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「神との対話」を読んで。②真のパートナーシップとは

こんにちは。

ピアノ講師でもあり、
メンタル心理ヘルスカウンセラーとしても活動しています、
「One Heart」です。

4年ほど前に突然わたしの目に留まった本。

ニール・ドナルド・ウォルシュ著の「神との対話」

3巻に分かれていて、
どれも新しい発想をくれる文章ばかりで、
初めは読み進めてもよくわからないまま、
ページを進めた記憶。

でも、時々わたしの心にヒットする言葉があり、
そこに付箋をしていったら、
気づけば付箋だらけになっていた!

そして、今でも何度も読み返す。

回数を重ねるたびに、
入ってくる文章の受け取り方が変わっているような気がする。

わたし、を変えるきっかけをくれた本。

この本を深堀りしてみようと思い、
さっそく記事にしてみました。

今日は、人間関係について。

生きているわたしたちにとっては、
「永遠」のテーマ。

愛情関係というのはどのような関係なのか、
「神との対話」を読んで、
考えてみたいと思います。


1.愛情関係とは

愛情関係が失敗する時(真の意味では失敗した関係というものはありえない。ただ人間的にみて望んだ通りにならないという意味で失敗があるだけ)、
その原因はそもそも間違った理由で関係を結んだことにある。
(もちろん間違ったというのも相対的な言葉)
ほとんどの人は、相手との関係で何を与えられるだろうかと考えるのではなく、
何が得られるだろうかと考えて関係を結ぶ。
人間関係の目的は、
自分自身のどの部分を「明らかに」したいかを決定することであって、
相手のどんな部分を把握し、つかまえておきたいかを決めることではない。
目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、
ほんとうの自分になること、それである。
相手に満たしてもらうことではなく、「完全な自分」・・・
つまりほんとうの自分という存在をまるごと分かち合う相手を持つことだ。

「神との対話第1巻」より

そして、こんなふうに続きます。

あなたの壮大な夢、気高い思い、
そして優しい希望は愛する自分ではなく
愛する他者に関わるものだという誤解だ。
人間関係の試練は、相手があなたの思いにどこまで応えてくれるか、
自分が相手の思いにどこまで応えられるか、と思い込む誤解だ。
しかし、真の試練とは、
あなたがあなた自身への思いにどこまで応えられるか、
ということなのだ。
自分を愛していなければ、
相手を愛することはできない。
人間関係では、それぞれが自分のことを考えるべきだ。
自分は何者か、何を持っているか。
自分は何を欲し、要求し、与えているか。
自分は何を求め、創造し、経験しているか。
そう考えれば、すべての人間関係はすばらしいものとなり、その目的に・・・
そして関係を結んでいる人間にとっても・・・大いに役立つだろう。
人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、
ただただ自分について心をくだくべきだ。

「神との対話第1巻」より

ほんとうの自分は何者であるかを決め、
ほんとうの自分になること、それである。
相手に満たしてもらうことではなく、「完全な自分」・・・
つまりほんとうの自分という存在をまるごと分かち合う相手を持つことだ。

本書では、上記のように「ほんとうの自分」とは何者であるかを決めることが人間関係の目的だと語っています。

そして、「ほんとうの自分」という存在をまるごと分かち合う相手を持つこと、と言っています。

難しい言葉たち。

ということは、まずは「ほんとうの自分」は何かということがわかっていないと始まらないということだよね?
という疑問にたどりつく。

以前の記事でも書いたように、
著者さん(ニールさん)のこの本で言っている「神」と、
「ほんとうの自分」という表現は同じといっていいと解釈すると・・・。

でもよくわからない。

この本のテーマでもある、
「ほんとうの自分」とは何者か、という答え探しが、
本文の中のエッセンスからヒントを得ながら
それぞれが感じ、答えを探す、
ということなのかもしれません。

2.自分ファーストでいい

「自分ファースト」

最近よく耳にする言葉。

言葉だけで考えると、
「自分勝手」と解釈してしまいがち。
真の人間関係の本質は、
「自分ファースト」の中にある

「自分ファースト」を”自分勝手”と解釈すると本質とずれてくる。

”自分勝手”というのは、
常に相手との「比較の意識」があり、
自分が優先されないと困る
、という
「エゴ」の意識からくるものだと解釈する。

自分が・・・自分が・・・など、
”われ先に・・・”という思考から来る行動。

こんな思いからくる行動も、
「自分勝手」と表現することができる。

でも、ここでの「自分ファースト」というのは、
「比較の意識」がない状態の思いや行動。

相手と自分は対等で、
相手もオーケーだし、自分もオーケー。

こんな思い。

比較の意識は、
”どちらかが上”で”どちらかが下”がないと比較にならない。

分離意識とも言える。

自分を高めていくために、
時に人と競い合うことは、この世界では必要だと感じていても、
不必要に人と比べたり、あの人に比べてわたしは・・・と
悲観的になる必要もないのではないかと思う。

3.なりたい人物像になるとイメージすること

自分の周りに
なりたい人物像に似た人がいたら、
あの人みたいになりたい!
ポジティブに相手を「お手本」や「先生」みたいな感覚で相手と関わると
とてもいい関係になる。

自分がどうなりたいのか、
どう感じたいのか、
どう行動したいのか。

こういった考えは、
けっして「自分勝手」な思いではない。

そこに、相手への比較から
自分が相手よりも前に出ようとする思いがあると
「自分勝手」な行動となってしまう。

あなたがたは発達進化し、自分自身になっていく存在である。
そしてあなたがたはあらゆるものとの関係を活用して、
何者になるかを決定する。
あなたの最初の関係は、自分自身との関係である。
まず自分自身を大切にし、慈しみ、愛することを学ばなければならない。
他社の価値を見抜くためには、まず自分に価値を見出さなければならない。
他者の神聖さを認めるには、まず自分自身が聖なる存在であることを知らなければならない。
わたしが送った教師たちはすべて同じメッセージをたずさえていた。
「あなたはわたしと同じく神聖である」というメッセージ。
だがあなたがたはこのメッセージを聞くことができなかった。
だからあなたは決して心から、純粋に誰かを恋することができない。
心から、純粋に自分を恋していないからだ。
いつでも相手ではなく、自分が何者であるか、何をし、何を持っているかを考えなさい。
あなたがたの救済は相手の行動の中にではなく、
あなたがたの反応のなかにある。

「神との対話第1巻」より

「自分ファースト」を細かく言葉にすると上記の引用のようになります。

これは本書のいわゆる”神”の言葉ですが、
まさに「自己愛」とはこういうもの、という文章になります。

4.わたしたちの本質は、「自己愛」

これも先ほど書いた「自分勝手」からの思い、
「ナルシスト」的な自己愛ではありません。

「ナルシスト」的自己愛は、
自分の肯定的部分にだけ愛情を持ち、
否定的部分には目を背けた愛のかたち。

本質の「自己愛」は、
肯定的部分はもちろん、
自分の中の否定的部分ですら、受け入れている状態

「自」と「他」という分離意識がない、
という表現がまさにぴったり。

先ほどの引用にあった言葉。
まず自分自身を大切にし、
慈しみ、愛することを学ばなければならない。

よく聞くワードではありますが、
自分自身の嫌いな部分までも認めて受け入れる。

これができていないと、
相手を心から愛することができないと著者さんは言っています。

5.この世的な「愛」は、期間限定

特に、「恋」と呼ばれる感情は、
「好き」が持続しない性質を持っている。

よくもって3年ぐらい?

だんだんと相手のイヤな部分が見えてくる。

これは、男女間で普通に感じることだけど、
最初は相手の”いい部分”しか見えていなかったというところから関係が始まっている。

初めのうちは、10分以上の遅刻も
「遅刻するところもかわいい・・・」なんて
好きという気持ちがカバーしてくれるということもある。

本質的「愛」は、
イヤなところも認めて受け入れる、というスタンス。

好きなところ、嫌いなところあるんだけど、
どっちもあっていいじゃん、人間なんだから・・・みたいな感覚でしょうか。

自分自身だって完璧じゃないしね。
相手に完璧を求めるなんて「自分勝手」な思い。

じゃ、長年連れ添った夫婦は本質的「愛」なのか?
という疑問が出てくる。

その答えは、
一緒に寝れるか・・・。
ここに答えがある。

洗濯物を一緒に洗えない、
触れるのもイヤ、というのは
本質的「愛」とはいえない。

ハグができるか、でもいい。

外見は変わります。
それでも”本質”は変わりません。

”本質”でつながっている人とは、
触れ合うことを恐れたりしません。

触れ合っても、触れ合えなくてもどっちでもいいから一緒にいたい。

触れ合うことだけにフォーカスしていない。

若い頃は、キレイだったのに・・・。
若い頃は、カッコよかったのに・・・。

ペアルックを着たり、ぴったりと寄り添って
歩いているカップルに嫉妬しなくていい。

「結婚しました」という報告ハガキにイラッとしなくていい。

見えるものは、変わっていく。

この世的ルールとは、そういうもの。

それでは夢がないではないか、という気持ちもわいてくる。

結婚すること=夢がないこと、
と言っているのではなく、
つねにこの世の中は変化するということをただ受け入れる。
それができれば、一緒にいたいからといって
結婚することがゴールだとこだわらなくなる。

6.関係性は必ず変わる

必ず、関係性は変わると認識する。

ラブラブなのは、今だけと思って、
今という瞬間を思いっきり楽しむ。

新婚時代は今だけだと、今を存分に味わいながら幸せの一瞬一瞬を感じる。

これでいいのではないかな。

ずーっと続くといいね、とカップルで誓い合っても、
必ず変わっていくのが、人生。

それは愛が終わるという意味ではなく、
もっと深い愛に変わるかもしれないという可能性を秘めているということ。

相手が交通事故にあって、足が不自由になったら、
「わたしがあなたの足の代わりをしてあげる」と
一生介護する関係性になったりすることもある。

産まれた子供に障害があって、
その子供を夫婦でめいっぱい愛していくか、
子供をめぐって別れ話になるか、
どんな可能性があるかなんて誰にもわからない。

あなたがたの救済は相手の行動の中にではなく、
あなたがたの反応のなかにある。
先ほどの「神との対話」引用部分より

相手の行動が原因でイライラしたり、悲しくなったりするのではなく、
私たちの反応の中に人間関係を救済する種はある。

例えば、メールの返事が遅い。
この相手の行動で、「待てる人」と「待てない人」に差があるのは、
待つ側の反応そのものだということ。

相手のメールの返信が遅くても平気な人もいる。

でも一方で、5分以内に返さないと激怒する人もいる。

挙句の果てには、恋人が浮気してるんじゃないかと疑う人もいる。

人の反応はさまざま。
どの反応が正しいというわけではなく、
その反応によって、湧き起こる感情が変わってくる。

7.すべては反応

今までの経験から、メールの返事が遅れたことで相手に怒られたとか、
メールの内容に不備があってそれを指摘されたことがあるとか、
何かしらのイヤな思い出がともなっていたりすることがある。

過去の経験による記憶がその人の反応を作っている。

記憶=反応

反応することは仕方のないこと。
勝手に起こるから。

自分はいま、こういう反応をしたんだ、ということに気づいていればいい。

直したければ、どう振る舞いたいのか
なりたい自分像をイメージして、
行動を変える努力をしていく。

寛容な人になりたければ、
寛容な反応をするように、
行動を変えていけばいい。

心の中で”イラッ”としても、言葉では
「いいよ。仕方ないね。」と言う、とか。
初めは心と行動がともなっていないこともあるけど、
こうなりたいとずっとイメージをし続けることで、
だんだんと心の中も変わっていく。

8.人への想いは、はかない

恋心は、はかない性質を持っているので、
ラブソングや恋愛ドラマはいつの時代も愛される存在。

ラブソングに出てくるストーリーを自分にあてはめてみたり、
恋愛ドラマの主人公が自分の過去を思い出させたり・・・。

「あー、今あの人何してるかな?」なんて
過去の恋人に思いを馳せたりすることもある。

その当時は、ずーっと続くと信じていた恋でさえ、
振り返ると切ない思い出になっていたりする。

「初恋は実らない」なんて言葉もよく聞く。

きれいな恋愛だからこそ、
いつまでも心に残しておきたい気持ちがある。

心のどこかで、
実らない方がよかった、と思う人もいたりして。

9.だから、「いま」という時が輝かしい


はかない現実を生きているわたしたちが唯一なのは、
「いま、この瞬間」だけ。

本質の「自己愛」の存在は、
「いま」という時が一番すばらしいことを知っている。

いつかは終わりが来る関係性を持っている私たち。

だからこそ、「いま」という瞬間を大切に、
今目の前にいる人を大切に想っていきたい。

初恋の人に再会したら、
どんな顔をして会いたいですか?
どんな言葉をかけたいですか?

そして、未来の恋人に出会う時、
どんなわたしでいたいですか?
出会った瞬間どんな言葉をかけますか?

真のパートナーシップを築ける相手にめぐりあったら
出会った瞬間に、「幸せ」を直感的に感じる経験をするのではないでしょうか。(あくまでもイメージです)

今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。












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