駅まで15分歩く。その15分の徒歩移動に耐えられず、途中で座り込んでしまった。

とても天気の良い気持ちのいい日だった。

とりあえず薬を飲んだと思う。

あまりにも死にたいので電車に飛び込もうかと思った、そうでも思わなければもう歩けないと思った。

しかし、薬を飲んだら、とりあえず、出町柳まで行こう。という気持ちになった。
それから考えよう。

集合時間まではしばらくあった、とりあえず一旦、鴨川デルタに行こう、そうしたらげんきになるかもしれない。
どうしても無理だったら暇つぶしに腕を切ろう、そうしていたら誰かが迎えに来てくれる。

なんとか自分を鞭打って出町柳まで行き、デルタで寝た。

あんまり天気がいいものだから、悲しくなって、もしくは嬉しくなって、もしくはそのどっちもを持つ言葉のない気持ちになって、ああもう、腕を切ろうと思って切った。

カッターは常にたくさん持っている。
オルファの黒い安いやつが好きだ。

血がぼたぼたとデルタの石を染める。

私は腕を切るのがきっと好きなのだと思う、死にたい気持ちと腕を切りたい気持ちは、同時に起こることもあるが、違う気持ちだ。

アスリートの気持ちで切っている(というと失礼か?)
もっと深く、もっとたくさん血が出るように。痛いのでびびるが、そのびびる気持ちを理性で制することに楽しさがある。

薬を飲み、腕を切りながら眠ることは、私の生のなかでかなり快いこと、のひとつである。
母の乳を飲みながら寝るのはこのような気持ちだろうかと思うほどに。

これで死ねるなんて全く思っていないし、そんなに深く切る気もない。
腕を切り落とす気概でいかなければ動脈なんて切れやしない。快くなりたいのに痛いのは嫌だ。

血が固まってきて、ぬるぬるして、どこを切れば良いのかわからなくなってきたので、飛石のところまでいって腕をさらした。

そうしていると、「そこ、渡りたいので少し退いてもらっていいですか」
と言われた。
私は笑顔で「あ、すみません」
と言って川から腕を取り出し、退いた。

内心、こいつ頭大丈夫かと思った。
でもあきらかに頭がおかしいのは私である!!

また戻って腕を切っていた。

そうすると、中国人留学生ふたりが声をかけてきた。
なんて優しい人たちなのだろうか。

私はにこにこと笑って、大丈夫大丈夫とひたすら言った。

今から飲み会なの、あなたたちも一緒に飲む?と、
ひたすらGoogle翻訳をかけて会話をした。

向こうは、病院に言ってくれとひたすら言っていた。しょうもないこと言うなあと思った。どうせ声をかけるなら、もっと面白いこと言ってくれよ。

友達が迎えに来るから大丈夫だよ、と私は言った、こらも縁だし、とひたすら飲み会に誘った。楽しかった。

なんだかんだ言ってかまってちゃんなのだろう。それがどうした、だから何だ。かまってちゃんの何が悪い。

腕からだらだら血を流しながらGoogle翻訳でほのぼのとした会話をする。
なんて馬鹿馬鹿しく楽しい昼下がりだろう!!!

そうしていると、友人からどこにいるんだと電話がかかってきたので、
デルタの先端の方にいるので迎えに来て、と言った。
ちょっと今、そっちに一人で行けない、と。


そうして到着した友人は、状況をみて、
「お前は吟遊詩人か!!!!」
と言った。

私は、友人のことを心から尊敬して、爆笑した、そんな言葉が出てくるなんて。さすがだ、一生友人だ、畜生。

吟遊詩人みたいに腕切るなや、ということだろう。
あらいい天気ね、ここで一句、みたいなノリで切んなよと。

この子たち留学生なのーGoogle翻訳で必死に話してるのーーと言っていたら、
もうほんとすみませんねえ、と友人が私を回収していき、友人たちが待つ橋の下に連行された。

待っていた友人たちは、あらまあもうと言って近くの100均でガーゼやらなんやら買ってきてくれて、手当をしてくれた。

誰も私を責めなかった。誰も怒らなかった。誰も私を腫物に触るような扱い方をしなかった。

手当が終わったら、みんなで飲んだ。
あんまり飲むんじゃないよと言われた。

演劇の話やミソジニーの話や、カラオケの話や、ほとんど覚えていないけどなんでもない話をしてたくさん笑った。

私はその友人たちの無関心に感謝し、大好きだと思った。

おしまい。

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