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猫から教えてもらった、人生で大事なこと

18歳になる猫のちゃーちゃんがいる。
私が高校生の時から一緒で、真っ白の毛並みに黄色と青のオッドアイが高貴な印象を与える猫。

私にとって、母親のような、赤ちゃんのような、大親友のような大事な大事な家族。
ちゃーちゃんから「愛とは何か」を教えてもらった。


最近、骨ばって、臓器の形もわかるくらい痩せ細っていた。
そしてジャンプもままならなくなってきて、おばあちゃん感が増しているなぁと感じていた矢先の朝、とっても具合が悪そうにしていた。

これはいよいよかもしれない、と半ば泣きながら病院に連れて行ったところ
体重がなんと1.4キロで、お医者さんからも少し覚悟がいるようなことを言われた。

猫って2キロないと、生命活動に支障をきたすから、ちゃーちゃんは相当ギリギリの状態だった。


最近ご飯もきっぱりと食べなくなり、いよいよちゃーも覚悟しているのかと思うと、寂しさが込み上げてきた。


1週間東京に行く予定も全てキャンセルし(というか、図ったかのようになくなった用事もあり)
付きっ切りでちゃーちゃんのことを見る。


寂しさでトチ狂いそうになってた私が、ちゃーちゃんを通して、愛に気付いていく過程を、少しシェアします。

「今この瞬間」という針先の頂点に立つ

いよいよかと覚悟し、Webの検索には万が一があった後の流れや、最期を看取る記事などを読んでは、泣いていた。

ちゃーちゃんを病院に連れて行く時に、暗い気持ちで向かって行く中でふと「今この瞬間にあること」を意識してみた。

「今この瞬間」は、ちゃーちゃんは無事に生きていて、こうして呼吸をしている。
こうして、普段外に出ないちゃーちゃんをゲージに入れて、一緒に外をお散歩できている。
こんな貴重な瞬間なのに、私はちゃーがいなくなった後のことを憂いては、悲しみに暮れていた。

それに気付いたらハッとした。

生きて今ここに一緒にいるのに、私の頭の中は未来に居て不安でいっぱいになっていた。
目の前で懸命に生きているちゃーがいるのに、おざなりになっていた。

それって、ちゃーちゃんのことも見えてないし、大事にできてないよね?
もし私がちゃーちゃんの立場だったら、きちんと今この瞬間共有している時間を楽しんで欲しいし、笑顔で居て欲しいと思った。


そう思ったら、「今ここにあるもの」に目を向け始めた。
「今この瞬間」は何も問題はなくて、ちゃーちゃんがいて、私がいる。
病院に向かうこの道だって、ちゃーにとっては新鮮で、私にとっても、ちゃーとお出掛けする機会なんて滅多になくて、大事な瞬間。

ちゃーに世界の色々なものを見せたい。
「ちゃーちゃん、サンセットがきれいだよ」とか
「お花が綺麗に咲いてるね」とか
「お散歩楽しいね、一緒に歩けて私は幸せだよ」とか
声がけが変わってきた。


そして、ちゃーちゃんのことをお世話させてもらっていること、
これ自体が幸せだということに気がついた。


未来にも、過去にも頭の中は旅をしがちだけど、
一番大事な「今この瞬間」という針先に立つように、今に集中する。

そうすると、不安も消えて、感謝でしかなくなる。


これって、普段の生活からそうだよね。
マインドフルネスとは、こういうことを指すんじゃないかなと思う。


「今ここ」に立つと、自分の中からパワーがわく

「今この瞬間」に立ち返って、そこに君臨していると、自分の中から本来のすごい力が湧いてくる。

未来を憂いて不安に狂ってた時は、お医者さんを頼ったり、ネットの情報を読み漁ったり、「外」に正解を求めていた。

だけど、「今ここ」に集中すると、感謝が湧いてきて、ちゃーを撫でずにはいられなくなった。


「ありがとう」と言いながら、ちゃーの身体を触っているうちに、
私のこの感謝のエネルギーを、ちゃーのパワーにしてもらいたいと思いだし、触る手の平から黄金の光が出るようなイメージをしながら撫でていった。

黄金の光が、ちゃーの細胞ひとつひとつに浸透し、感謝のエネルギーが届くようなイメージ。

すると、本当に手のひらからパワーが出ているような感覚になり、目を閉じて、今この瞬間の自分の思考と手先の感覚だけに集中できた。

思考は、エネルギーが届いているというイメージのことね。


そうすると、とんでもないパワーが自分の内側から湧いて出てきているのを感じ、それにつられてちゃーもいきなり食べ始めるようになってきた。


昔から「手当て」という言葉があるように
手を当てて感謝や愛のエネルギーを送ることは、計り知れないパワーを持っているのだと感じた。
そしてそのエネルギーは、自分の内側から無尽蔵に出てくるもの。

だから、自分を「今ここ」に集中させて、一旦心をフラットな状態にし、感謝と愛にフォーカスをすることが大事なのだな、と感じた。


全てが奇跡であり、感謝できること

ちゃーが体調を崩してから、また前みたいに一緒に寝るようになった。

朝目が覚めて、隣にちゃーがいて、思わず呼吸をしているかすぐに確認する。
か細くとも、肺が上下しているのを感じると、とてつもなく安心した。

そして、今日も生きていること、命を与えられたことに、心から感謝をした。
それはちゃーに対しても、自分自身に対しても。


毎日、毎朝、必ずくるとは限らない。
目が覚めるとは限らない。

だけど、たまたま今の段階で、
毎日目が覚めて、起きたら誰かいて、友達に連絡したら返ってきて…があるから、それを「当たり前」だと思ってしまう。
その回数の方が多いから、そのこと自体に慣れて、感謝が薄れてきてしまう。

だけど、「今ここ」をもっと細かく見ていくと、それが奇跡だと感じる。

出逢えたことも、今目の前で生きていることも、「愛おしい」という感情を持てていることも、実は全てすべて奇跡なんだと感じる。


いつどうなるかわからない状況だから、より強く思うけど、
でもこれって本来はどの人・ものに対してもそうだよね。


そう思ったら、もっと細かく、もっと感謝を伝えていきたいと思った。


自分の発するエネルギーに敏感になる

不安でトチ狂いそうになっていた時、自分が不安や心配といった、重たいエネルギーを出していた。

家でちゃーを見ていても、まるで見張りかのように、ずっと心配で見ていた。
でもどうしても外にでなければならない時、ふっと自分自身も軽くなったのを感じた。
それは、心配というエネルギーから少し離れたからだと思う。

そしてそれは、動物の方がもっとより敏感に感じるのだと思う。


もしも最期なら。
不安でトチ狂っている私の姿を見て、不安な思いのまままま逝ってほしくない。

それに、「今ここ」に立ち返ったら、「今」はとりあえず生きてくれているのだから、その事実に感謝していったら、不思議と「生きていてほしいけど、どっちでも大丈夫」という軽い気持ちになった。

最期だとしたならば、ありったけの「ありがとう」と「愛してる」を伝えていきたい。
言葉の花束をプレゼントしたい。

そんな風に思った。
そう思ったらフッと自分自身も心が軽くなり、ちゃーに対してかける言葉やエネルギーが変わっていったのがわかった。


そこから、ちゃーも食べ進めが良くなり、目に見えて回復しだした。


自分が発するエネルギーに気をつける。
不安に飲み込まれているときは、自分自身もその周りにとっても重たい感じになる。
当然引き寄せられる現実も、なんだか重たいものになってくる。


だから、まず最初は自分のエネルギーや言葉に気をつけ、「今この瞬間の幸せ」にフォーカスをする。


まとめ

ちゃーは日に日に元気になってきていて、体重も1.76kgまで戻ってきている。
欲を言えば2キロを越したいが、骨と皮のようになっていたところから、自分で食べるようになり、フラフラせずに歩けるようになり、朝は私を起こしてくれるようにまで回復してきた。

まだまだ予断は許せない状況だけれど、こうして今も隣で息をして、存在をしてくれていることが嬉しくてたまらない。


今回のちゃーの件で、自分の心の持ち方を学び、「今ここ」に立つ力強さと安堵感を体感した。

そして下記引用のアインシュタインの言葉が、心にしみる。


人生は2つの生き方しかない。奇跡などないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。

奇跡とは、あっと驚くような非日常の出来事のことである。
奇跡は人々に、驚嘆の気持ちを抱かせる。あなたには毎日、シンプルな選択肢が与えられている。
自分の生き方は自分で決めなくてはならない。
人生を、変わったことのない退屈なものとして生きるのか、それとも、人生を素晴らしい贈り物―奇跡―だと思って生きるのか。さて、どちらを選んだ方が幸せになれるだろうか。

アルベルト・アインシュタイン /物理学者( 1879–1955 )


自分の捉え方が、この世界を創っていて、それが周りにも波及する。
「今ここ」の頂点に立ち、今あるもので感謝できるものを見ていくと、全てが奇跡であり、全てが感謝だと気が付ける。


大事なことを教えてくれて、ありがとう♡

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