選択


2021.10.20(最終更新)

彼女は壇上に位置してからのおよそ数秒間を使い、彼女の話を聴こうと集まった人々と向かい合った。壇上からみて、会場の右端から、会場の扉を開放し後方にも用意された席に位置する人々、そして会場内の左端へ、中央正面に視線が戻った時、彼女は話し始めた。その眼差しには慈愛のような温かいものを、その瞳の更に奥には、涼やかで深い洞察と沈着な知性を携えているように感じた事を記憶している。彼女は口を開き、話し始めた。

✳︎ 下記文章は2012年当時左耳にはめた通訳者の日本語音声を基に想起しながら文字起こしている筆者独自の言葉なため、後述にてご紹介させていただく先生ご自身の講演内容全体の主旨や真意との乖離、齟齬はあるものとの前提でお読みくださいますようお願い申し上げます。


「まず、本日お集まりいただきました皆さまに御礼を申し上げたいと思います、本当にお忙しい中、ありがとうございます。そしてまた、こうした機会をつくってくださいました(運営名等を述べた)方々にもお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。

(ここで彼女は自己紹介を簡単に述べた、手短で簡潔な言葉だった事からも便宜・文脈上、または彼女自身の信条として自分は何者でもなく皆さまと同じヒトとしてこれから話します、ということを暗に強く主張したい意思を感じさせた)

本日この時間、皆さんは、(通訳者も語調つよく伝えた記憶)、わたくしの前にいらっしゃいます。わたしの話を聞こうとお座りくださっています。
皆さんには別の選択肢もありました。この今という時間を、別の事をするために使うという選択肢もありました。ですが、たいへん光栄な事に、本日このように、、わたしの前に座り耳を傾けてくださっています。
(このシンポジウムにおいて彼女の演者としての立ち位置は主役ではなかった。が、踏まえた上でこの日のセッション名に由来するところのテーマに心添えて、ご縁に感謝するといった言葉につなげたような気もする、慎み深い言い回しをなさった追憶。またこの日会場には御高名を拝するご高齢な科学者の方も車椅子で海外から渡航していらっしゃった等の現場背景もあり、へり下ったのかもしれない)
それはどうしてでしょうか?
(ここで彼女は一拍置いた)
わたしには、ハーバード大学、東京大学の学生の前で講義をする機会がこれまでにありました。講義の前わたしは、皆さんに申し上げたようなことを必ず生徒たちに質問します。あなたたちはこの時間、友達とランチに行っていてもよかった。この時間をアルバイトにあてることもできた(学費を一括で納付する日本の大学教育システムと比べ、講義の枠を1コマごとに買うというようなシステムの大学が海外には多くある)。
あなたは今ここにいます。それはどうしてでしょうか?
ハーバード大学では、生徒たちが次々にわたしに答えようと手を挙げてくれます。わたしは彼らを本当に大切に想っています。同じ、自分の教え子(教え子という言葉であったかは少々記憶に自信がない)として、本当に深く、等しく愛しています。ですが大変残念な事に、諸外国大学と比較して、東京大学でこの質問に答えられる生徒は、本当に少ないのです。」

我喜屋 まり子 先生(発表年 2012年)

(上記は先生がお話しされた全体導入部の一部抜粋


彼女は話を続けた。
瞳には、彼女自身がその壇上に立つまでに決定してきたであろう選択歴史とそのシーンごとに必要とされる勇気や意志のつよさが宿っているように見えた。


2021.8.28

当時のメモが出土されたので部分的に校正・訂正加筆 
2021. 9. 9

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?