宗岡ルリだった

私は2008年〜2013年ごろまで「宗岡ルリ」という芸名で演劇をしていた。
宗岡ルリは私の中でただの芸名を飛び出して、ひとつの理想的な人格、また、外部のさまざまな目線から作られる実態のない仮想人格のように機能していた。
私はそれに現実の肉体が耐えられなくなって宗岡ルリという名前を捨てた。
その後は演劇や映像作品に出る際も、本名である宗岡茉侑を使用している。

いまだに私のことを「ルリちゃん」「ルリさん」「るりりん」と呼んでくれる人もいたり、私はそれは特に嫌ではなくわざわざ訂正する必要も感じていない。

殺してしまった宗岡ルリがまだ誰かの中で存在し続けていることが嬉しい。

先日、努力クラブの「誰かが想うよりも私は」を観た。

「合田さんなど同年代の演劇人の中でどれだけ宗岡ルリなどが影響を及ぼしているのだろうね」と友人が言った。
私は、「合田さんは私のことをぜんぜん評価していないから」と言ったが、
友人は「誰かが想うよりも私は」の中(多分主人公であろう)に宗岡ルリを見たのであり、そのことが私は嬉しかった。

これから書くのは今の私が当時を振り返って解釈したことであり、
当時の宗岡ルリや宗岡茉侑は特に何も思っていなかったかもしれない、なんにも考えていなかったかもしれない。
本当は、宗岡ルリ論は、私でない、当時を知っている誰かが書いてくれることを望む。誰か頼んだぞ。

ただの偽名であれば、私はたくさんの偽名を使ってきた、
インターネットに親しみ始めた小学生の頃から、
はじめてつけたHNはイアン(バースデーベアの同じ誕生日の子がその名前であったため)であったし、
その後も翡翠やら蒼井アヲやら智恵子やらいろいろ自分に名付けてきた。(この感じ懐かしいでしょ)
仕事でも、ほたるやらちひろやらもう忘れてしまったさまざまな名前をつけられてきた。フェイクの本名なんかも使っていた。

しかしそれらは、本名である自分と、違う側面の自分、といったただの使い分けにすぎず、本名の人格を脅かすようなものではなかった。

宗岡ルリであるとき私は無敵であったし、何かの一線をたやすく超えることができた。
宗岡ルリであるならばすべての(嫌な)ことを糧にできた。

はじめ、私が自分に宗岡ルリと名付けた時、
特に意味はなく、ただの芸名でしかなかった。
本名のまゆ、が、モゴモゴした発音なのでもっと凛とした音にしたかった。

宗岡ルリが宗岡ルリとして機能しはじめたのは、私が失恋をして、舞台上で恋敵を抹殺しようと金槌で何度か叩いた時からではないかと思う。

それを見ていた人のなかで宗岡ルリ像はうまれた、
また、ちいさな一線を越えてそれを行った私、反対に、本当は彼女の頭をかち割ってやろうと思ったのにそれが出来なかった私がそれを後悔せず生きていくために、宗岡ルリは宗岡ルリとして動き始めたのだと思う。

一生に一度の恋にやぶれた人間は相手を殺すか自分が死ぬかしなければ納得がやれなかった。
しかし弱虫な私はどちらも出来ず、それを過去にして生きねばならず、笑い飛ばすことにした。
強烈な自信でコーティングすることにした。

また、私はよい役者ではなかった。
特に演技もうまくなくてエチュードなどでの発想も陳腐である。身体も発声もうまくコントロールできない。かといって自然でもない。

私は演劇が好きだったけれど、演劇をしないと生きていけないと思っていたけれど、それよりも舞台外で宗岡ルリというキャラクターであることを生きるよすがにしていたような気がする。

そうして、私を使ってくれる人は舞台上の私より舞台外での私の破天荒さに面白みを感じてオファーしていたのではないだろうか?

アイドル文化が現在ほど成熟しておらず、腐ってもいなかった時代だったから、みんな偶像を求めていた、私自身も、自身を投影できる型を求めていた、それによって生きやすくなると思っていた。

自信が洋服を着て歩いているような振る舞い、他人を見下して自分のルールで生きている、おちゃらけていて飄々としていて、何からも壊されないし、いつも世界を睨みつけている、誰から嫌われようとどうでもよく、でも好かれたい、男たちを足蹴にして、ニコニコして人懐っこいが興味本位で近づくと殺すぞ思っている、底が見えない、

そんな感じだろうか、もうわからないけど、好かれる人には信仰のように好かれたし、嫌われる人には嫌われたし、あいつには近づきたくないと思われることもよくあった。
でもそれでよかったしそれがよかった。


宗岡ルリでない私は何の面白さもなく、うじうじした人間である。

正確に言えば、宗岡ルリの人格に自信を全投影した結果、宗岡茉侑には私のカッコ悪い部分だけが増幅されて残ってしまった。

ルリちゃんはかっこよく、当時は私のことをまゆと呼ばれると違和感があったし、本名を名乗ることもあまりなかった。

また、他人から解釈されることが好きだった。
当時出演した悪い芝居の「キョム!」にて、自筆自己紹介に、私は自分でこう書いてある。

「舞台上でひとりだけ苦しそう」「なんかつらいことあった?」「サイケデリック」「すぐ落ち込むのがなんか好き」「がんばってほしい」「ブスではない」「もっとためになることした方がいいよ」「俺演出専属にしたい」「中女優」「本当なのかフリなのかまだわからん」「生きてるの楽しそう」「苦手」「しあわせにはなれない」「ハエの人」「いつも『死にたい』っていってるね」「ただのかまってちゃん」「すごく生きてる」「美少女って呼ばれる、そうでもない女」「殴りたくさせる才能ある」「自分が一番だとは思ってますよ」「ツイッターがおもしろい」大分県豊後大野市出身!

自分で紹介することなんて何もないと思ったので人からもらった言葉を書き連ねたのだ。
もう、どれが誰にもらった言葉なのか覚えていないけれど、こういう言葉が宗岡ルリを作っていった。
呪いのようなものである。


だんだんと私は私を俯瞰しセーブすることが出来なくなってうまく操れなくなっていった私は宗岡ルリをやめることにした。
宗岡茉侑がわからなくなった。
痛みが痛みとしてわからなくなった、でも痛かったのだと思う、べつに演技も上手くないのだが、演技をし続けることに疲れてしまったのか?自分の気持ちがわからなくなったことは確かである。

宗岡ルリをやめるために「撲滅ならず今日」というひとり芝居をやった。
六畳一間の私の自宅にてやったので、劇中で手首を切ったり卵焼きを作って食べたりやりたい放題であった。
この概要はまた書きたい。

私は私について誰かが残した文章が好きだ。
今でも、本名やルリちゃんの名前で調べると色々出てくる。
宗岡ルリで卒論を書いてくれた子もいた。

ルリちゃんはもういないけれど、大事にしているラピスラズリ、いまちいさな石のかけらになって、つくりものの薔薇の花びらと一緒にパッケージングされて眠っていると思っている。

もうルリちゃんを捨てて9年くらいになるけれど、私は本名で生きているしなんの面白味もない息を吸って吐く日常をたんたんと(主治医にいつも言われる、たんたんと日々を過ごしましょうと)、過ごして、
まわりからどう見えるだとか どう思われるだとか 神格化されることも とくべつ嫌われることもなく そういうものを手放してたんたんと、
生きています。

まだ覚えてくれている人がいて 私のことをルリと呼んでくれる人がいて たまに創作物の中に、本や演劇の中に、「宗岡ルリ的なもの」を見つけ出してくれる人がいて

私はとても嬉しいのでした。

まとまりのない文章ですがこれで。

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