Joanne32

言葉・事象を基盤として思考を展開します。 直感型の体験主義者です。 引用元ついて研究物…

Joanne32

言葉・事象を基盤として思考を展開します。 直感型の体験主義者です。 引用元ついて研究物(学術論文)関連は2013年以降に出版/発表されたものを中心とします。 芸術、文化物(音楽、小説、映画、漫画等)については発表年に限りを設けません。 視覚的情報の作為性、先入観に留意しています。

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自己紹介

2021.10.21(最終更新) わたしたちはしばしば、情報の波に翻弄されます。 2011年には、東日本大震災後の福島原発事故のその後に及ぼす影響について、主にはSNSにより、たくさんの意見や考察、推察が飛び交いました。 まず、どの情報源を「正」と判断するか、その指標として、発信源を辿る動きも盛んになりました。 個人が自分の意見を発表する際、参考にした資料の信頼性をまず確認しに行くことがわたしたちの、情報の取捨選択におけるプロセスの第一選択肢に定義づけられたように感じます

    • 感情は雲のようなもの

      感情をジャッジすることはナンセンスなことと捉えている。 実際のところ、感情に善悪はないのである。 このようなことは多くの形而上学者、心理学者、哲学者も提唱している。 ここではその例をあげるのは省き、話を先に進めよう。 感情は湧き上がるものであり、自然発生する雲のごとし、そこに是非はないのである。 雲は悪きものだろうか。 見る者によっては、暗雲として立ち込めるその様子は不安そのもので、決して好ましくは映らないだろう。 干ばつの地帯の者たちにとってその雲は、待ちに待った、

      • パンドラの箱は幾たびとなく閉開す

        2021.10.30

        • 2021.10.21(メモ・削除予定) 2021.10.25(やはり消さない) 『魂にはそれぞれ固有のメロディが存在している』 これはわたしの言葉(20211017 発生) 『おなじモデル・デザインの脳は世界に2つと存在しない』 これは頭を主軸として探求を続けている者達一派の意見(意訳・主流) このふたつは似ている というよりかはたぶん おなじ事を指し示している 仏門の血に生まれ出づる影響から神仏につよく興味をもったわたしは、物事をこれらのフィルターにかけて観察し、

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        自己紹介

        マガジン

        • Wonder
          1本
        • チルチルとエトワール
          5本

        記事

          くろこっち

          くろこっちとの最初の出会いは、 2021年9月25日の事である。 彼の第一印象はあまり良いものではなかった。 2回軽くノックを鳴らし会釈をし、 「よろしくお願いしまぁす... 」と言いながら入室すると 若い青年医師は足を組んだままこちらへ見向きもせず、 「はい、よろしく。」と言いながらPCをカタカタと打っていた。最初はなんだか、不遜な印象を受け取った。(この時の筆者の年齢は41歳と10ヶ月) 『わ... こういう感じか.. 』と内心すこし驚いたが、表情には出さないように

          くろこっち

          死 see you again and again

          「死」は、決して軽々しく扱ってはならない、扱われるべきでない言葉達の中で、筆頭格に位置付けられる。 2021年現在、今のところ常に重く扱われるべきテーマとされている。(AIの知育が更に進んだ暁には扱われ方にもまた変容が訪れるだろう) この言葉について語ること、語られることを好む人や場面はそう多くない。だが無視できない決定事項として、死は全員にいつかは必ず訪れるという点がある。 それはこの「今」という時点からカウントして明日の事であるかもしれない。 わたし自身は次の瞬間かもし

          死 see you again and again

          精悍なる志を以て

          クォンタムリープ(量子跳躍) 2021.10.16(最終更新) その時わたしの心臓は、その機能を8秒のあいだ停止した。 2007年の秋、職場内の階段で意識を失っていたわたしは救急車によって運ばれた。 搬送中車内で意識を取り戻し、数人のヒトに覗き込まれているお馴染みの風景からわたしの思考は再開する。 わたしの脳は、自分の置かれた状況を認識するのにしばらくの時間を要したがそれまでの経験則から「また気を失ったのだ」という事を(この時は)即座に悟った。 わたしの身体は全国に69

          精悍なる志を以て

          Every cloud has a silver lining. 全ての雲には銀の裏地がある

          Every cloud has a silver lining. 全ての雲には銀の裏地がある

          認知

          「人間は、同様の目線から同じ方向の風景や事象を観察していたとしても、認識している景色に個別差があるようだ」 筆者が最初にその事に妙味を憶えたのは、1989年ハワイ州オアフ島の小学校での事だった。 わたしはおよそ4歳から文字に夢中な時間の方が絵を描くよりも多かったので(単なる言い訳)絵は不得意であったが、無論、美術の授業や友人達との戯れの時間にはお絵かきをする機会があった。日本の小学校で見る同級生の野外風景の絵では、それが色鉛筆であれクレヨンであれ、太陽は、ほとんどの子ども

          ミソギ

          2021.09.28(最終更新) 湯船に浸かる事のできない生活に移行して数ヶ月が過ぎた。 肌を清浄に保つために、なるたけ自分の体温に近い温度設定で、手早くシャワーを浴びる。冬になってもゆっくり湯船に浸かれないままのカラダなのかなぁと思いながらTempalayの新譜を今聴こう、今だ!と、ふと思い立ってはじめて再生した(2021年8月30日14:41)。 音源が公開されている事は、何となく頭にあった。 8月13日〜22日までの期間は身体の不具合への緊急的な対処に追われ、それ

          ミソギ

          理解

          2021.10.19(最終更新) 彼の授業はおもしろかった。 わたしは興味の向かない事には指一本動かせない体の持ち主であった。 発言や立ち居振る舞いから、人間的に好かないなと感じてしまった先生の授業では辞書を3冊机に積み上げて枕にして仮眠するか(英和・和英・国語辞典だったかな、3冊でちょうどいい高さだった)、別の興味のある小説か漫画を集中して読んでいた。考えたいことがある時にはブラウスの第3ボタン下辺りからイヤホンの線を通し、ミスチルや、友達のお兄ちゃんから影響されたブル

          チルチルとエトワール

          〜エトワールの回想③〜 チルチルはどこからどう見ても女の子だ。 艶のある髪はあごのあたりまでの長さ、うつむいた時に見える首の細。 いちばん長さのある人差し指に、寄り添うように並んだ足のゆび。 華奢な造りの肩の関節、すべてが女の子の象徴のような佇まいだ。 おまけに鼻歌を歌いながら花を編む。 これ以上ないくらいな「オンナノコ」。 「クツってなぁに?」 その日も彼女は、こちらを見ずにこう訊いた。 ぼくは黙ってチルチルの目の前に自分の足先を差し出す。 チルチルが覗い

          チルチルとエトワール

          選択

          2021.10.20(最終更新) 彼女は壇上に位置してからのおよそ数秒間を使い、彼女の話を聴こうと集まった人々と向かい合った。壇上からみて、会場の右端から、会場の扉を開放し後方にも用意された席に位置する人々、そして会場内の左端へ、中央正面に視線が戻った時、彼女は話し始めた。その眼差しには慈愛のような温かいものを、その瞳の更に奥には、涼やかで深い洞察と沈着な知性を携えているように感じた事を記憶している。彼女は口を開き、話し始めた。 ✳︎ 下記文章は2012年当時左耳にはめた

          社会

          一昨年に他界された山岸俊男先生の文章を探していた道すがら、とても素晴らしい寄稿文と出会えたので、ご紹介を兼ねまして、自己記録としてこちらに留め置かせてください。繰り返し読みたい。(20210825 0:03) 「安心社会」から「信頼社会」へ―山岸俊男氏(1948-2018)の死を悼んで (山口 一男 先生 発表年・2018年)

          いじめられている事を認めなかった

          2021.10.21(最終更新) ※ 注意 ※ 本テキストには、非常にセンシティヴな内容の自己体験の内容が含まれる可能性があります。HSP(Highly Sensitive Person)かもしれないと思う方や精神疾患を過去にご経験なさった方、ポジティヴな事や物のみに触れていたいという方は、お目通しなさらないようお願い申し上げます。 本題の前に少し言及させてください。 WHOによれば、世界全体で、精神医学的要因による死は武装による死の約3倍だとの報告が上がっているそうです

          いじめられている事を認めなかった

          仮)知識を智恵に変える or 表現とは

          芸術・文化といった側面から「言葉」というものを捉えようと考察してみる時、 「音(音楽)」「色(絵画等)」と比べ、「言葉」という表現ツールには明確な違いがあると考えています。 言葉はわたしたちの日常生活上での使用頻度が圧倒的に高い、という点です。 かつ、日常生活上の意思表示(表現)のツールとしてだけでなく、芸術の分野にも所属しているのが「言葉」です。(一旦この結論で着地したのは大体2001年頃) 絵を描く人でなければ日常的にカバンに「色(絵の具)」を入れている人はいません(フ

          仮)知識を智恵に変える or 表現とは