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くろこっち


2024.2.3(最終更新)



くろこっちとの最初の出会いは、
2021年9月25日の事である。
彼の第一印象はあまり良いものではなかった。

2回軽くノックを鳴らし会釈をし、
「よろしくお願いしまぁす... 」と言いながら入室すると

親族から『 Jジェーはお猫ちゃん(猫かぶりから派生)だからな』と揶揄やゆされる、親族は全員ジェーと呼ぶしわたしも未だに、親族間においての一人称はジェーだ。一体なんでこんな事まで書かなきゃならんのだ、恥ずかしいにも程がある。この話もお付き合いさせていただいた恋人(一人称がなまえ女子苦手そうな人には話してないな)以外では、過去たぶん2名程にしか明かした記憶はない。自己紹介テキスト記事で書いた内容に準じようという意志の現れからなのだろうが、こんな事まで書いて、、しかもこれらが一体誰の何の役に立つというのだこんな情報。けど、、手前味噌に響く導入でこれも書くのは嫌なんだが、祖母の生家は政治を司るお役目を預かっていたお家だったため、戦後まだ食べ物が広く日本に行き渡っていない頃に、日曜日にはお庭で炊き出しの振る舞いを行っていたと話してくれていた。それを踏襲したい!(その真似っこをしたいのだ!)欲がずっと心内にあったがそのような財はなく、切り売りする物もないし「ゆとり」に該当する一切を持たないので、体験談を書くくらいしかこの渇望を潤す手段がないのだ。でも恥ずかしいし「年寄りの昔話始まった」的な視点で物言う自分もいるし(歳若い友人が多いとこのあたりが過敏になるな)、色々がこわいし(本当に色々がこわい)、言葉に上がり切らない思考と感情のすべては、かわりに涙になる。「自分」は「世界」そのものであり、わたしは何もかもがいつも嫌なのだ。親族に「他にも絵本はあるのに数百回読まされたかわからない」と口々に言われる「カバのイヤイヤくん」から何もこの点に関しては本質的に何も、変わっていない。こんな事を書くのも心底嫌だ。けど「紙の上」という世界は、駄文だからと舞台にお酒を投げられたりする事も起こりそうになく安全でいいなぁ無料は安心だ。(よし、良い側面見つけたぞ)



若い青年医師は足を組んだままこちらへ見向きもせず、
「はい、よろしく。」と言いながらPCをカタカタと打っていた。最初はなんだか、不遜な印象を受け取った。(この時の筆者の年齢は41歳と10ヶ月)



『わ... こういう感じTypeか.. 』と内心すこし驚いたが、表情カオには出さないように気をつけながらカバンをカゴに入れに行き、回転式の丸いすに腰を下ろしつつ、その青年の観察を開始した。(これは2000年に「マイってすぐ表情カオに出るよね!」と先輩からご指摘いただいた際にはっきりと認知し、以降ほんのりとは意識づけのトレーニングを重ね続け2009年頃にかつての後輩であったUさんに確認をしてもらいこれについての学習は修了した自己完結)


『この感じ誰かに似てる... 誰だっけ... 、あ!わかった、蟜だ!サイズ感もぴったり!これでキングダムわかる人にはネタが出来たぞ(ニヤニヤ)』と閃いた瞬間ピカーンに『こいつなやつかも... 』と育ちかけた先入観の迎撃に成功した。
キングダム (1巻)」 原 泰久 先生 発表年 2006年 
(似てるを見つけるのはどんな場合caseにおいてもとっても愉快だ)


わたしはその場所で「患者」と呼ばれる立ち位置で、
観察を続行しつつ会話の開始スタートを待った。
ようやくPCを叩き終えた彼は、問診票に目を通しながら口火を切る。


この医療機関の耳鼻科の問診票は少々印象的で、
診て欲しい症状についての記入欄には、
「気にかかる症状に丸をつけてください。その中でいちばん気になるものに二重丸をつけてください」
と記載されていた。
そこには耳鼻咽喉科じびいんこうか領域(一般に「耳鼻科」)で取り扱われる症状についての記載で、患者に伝わりやすい言葉がならべてあり、20項目ほどの文言があってどのような内容だったか全部は思い出せないが、わたしが丸を付けたのは「耳鳴りがする」他数種、
二重丸を付けたのは『耳周辺にしこりがある』だった。
(いちばん気になる症状は『左耳の下がズクンとなる』だったが該当する文言は見当たらなかったので「その他」欄に『左耳付近の違和感』だとか書いた気がする。まぁこの辺は訊かれたら口頭で説明すればいいやとなった。 ...読み返していて気がついたが、記述はきちんと残したほうがいいかな... 先生方は後に情報があったほうが業務がしやすいかもしれない。素人の書いた物に目もくれない可能性のほうが高い気もするが、その公算の上であえて心がけていこう。個人のささやかな行動や発想が新しき潮流を社会にもたらしてゆくのだと昔からわたしは信じてきたしずっと信じてゆきたい。「信じる」って表現はなるべく自分に禁じ続けて来たが自然と手が書いた、歳を取るのは本当に味わい深く愉しい。目上の方々はこんな愉しいをおおやけにしないで暮らしているのかー!)

既往きおう(過去にかかった病歴で治療が完了しているもの)」については2004年(24歳)あたりからあり過ぎて(野生児なので怪我歴も多かった)、
また、自身の過去の病歴情報の内のどれが訪れた医療機関のその診療科にとって必要な情報であるか、記入時にその取捨選択についていつも迷う事になる(身体の器官は全てつながっているしどことどこが関連しているかもそれまでは判らなかった、また1995〜1999年にかけて東洋医学についても幼いながら自己研究を重ねていたので、余計に頭がごっちゃになって判断が鈍る上に来院時にはそういえばだけれどそもそも身体的コンディションがベストでないのだ。)

身体不調部分の全てを書くには欄が足らないので、2008年以降はこちらで勝手に目測をつけて関連しそうな既往歴を記入してきた。(わたしはこの辺りから思えばセミプロ患者だったのかもしれない)こうして振り返ると、近年はこの「問診票」の作成にも様々さまざまな工夫が凝らしてあるなぁと、その仕事表現に大変感心させられる。

この若い医師について、
事前にかるく情報収集はしていた。
ここの病院へは1ヶ月とちょっと前から(8/12〜)皮膚科受診のために通院しており、慢性蕁麻疹の診断がくだってから結構な頻度で訪れていたため、
『せっかく通っているし(ついでに)他に何かできないかな』とある日考え、
『そうだ耳の下のデキモノ気になっているんだった』
と思いついた。不本意にも自分の積極的意思以外の理由で、ひと処に留まる事が避けられない場合には、せっかくなので一石二鳥どころか三鳥くらいはものにして帰りたいのである。
わたしは崖下に突き落とされても何か拾って帰る(転んでもただでは起きない、とも。)と言われた事がある、その観方考え方いただきました(ごちそうさまです合掌)。
友人が真剣に言ってくれたこれらの表現ことばは「夜明け前がいちばん暗い」とおんなじく気に入っている。


皮膚科にしばらく通いながらこの施設で働く人々をそれとなく観察した結果、総じてこの場所を好ましいと判断していた。

わたしは良いわるい物事/観ない、観たくない、しいていえば好ききらいかだ(2002年頃〜)
世界を推し量るには「正義」では限界がある。これは裏を返せば、『ある部分フェーズまでは「正」というのは絶対的指標としてのパワーがある』という意味である。
ボランティアというものに自分なりに向き合った1997〜1998年にこの『正義と呼ばれるものにはいずれ限界が来る』という言葉をもって一旦の自己完結に及んだには、突き詰めてゆくと極論、その日その日一日一日の空腹をしのぐために観光客の紙幣を盗む幼い子どもに「それはいけない行為だ」と説くくらいずれた結論に帰結したので、ここでわたしは「良い悪い」の概念の物差しを懐深くにしまう事になる。「この先わたしは良い悪いではなく、好き嫌いを判定基準に人生選択を行って行く」とにして外部に初めて発したのは2003年だったと記憶している(これは、誰との会話で言ったかも憶えている)。何事においても真なる意味において善悪の判定など誰にもできはしない、時代背景や土地によって善悪を区分するその指標はいつも曖昧模糊としてその境界線を隠す。個人の人生においても同様に、良し悪しではなくこの世界に肉体を脱ぎ捨てるその間際に、当人にだけ、その者が最も大切にした物差し価値観によってのみ測れるものであろう。(物差しはいくつあってもいいかなぁと思っている、荷物になるかな?と思ったが意外とそうはならなかった)どの物差しを捨てるか持ち続けるかの意思決定は決して他者に委ねてはならない。また「好き嫌い」を動機にした発言は角が立ちにくいという利点もある。



この医療機関HPの耳鼻咽喉科・担当医一覧は事前に参照はしていた。(思考の99%「痒い」に支配されてた日々の中でよくがんばってたなー、たまには自分を褒めてあげよう)
4名の外来担当の在籍が確認され、そのうち「紹介診療のみ可能(要・紹介状)」と記された医師名が2あった。
この病院の皮膚科(専門医)のS先生とは既にだいぶ打ち解けた会話運びを取り合う段階に来ていたので事情(左耳下の不具合)をおはなしし、
「院内紹介でご手配いただくことは可能ですか?」と、頃合いを見ておずおずと申し出てみた。慢性蕁麻疹の原因を見つけられなく、他器官の腫瘍の影響だったケースの文献を目にしたので、それにかこつけて申し出てみた。
院内紹介って言葉を言ってみたかっただけ笑、初めて音に出して言った)
S先生は快諾してくださり、これでめでたく、
これで同医療機関の耳鼻科へもお世話になる流れが仕上がる事となった。

【関連】:紹介状(正式名称「診療情報提供書」)先生には「お手紙」でも通じます。 傷病名・既往歴・診療に関するデータ(画像所見や検査結果等は別添え付録)なんかが封入されていると想像イメージ。患者は開けてはならない。(中身見たい... どこまでどのように伝達しているのか、患者も把握しておいた方が引き継がれた医師との疎通も時短で済むのに何故だろう)自発的に書いてもらいたい時には「セカンドオピニオン(わたしの先輩は4rdまでされていた)」という単語をストレートに出してもよいが、前時代的な権威ある先生方の中にはこころよく思われないTypeもまだおられるようなので、わたしは「もう少し詳しく調べてみたいのですが」などの枕詞マクラコトバを置いて話し、促すカタチで書いていただきます。わたしの場合caseは本人は病院ぎらいなので来院したその回で解決したい。が大概なんでか、そうは問屋がおろさない事の方が多く当人は気が進まないのに紹介状書かれてしまう。
(よく使用する医療機関受診時・枕詞まくらことば
 ・読みかじりの知識で大変恐縮なのですが
 ・少し勉強してきてみたのですが
 ・お蔭さまで(再診時)
*「お蔭さまで」という会話における枕詞は、前回の診療に対しての謝意をさりげなく挟み込める上にお忙しい医療関係の方の時間も節約できるし推奨。
 ・素人の考察で恐縮ですが


わたし「専門医」というものを憶えてから近年は特に、
ますます医師を探すことから始めるようになった。
治療をどこで始めるか決定するのには、他者からの口コミであるとか、施設の整備(建て物の新旧)であるとか、自宅や勤務先からアクセスしやすいか否かだとか、出身校系列だからなんか縁を感じるだとか、HPの写真から雰囲気良さそうと感じただとか、取り揃えておる医療機器が最新鋭であるとか、これらすべてだとか、重きを置くポイント 入り口 は何でもいいし、直観なんとなくでもいいとおもう。
選定の一つの手法として、専門医をキーワードとして探す方法も提示しておきたい。
わたしは病院ギライで予防医学にまでは意欲的に立ち回れなかったが、若いうちから健康診断は定期的に受けて行かれる事を推奨したい(健康診断というこの国の定めたる医療という名の手法レールに必ずしも乗っからずとも自分の身体聴き取ること可能なので自身に強くその自覚のある者はこの限りではない)。
予防医学はAが教えてくれた。美人の意も含む「佳」という字の、人気者である。医療業界へ足を踏み入れたのもAからのお誘いだった。わたしはこれまで有難い事に(だけど本当に謎な事に)様々な方々からそういえばお仕事に誘っていただいてきた。紹介系の入りはその後の自由度が圧迫されそうなので(義理を通すとかでその後の決断が鈍る)がんとして受け入れず丁重にお断りしてやって来たが(これは後付けの理由でマゴマゴ迷っているうちにその気はないのだなと先方に置いて行かれただけのケースがほとんどかも)、Aからの紹介ならいいかと感じた(直感ではなく直観)。Aの美点は多く見つけられるが、ひとつには、人と人とを繋ぐ際にそれぞれに齟齬のないように配慮を施しつつ双方にとっての良い点を紹介するのが上手でプレゼン能力値が高いという点があげられる(ぱっと思いつく同様の人物にはTラさんがいる)。
Aちゃん、苦労したけれどほんとうに感謝しています。ありがとう。良い修行となりました。(ようやく、報われて来ている事を感じる。有難い。)

この記事をupする日、たまたま久しぶりにスマホを開いたら、Suchmosサチモスのベーシスト・HSUこと小杉隼太さん逝去のニュースが目に飛び込んできました。発端は腫瘍発見からとの報道です。20211015

ご冥福をお祈り申し上げます。
小杉 隼太はやたさん、お疲れさまでございました。

仏門の血を引く者として勇気を持ってここに記します。
あなたが楽しかった思い出と共に思い出すとき、その時間がそのまま供養となります。誰も思い出さなくなった時に人は... とお耳になさったことが一度はあるかもしれません。これは逆説的にとらえれば、
『思い出すひとがいる限りその命は永遠に生き続ける』
する定義することも可能でしょう。

「 808 」
   Music:Suchmosサチモス / Lyrics:OK
                発表年 2018年
歌詞より一部抜粋
  「愛を棄てちまう商売 何がしたい
   振り回されているのさ 俺らのライフ」



くろこっちに話を戻したいとおもう。

この耳鼻咽喉科じびいんこうかの外来担当4名の内、初診を担当するのは2名である事をHPで確認したわたしは、それぞれを軽くリサーチしてあった。
(どちらに采配されるかはこの時点では未確定、皮膚科の担当医にも申し出る前、別院の施設で耳鼻科を探す案も模索中)
一人は専門医(資格)を有する医師、
もう一人には専門医の表記はない(←くろこっち)。
(兎にも角にもわたしの中で「専門医」が流行っていたのだ)
専門医の先生の方が経験も豊富そうだし場数が違うし皮膚科のS先生にお願いする際、名指しで専門医の先生のお名前で院内紹介をお願いしてみようかしら、
でも、もう一人の先生は、専門医表記がないとすればまだお若い先生だろう。
わたしは既往歴多彩で複雑なケースの身体カラダのようだし、お若い先生にご経験を積んでいただくにはいい機会(chance)なのかもしれない。

忙しく思考は回転した。(この頃わたしの慢性蕁麻疹は重度で麻酔銃で打って欲しい程に毎日全身症状が酷く、最高レベルの強度のお薬布陣でも抑止できず座っているだけの摩擦でも痒みから痛みに発展する程の状態コンディションだった。呼吸器異常で救急のお世話になった程である。ので、はだかんぼうでしゃがんで書く位しかする事がなくなってしまったために書き始めたのもあります、。それでも足のうらやPCに触れる手首もえらいことになる... でも、書くことはやっぱり愉しい。薬の副作用は、強すぎる。自分でも平常ではない感覚があるので、読んでくださっている方がもしいらっしゃいましたら、誤字脱字、乱文どうかおゆるしくださいませ。40代の強度標準以下の身体で36時間眠れないのはちょっと... きつい、つまりは駄文についての言い訳です、またはげしく脱線してる... )


入室してくろこっちとの会話をスタートした場面に戻る。

くろこっちは問診票に目を通し始めるとビシバシとした結構きつめの口調で次々にあれやこれやと訊いてくる。医師は大体説明の際に早口だが(小児科の先生は丁寧に話すのが癖づいている習慣づいている印象、大きめの病院はほとんど早口。うず発生後によく耳にするようになった「医療現場」の元々あった|深刻さ《人員不足》に起因する。今日久々に表へ出て街の風景に気がついたのだが、調剤薬局もどんどん街中に増えてきている。そういえばこれは数年前にもふと感じた感覚だ。わたしたちはこれから超高齢化社会を迎えるのだ20211023現在時点では確か巷には公的文言としては闊歩していないはず、2035年がひとつの指標)、くろこっちは、これまで会った医師の中でも群を抜いて早口だった。『わー、かるくだけれど予習して来ておいてよかった〜、わたしの左耳下のしこりはおそらく「耳下腺腫瘍じかせんしゅよう」か「ワルチン腫瘍デキモノ」だろう、予備知識をかじっといてよかった〜』と思ったのを憶えている。
問診sessionに彼が気にした点はやはり、まず第一には高度房室ブロック血管迷走神経反射性失神(これはこの施設の採血担当の看護師さんが教えてくださった話だが、ワクチンの副反応・アナフィラキシーと混同されて含まれているケースも実は多いんですよ、みなさん過敏になっていらっしゃいますから、と仰っていた記憶)、甲状腺濾胞腺腫ろほうせんしゅ(前年に切除済み)の件。

くろこっちは、
濾胞腺腫ろほうせんしゅ?これは間違いない?(私、ハイ)濾胞癌じゃないね?!」と言ってきた。
「はい、間違いないです。病理(切除後の組織検査)の後、結果について詳しくご説明いただき、濾胞腺腫ろほうせんしゅと考えて間違いないだろうとのご回答でございました。」とわたしはお答えした。
彼の発する言葉つよくて早口なので(スタッカート)、クレッシェントにるよう上記台詞はそのままに、聞こえ方はダラっとユルっと響くように語尾を伸ばしたり「えっと」などを挟みつつ、この場における二人の会話がレガートに仕上がるよう調整しながらわたしは話した。これは彼よりもわたしの方が年長者であるため、その場にはいない指揮者の代役を務める比重やくわりはわたしの方が配分として大きめに担うべきであると考え、負担が少しだけわたしの方が大きくなるよう心掛けながら会話sessionを進める。

「癌ではなかった?」
「(たぶん〜感を演出しながら)**大学の**先生に切っていただいたんですけど〜、生検後にボクも顕微鏡で見たんでせうがねともおっしゃってましたし、濾胞腺腫ろほうせんしゅで間違いないと思います」(まぁ予後観察中ではあるので最終回答としては癌か癌ではなかったかの二元的な質問に答えは明確には出ていないんですけどね、と心の中で思ったが口はばったいのでことばにはしなかった。これは限り無く低い確率であるためあまり気にしてはいない。**先生は一旦の回答ひとまずの答えとして濾胞腺腫と診断なされたまでで(この先生とも仲良くなったので口ぶりからそんな感じだった、そう言えば手術からちょうど一年経つし経過写真あるし個人メール教えてくれたしお手紙メール送ろうかな!)、残したリンパ節であるとか別の部位からその後に原発巣が甲状腺に由来する癌が発生した場合、一般に「取り切れていなかったのではないか」疑惑や紛争が勃発する。本当に言葉はなまものなのだ、わたしは情報はなまものと憶えていたように思うが、つくづく「言葉」そのものこそが生きている。)


次に、くろこっちはおくすり手帳に目を通し(*筆者は現在のところペーパータイプのお薬手帳を利用中2021)、
「この、プレドニン(ざっくりいうと飲むステロイド剤)は何に対してのアプローチとして飲んでる?」とおっしゃった。
これもかなり語気がつよかった。お若いからだろうか。お忙し過ぎる背景があるのかもしれない。
また緊急事態宣言中であった事とわたしがこの医療機関入り口で37.5℃以上の体温をマークしてしまい、抗原検査を受けてから受診くださいとの窓口指示に従い、元々の予約時間を大幅に押して診療時間を過ぎて彼の前に現れたせいもあるかもしれない。この辺りの時点では、わたしはまだこのヒトは単にこういう口調で話すtypeなんだということに気づいていない。(だってもー、すごい早口できついんだもん)
首周辺だし癌なのか良性のものだったか(甲状腺腫瘍の大半は良性に区分されるが現在のところ領域のそれらと比べ線引きが少々複雑な領域なのだ)、素人の患者ならば、ここで正しく聞き取っておかない事にはその後に打ち立てるべき診療計画及び診断に狂いが生じてしまう可能性もあるからか、ここのライン引き(甲状腺が癌だったのか否か)は彼にとっても重要なポイントだろう。
彼はこの段階では(初診)まだわたしを一般の患者と認識している。


【関連】一時代前には一般にカルテと呼ばれる物は診察を担当した医師が直筆で書き込むもので、ドイツ語で書かれていた(医学部を志している友人との情報交換ぶんつうからその事を知った。1996年頃に2014年あたりから時代に則して(だったかなぁ、あとできちんと調べてみよう)電子カルテ化の波が波及し、医療現場は抜本的に、現場における作業内容に大きな変容を求められたのである。電子化された(地方だとまだ電子カルテ化されていない病院はまだあるとの噂話は2016年に耳にした)データはNCDに集められビッグデータとして収集中なのが現在(2021月現在、たぶんこのデータを各種医療機器のAIにインプットしてゆく作業が同時並行で行われている)。
これは机上や口上の話題として知ってはいたが、2020年10月に入院した際、五感を通じて、医療現場の過酷さを目の当たりにする事となる。
患者データを時差なく忠実に記録する事(看護師、医師)と、これまでに施行されてきた看護の水準が保たれるようおこなってゆくのは並々ならぬ事と愚考しながら観察した。看護師、医師の方々に(この件に関して刮目した対象業種はこの2種)心からの敬意を表して止まない。(この言葉は本来使いたくないが如何程どれだけの敬意かを表すために使う、あーあ表現の研鑽足らない自分がいやだ)
尊敬の念は到底、言葉にはならない


プレドゾニン(プレドニン)は、こちらの皮膚科の先生から蕁麻疹治療の名目でいただいてます」
(2軒目の皮膚科クリニックの応急処置的な量として、初期24時間内に20mg、翌日本記事主題のこの医療機関受診時に減量されて15mg。2軒目で訊かれた参照情報として、身長172cm、体重はこの頃57kgくらいだったと思われる。冬を越すには最低52kなくてはならないのにこのラインを切ってしまったのでせっかくのデブ貯金は空になった。友人・後輩たちは体重に関する事を面で口に出すと睨まれるから止めた方がいいと口々にお説教してくれてきたが、なんでわたしが言いたい事を我慢しなきゃなんないんだ我慢もうやーめた!我慢なんか報われないんだもん。プレドニンは現在も15mg 20211025  やったー!明日から10mgに減量確定!20211026  更に5mgへの移行に成功20211109)
同院・皮膚科のS先生もわたしも、共通の診療目標(健康状態のレベルをひとまずここまで持っていきたいというGOAL)として、プレドゾニン錠は早々に減量し長期使用は避けたかったが状況(わたしの身体症状)がそれを許さなかった旨、蕁麻疹の原因究明の先に他部位の腫瘍の可能性が思い浮かび前年2020年から自覚症状もあった為ここ耳鼻科に来た旨、さらっとは診療開始時にお話していたので、そこから目測を立ててそんなきつい言い方スタッカートは慎んでいただきたかったが、逆に「あー、確かプレドニンって広範囲の領域部位に使用される薬で開発・流通も1990年以降だったけな」とその時思い出した(これはとてもざっくりした浅瀬の知識です)。専攻医段階(修行レベル)のお若い先生では他領域の事にまでアンテナ張れないよな、に思考は無事に着地した。(熟練の年長者医師の方々も存じ上げる為、自然と比較してしまうのだたぶん)

「触診をさせていただきます」
と手短に言いながら、
くろこっちは手袋をはめた。(2020年からわたしたち日本国内を翻弄し続けている渦発生以降の視察の記憶では、どの施設でも患者の身体に触れる場合には手袋必須のようである、もしかして元々そうなってたのかな?これはあまり考えていない点だった、この疑問を憶えておこう)


触診の手つきから、わたしのくろっちへの評価は加点1UPした。

『このヒト手技しゅぎが上手いかも... 』

この4日程前、皮膚科専門医S先生も同様に、耳下患部の触診をなさった。
(S先生は35歳〜の業務に実直そうな外見の、お可愛らしい女性の方で見た目は20代。この先生はお気遣いにも長じておられる上に、会話回しもテンポよくお上手なのだ。わたしは2度目の診察段階で下のお名前に先生付けて呼びたいくらいにはS先生〜好き〜となっていたが、あまりにも馴れ馴れしいので差し控えた。が、皮膚科受付窓口事務方が「あ、S先生ですね(下のなまえ)」とおっしゃったのを聴き逃さず、職場内でやはりそう呼ばれているのだと認識し、三度目受診時にどきどきしながらもごく自然にご本人の前で初・発音した)

甲状腺については2020年1月、健診CTで首周辺に影が見つかり精密検査を推奨されて流れるままに紹介された施設で(ここはその領域に特化した全国屈指のようにうたわれている有名な施設だが、施設の従業員の緊張感や医師の個性のなさ等わたしは総じて好評価をしていない)、首の触診をされた記憶も新しかった。

2020年度中にわたしの首を触診した8名(他診療施設の医師4名も含)と比較してみてもくろこっちは
『センスある!』と感じたのだ。
くろこっちは手技がばつぐんに上手かった。

「ええっと、じゃあちょっと隣の部屋へ移ってもらっていいですか。あ、荷物は置いたままで大丈夫です、一旦表を回って隣の部屋に入って。」と、身振り付きでくろこっちはわたしに言った。
何に動揺を見せたのかは不明だが、少し慌てた様子だった。この時、慌てながらも細かい指示を与えてくれた事から『やっぱりこの人いいひとっぽいな』とわたしは思い直し始めていた。と同時に、HPで耳鼻科担当医紹介を確認した際、主に終末期医療に集点をあてた緩和ケアに関する講習会の修了証を有する記載があった事を思い出した。
2006年に定められた「がん対策基本法」が改正された際に(2016年【関連】ヘビーローテーション導入年)同法案内にて追記されたこの国の医療指針として、
・「がん患者の状況に応じて緩和ケアが診断の時から適切に提供されるようにすること」
・「医療従事者に対するがん患者の療養生活の質の維持向上に関する研修の機会を確保することのために必要な施策を講ずる」
こと等の規定があらたに加えられた。
この規定に基づき、国及び各自治体は、がん性疼痛治療法及び身体的・精神的苦痛の緩和、また、がんの告知に際してのコミュニケーションの在り方等を含む講習会を実施し、次世代の医師育成のひとつの礎とした。
くろこっちは先んじてこの講習会の履修を終えた医師である。
連想ゲームのようだがHPで「緩和ケア」というワードを目にした時、『おそらく主には終末医療と呼ばれた末期がん患者に対してのことを指しているのだろう』と予測したが「終末医療」という言葉や文言が死語化したっぽい以外にはこの予測は、大きく誤ってはいないように思える。であれば、くろこっちは、これほどの手技の高技術を専攻医段階で身につけながらも、一般的には外科領域の最果てに位置づけられる " 外科的アプローチの及ばなくなった " 患者に対してのアプローチにもアンテナを向けて学んだ者であるため、非常に優秀である可能性を示唆していた。
(✳︎ 外科的アプローチの及ばない、としたが2021年現在までのわたし主軸の一般論であり、外科的手法を治療の第一選択肢とせずに緩和ケアへ舵を切る選択を早々にとる患者も一定数すでにいる。自己理念の打ち立て方が速くてつよい人種によく見られるパターンのようで、近年であればスティーブ・ジョブズが思い浮かぶ)


隣りの部屋へ移ってからはものすごい速さで椅子へ座るよう指示され、座ってから顎を少し上げるようにと細やかな動作指示がなされた。
わたしは触診段階ですっかりこの若い医師の技術に安心していたため、言われるがままにすばやく指示に従うことにした。
くろこっちは何か器具を右手に持ち、わたしに向かいかけて「あー、えっと鼻腔内を見させてもらいます」と言った。
わたしはあまり口を大きくは開かずに、
「はーい」と小声で答えながら目を瞑って顎を上げた。

彼の手際は「華麗」と評して過言でない程にあでやかな手捌きで、ものの数十秒で鼻腔内をモニター画面で確認する診察は終わった。
わたしのアレルギー症状は1988年に花粉症・アレルギー性鼻炎・結膜炎と診断されて以来の筋金入りで、シーズンによって重症度合いは異なったが、この2、3年(2018〜2021年)は特に症状がひどく、くしゃみの連発で午後には脳内がぼんやりとして仕事に支障を来たす程だったため、都内某所にある専門のクリニックで鼻腔内をレーザーで焼く施術を試みた程であった。
この試みは功を奏さず、鼻毛を放置なさっている医師に恭しく術前診断をされ痛い思いをしただけで得るものなく終わったが、その年配の医師の手際の数十倍くろっちの技術は優れているように感じさせられた。一切の不快感を与えずに、くろこっちは納得してモニターを閉じた。

診察室へ戻ってから述べられた所見は以下である。
非常に早口で、以下内容もものの数十秒で告げられた。

「まず、リンパではなく(かかりつけ医からは前年2020年6月末時点ではリンパの一部が風邪に反応して一時的に腫れただけだろうと告げられていた、わたしからのその申告を受けて)これは耳下腺腫瘍である。で、ワルチン腫瘍か多形腺腫せんしゅだと思っていて、一般に、女性である事から、多形腺腫と視てまず間違いないだろう、と。ワルチンであれば取る必要はないけど、一般に、多形腺腫であれば取った方が良いだろうという事になる。その場合、うちでは手術は出来ないので紹介先で取るという流れになるかと思います。まだこれから超音波行ってもらうので、その検査をして、後日、針で刺して細胞を取ってみてから診断にはなるけど、現時点でおそらくは多形腺腫だろうと思っている。で、これから超音波の検査行ってもらいますが、造影剤は念のため使わない。」

くろこっちは時に流暢に、時に慎重に脳内の言葉を正確に抽出するかのように厳かに、わたしの瞳を見据えながら時々デスク等に視線を移しつつ、ほとんど一息に話した。
彼の話した内容はほとんど予習済みのもので、わたしは視線をそらさず、時々頷きながら拝聴した。
来院前の予習段階での印象は、わたしもおそらく多形腺腫だろうと目測を立てていたため、感想は「やっぱりかー」程度のものだった。ワルチン腫瘍は中年期の喫煙歴のある男性に多い疾患で、わたしは愛煙家だし自分で述べるのも何だがどちらかといえば男性的であるため(もちろん医学的には参考にならないけれど笑)、あわよくば切らなくても良さそうなワルチン腫瘍希望だったが、そうはいかない。良性とはいえ、放置すると悪性に転化の可能性があるため、多形腺腫は切らないとならないというのが本国における近代医療の一般的指標のようだった。

くろこっちへの評価ポイントは、ここまでで更に加点された。
造影剤の使用に個人的な診療の工夫をこしらえたのだ。
いくら過去に麻酔・採血による穿刺時に徐脈、心停止の歴を持つとしても、造影剤使用の可否にまで慎重に配慮する医師は多くない。この慎重さが彼の若さによるものか元来の性格に裏打ちされたものかはともかくとして、この慎重さと短い時間内に熟考した彼の思考体系は信頼に値すると判断し、また、シンプルに好ましく感じられた。

その後もくろこっちは更に足早に話を滞りなく進め、細胞診に際する同意書の説明とその書面を出力し、わたしに渡した。受け取りながらはわたしは尋いた。
「細胞診は先生が行ってくださるとの認識でよろしいでしょうか... ?」
「... ?あ、はい、えーっと... (PCで予定を確認し)はい、ぼくがやります」
わたしはわがままな中世ヨーロッパのどこぞの公女かのように、医師であっても技師であっても信頼を預ける事のできない初見の人物に自分の身体を触らせる事が、昔から異常に苦手なのだ。また、診療行為は一医師が一連で行ってくださる方がより安心感がある、というのが患者ゴコロというものだ。彼が自らなさって、データを介してではなく、目視でご確認くださると聞いてわたしは満足した。
機嫌を良くしたわたしは重ねて訊いた。
「この同意書は出すの、本日中の方がいいですよね... ?」
ほとんど、一応の確認といった感覚だった。
どの現場でも書類提出は早い方が誰にとっても助かる。
「あぁ、まぁ... 、そうですね。今日出せるなら。」
「承知いたしました」
「じゃあ、超音波へ」
「はーい!行ってきます!」

診察室を出ようとしたわたしにくろこっちはPCのキーボードを叩きながら上半身だけこちらへ向けて、少し大きめの声でこう付け加えた。
「同意書は、提出した後でも取り消せます!」
もちろん、同意書の末尾にも書いてある内容だ。
診察室を一旦後にしたわたしは超音波室を目指し歩きながら、第一印象よりずっと好ましい医師であった事に、満足した。
超音波室の待合の椅子の上で同意書を一読し、サインを書き込んだ。


超音波検査については詳細をあまり憶えていない。
わたしは技師に身体を預けながら、くろこっちが先程の口述内で、
「一般に」
という言葉を2回使用した事について考えていた。
少し含みのある様子に見えたのだ。
おそらくは「診療ガイドラインに従えば」と同義だろう。
だがわたしは一研究者たる彼個人の率直なご意見を賜りたかった。
欲張りなのだ。
蕁麻疹症状が壮絶な中(待合や電車で座っているだけでもお尻に160℃程のアイロンを押し当てられた程に腫れて猛烈な痒みとヒリヒリとした痛みも伴う)、わざわざ時間と労力を割いて聞きに行った内容が、ガイドラインの指針に基づく診断内容と治療計画だけでは少々物足りなさがあった。
のと、くろこっちと話していたワクワクしたのだ。
彼にはまだ話し終えていない内容があるように思えた。
診察室へ戻ったら少し、追求してみようか。






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