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2022/9/27宗岡茉侑生前葬弔電


さる9月27日、わたくし宗岡茉侑の生前葬を行いました。

また式に至った経緯や、式の内容の詳細は別記事において書き記したいと思いますが、
すべての弔電を式中に読めなかったこともあり、
頂いた弔電のなかから、掲載許可を頂けたお言葉をこちらに掲載させていただきます。

弔電というより、皆様がわたくし、宗岡茉侑(または宗岡ルリ、myau)の人間性であったり、書いてきた文章であったり、行ってきたパフォーマンスであったり、持っている思想であったり、わたくしの生きてきた人生に、まっすぐ対峙してくださった真剣勝負のお手紙と思っております。
わたくしは、自身であまり自分自身を語る言葉を持ちません。式の中でもただ寝ているだけでした。付き合いが長くとも、短くとも、皆様の中で、宗岡とはこういう人間なのですね。

人生の中で、このようなものを頂ける機会は普通、あまりないのだけれど。
掲載許可を頂けなかったお言葉も、大切に大切に、わたくしの心にしまっております。

皆様、ありがとうございました。
死んでいない前提のものと死んでいる前提のものが混ざることや、困惑される姿など、皆様のユーモアと、また、まっすぐなお言葉にただただ感謝するばかりです。
生きているうちに頂けて良かった。

到着順に掲載させて頂きます。

【あおい様より】

まゆさんへ

生前葬の開催(?)おめでとうございます🌼
どこを見てもGoogle先生に聞いても、生前葬 弔電 生前葬 スピーチなどの情報が一切出てこないため私なりの挨拶で失礼致します笑

ある日私が憧れていた理想の女の子の形をした方が運営しているブログを見つけました。彼女の名前はまゆさん、私はまゆさんのブログの虜になりました。儚さと上品さそして可愛らしさを兼ね備えた芸術品の様な姿に心奪われました。まゆさんが紡ぐ文書も知的で美しく何度も何度も記事を見返してはその度楽しい気持ちにさせていただきました。

奇跡的な出会いでまゆさんから私の元へときたお洋服は私の家宝と言っても過言ではないくらいで、ベッドの横にそのお洋服だけかけられていてその姿を横目に私の1日が始まり、また終わります。

まゆさんのその力強くもあり、かと思えば明日急にいなくなってしまうのではないか?そんな危うさが私は大好きです。いつか私はまゆさんと夜通し好きなお洋服の話からくっだらないどうでもいいような話をしながら可愛いパジャマを着て二人でお泊り会をするのが夢です。あといつかぎゅっと抱きしめてもらうのが夢です。

こんなに恋い焦がれた女の子はきっと後にも先にもまゆさんだけだとおもいます。

だいすきなまゆさんの元へ今日は行けなかったので埼玉からこの激重感情を送らせていただき弔辞とさせていただきます💙


【中指くねこ様より】

わたしは、故人がどんな人物だとしても、残された人間の思惑に利用されることを好ましいと思えない。葬儀は区切りとして必要か、クソ喰らえだ。一人一人、勝手に生きて勝手に死ね。自由に傷ついてボロ雑巾になっても、誰にも利用されるな。誇り高き人生を。
宗岡茉侑、強く生きろ!

中指くねこより♥


【高橋紘介様より】

未だ君 散りぬべき時 知らねども 咲くも腐るも 百合の美し


【三村育子様より】

『いつものように仕事に向かい 周囲にへこへこと頭を下げる私の元に届いた報せは黒いふちどりがありました
あれは8年前 病めるあなた 部屋に残し 書き始めた卒業論文にひとり悩んでいた
忙しない東京の昼下がり 教会の前に佇み
スーツ姿の私は祈る言葉さえ失くしていた』

宗岡茉侑さんに最大限の愛と喝采を捧げます

神の御許で安らかに憩われますこと
また皆様の上に主イエス様のお慰めと励ましが注がれますようお祈り申し上げます


【杏奈様より】

いつか死んでしまうのかなぁと遠くに思いつつも、本当に亡くなってしまうとなると、本当にこの事実を受けいれることができずにいます。
父のときと同じ、事実が自分の中にふわふわとあり、理解していても受け入れられない、こんな経験はこの先あまりしたくないと思いました。

まゆさんと出会って、どのくらいの月日が経つのか分からないくらいいつもまゆさんの存在を傍に感じていました。
わたしが失恋したとき、頼るところがなく、まゆさんに電話したところ、一緒になって泣いてくれたこと今でも鮮明に覚えています。
あのとき、まゆさんもぎりぎりだったろうに、いや、まゆさんはいつもぎりぎりなのに、なのに、わたしの気持ちに寄り添って一緒に泣いてくれたことが本当に嬉しかったです。
他にもたくさんお話したけれど、お洋服の話もたくさんしましたね。
まゆさんの知識に圧倒されつつも、一緒懸命吸収しよう、自分も服に詳しくなりたい、勉強しようと思ったものです。
また、まゆさんと出会って、まゆさんのファッションにもたくさん影響を受けました。
わたしの中でこんなにもロリィタを素敵に着こなす人はまゆさんたった一人です。
わたしはまゆさんにたくさんの影響を受けました。
ロリィタのことはもちろん、裁縫のことなど、全てまゆさんの影響です。
自分の中でだいすきな友人と共に憧れの存在でもありました。

もっとたくさん、このままずっと永遠に話して痛いのだけれど、時間はこんな時にも残酷みたいです。
まゆさん、死ぬまでの仲と言ったけれど、わたしは貴女が死んでもわたしが死ぬまでお線香を毎日上げて、毎日貴女の幸せを祈ります。

天国でめいっぱいおしゃれして待っていてください。
わたしもロリィタ服を着て、偽物のお気に入りのロッキンで貴女の元に向かいます。
そうしたら、またたくさん他愛のない話を一日中しましょうね。

あえてさよならは言いません。
また天国で会えると信じているので。
またね、まゆさん。


【「町田烏賊路」様より】

宗岡茉侑さんのご霊前に、謹んでお別れの言葉を捧げます。
この度は誠に突然の御召天の報に接し、驚きとともに深い悲しみの気持ちでいっぱいです。嘘です。生前葬をやると連絡があり、思わず笑ってしまいました。まゆひめらしいなと。
今から13年前、2009年の5月、私は劇団西一風に入団し、あなたと出会いました。夏公演で行うことになった『三月の5日間』の稽古中から、私はあなたのことを「まゆひめ」と呼ぶようになりました。なぜ、周りの誰も使っていないその呼び方を定着させ、使い続けているのか、自分でもよく分かりません。それまで演技経験のない私とあなたは、ともに以学館の地下で初舞台を踏みましたね。しかし、初舞台から、私にとってあなたの役者としての才能は圧倒的なものでした。
あなたの役者としての魅力に惚れ込んだ私は、翌年の新入生歓迎公演のレパ選に出す企画に、演出をやってほしいとあなたを誘いました。あなたは引き受けてくれ、レパ選に向けて話し合いましたね。しかし、レパ選では先輩のレパが選ばれ、私たちの企画は通りませんでした。その日の夜は二人で飲みましたね。あの夜、あなたと話したことが、少なくともあのときの私にとっては、私の全てでした。
翌日から2010年の新入生歓迎公演『向こうで誰かが死んでいる話』の準備が始まり、その公演で二度目の共演をしましたね。この公演の後、あなたは西一風を去ってしまいましたが、幸いにもあなたとの関わりが全くなくなるということにはなりませんでした。2回生でドイツ語の授業が同じクラスになったことから、一緒に勉強しようと、わら天のマックに集まりましたね。しかし、ドイツ語の勉強など全く手につかず、二人して単位を落としました。あなたの家の下の公園で、蚊に刺されながら飲んだ日もありました。
2011年の夏公演『プラスチック・ローズ』で三度目の共演をしましたね。役者「宗岡ルリ」が西一風に帰ってくる、再び同じ舞台に立てると、とても嬉しく感じました。この公演が私とあなたの最後の共演となりました。
2013年3月『撲滅ならず今日』、すでに西一風を引退し、演劇からも京都からも離れ、今後の人生に対するモチベーションを失っていた私にとって、自室を舞台に「生きる」あなたの姿はとても眩しく映りました。それからあなたと会う機会は減りましたが、平和記念資料館へ行ったり、チェルフィッチュの『三月の5日間』を観たりもしましたね。
2019年10月『ハムレットマシーン』、『ポップな闇』以来4年ぶりにあなたが舞台に立つ姿を観ることができました。観客である私が、あなたから手渡された台詞によって、あなたと舞台上で接する機会がありました。それは私にとってとても喜ばしい瞬間であると同時に、演劇を離れてからの年月と、あなたとの距離を明確に感じる瞬間でもありました。その1週間後、二人でシャイニングの双子の仮装をしましたね。あの日はただただ楽しかったです。
それから数か月後にコロナ禍になってしまい、あの日からあなたには会えていません。ここ2、3年はLINEで「生きてる?」と送り、生存確認をしているくらいですね。その生存確認も、いつか返信がこなくなり、あなたは本当に帰らぬ人になってしまうのでしょうか?しかし、私の方が先に死ぬことだって十二分にある訳で、そのような心配は何の意味もないのかもしれませんね。そう考えると、このようにして生前葬ができるあなたの人望が羨ましいです。
あなたにとっての私は、西一風で一緒だった人たちのうちの一人にすぎないと思います。しかし、私にとってのあなたは、今なお、大きく、私のなかであなたの存在が消えることはないでしょう。
神の御許にお導きがあらんことをお祈り申し上げます。
さようなら、まゆひめ

令和四年九月二十七日
かつての「町田烏賊路」



【大瀧周平様より】

ルリさんと出会えたことに深く感謝しています。京都のまちにいる間にもっとお話しをしておけばよかった。いつか、というのは本当に自分を甘やかしてしまう言葉で、いつかいつかと思っているうちにいつのまにか10年です。いろいろなことがありましたが、10年間生きていてくれてありがとう。またお出会いできる日を楽しみにしています。



【松山孝法様より】

宗岡さんとも長い付き合いになりました。
こういう"ノリ"をやる感じとかは本当に大嫌いです!命を適当に弄ぼうとし続けるのも醜悪だと思います。何度か命を結果的に助けた事もありますのでこれだけ好き勝手に言わせていただけるのです。
生前葬なんて戯けた、しかも大してつまらないことなんかせずに、大人しく寿命なり天命なりが訪れるまで生きて下さい。
何故か宗岡さんとは中華料理の縁が深いようなので、美味しい中華の卓を囲めることを何よりも楽しみにしております。
これからも生きて下さい。



【木村けい様より】

宗岡茉侑様

ルリちゃん、あえてルリちゃん、と呼びかけます。
ルリちゃんのご訃報に接してないので、まだ心からお悔やみ申しあげません。

生前葬の弔電なんて初めて打つため、一応「生前葬 弔電」で検索してみたけど何も欲しい情報は得られませんでした。貴重な体験をありがとう。何を弔えばええんや。

思えばルリちゃん(と茉侑ちゃん)と私は、お知り合い期間は長くてもそうお互いを知らないし、きっと私はルリちゃんにとって重要な存在でもないでしょう。だのにこんなメッセージを送るのはきっと、10代から20代にかけての私がルリちゃんにとても焦がれていて、それを今も引きずっているからなんだと思います。

ルリちゃんは私の憧れの女の子でした。そして今も、あなたのことが気になって仕方がありません。ルリちゃん(と茉侑ちゃん)の未来はあなたが自由に決めることで、私は近くにはいられないかもしれないけれどできる限り、それを見ていたいと思います。いつもありがとう。


【高間ひろえ様より】

MEMENTO MORI


【温真智愛様より】

まゆとは同郷の大分県朝地町に生まれ、保育園と中学校で一緒でした。
小学校は町内の異なる学校に通っていましたが、中学校では再び一緒になり、小さな町ですので20人しかおらず、3年間同じクラスでした。
中学生のとき、当時の朝地中学校では全校生徒が必ず運動部に入らなければならないという慣例がありました。まゆは先生と交渉し、「部活には入らない」という田舎の掟をやぶる異端児で、そんな人とは違うことのできるまゆに、私は憧れていました。
もう1つ印象に残っているのは、私が中学1年生のときに生徒会に立候補したとき、応援演説をしてくれたことです。その応援演説はひたすらに私を褒めてくれて、とても中学生とは思えない文面で皆を圧倒してくれ、無事に当選しました。国語や作文がとても苦手な私にとっては、まゆの文章は衝撃的した。これもまた、その後も私がまゆに魅了される理由の1つです。
大学卒業までは度々会っていたものの、社会人になってからは中々会うことができず、縁が遠のいていたところ、今年久しぶりに再会でき、またまゆとの縁が繋がって嬉しかったです。また次回の再会を心待ちにしていたところ、突然の生前葬の案内に、大変驚きました。
しかし生前葬とは人生の区切り、節目という意味があるとネットで発見しましたので、本日をこれまでの人生における区切りとして、また今後ますます活躍するまゆを見れることを楽しみにしております。
また以前連れて行ってくれた私が倒れた銭湯や大分旅行にも行きましょう!
本日は参列できず申し訳ありませんが、また元気に再会でることを楽しみにしております。


【高山涼様より】

ルリ姉へ

この度は生前葬への列席が叶わず申し訳ございません。

ルリ姉と知り合ってからもう10年経ちました。

10年前の僕は、ルリ姉を見て「何故ルリ姉は死を望んでるはずなのに、こんなにパワーに満ち溢れてるんだろう」と思ってました。

10年経って今はそれが理解できるような、できないような、そもそもパワーを感じるのも僕のただの思い過ごしのような、よく分からない気持ちでいます。

でもルリ姉はマジで面白い人だということと、まだ知らない景色を見せてくれる人だということは間違いないと思います。

お互い生きてるうちはまた会いましょう


【N様より】

まゆちゃん、お星さまになったの? 金平糖?



以上、みなさま本当にありがとうございました。

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