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「神との対話」を読んで。”愛と不安”、”相対性”を考える。

こんにちは。

ピアノ講師であり、
メンタル心理ヘルスカウンセラーとしても活動しています、
「One Heart」です。

4年ほど前にふと本屋さんで出会い、
直感で購入。

初めは内容がよくわからず、
「?」という印象でしたが、
時々心に触れて、「そうそう!」と感じるフレーズがあり、
付箋をしていたら、付箋だらけになり・・・笑。

今でも何度も読み返している本。

ニール・ドナルド・ウォルシュ著
「神との対話」

その中から印象に残ったフレーズを紹介し、
わたしなりに深めてみました。

まず、この本の冒頭、
著者であるニールさんは、「謝辞」として
ニールさんがこれまでに出会った人たちに向けて
感謝の言葉を綴っています。

少しご紹介したいと思います。

1. 神との対話、「謝辞」より


第一に、そしていつも、いつまでも、
この本のすべての源、人生のすべての源、
生命そのものの源に感謝したい。
第二に、あらゆる宗教の聖者、賢者を含め、
精神的な師と仰ぐひとびとに感謝したい。
第三に、誰でも生きているあいだに、
分類したり説明したりできないほど深い意味のある大切な人たちと出会う。
智恵をわかちあい、真実を語り、過ちや弱点を苦しむわたしたちを
忍耐強く見守ってくれる人たち、
そのうえ、わたしたちの最も良いところを見抜いてくれる人たち。
彼らはまた、わたしたちを受け入れ、
自分でも望んでいない部分を否定することで、
わたしたちを育んでくれる人たちである。
このすばらしい人たちの贈り物には感謝の言葉もないが、
なみはずれた智恵と優しさと愛情を持ち、
人間関係についてのわたしの最高の考えが必ずしも幻想でないこと、
夢は実現するということを教えてくれた良き助力者、配偶者、パートナーを思うと、胸の奥に温かいものがこみあげてくる。
第四、そして最後に一度も会ったことはなくても、
生き方と業績に大きな感銘を覚えた人たち。
誰かに人生の真実を教えられる、それがどれほど輝かしい体験か、
みなさんもきっとご存じだろう。
わたしの場合、その誰かとはほとんどがすぐれた創造的な芸術家だった。
芸術によってわたしたちは、インスピレーションを与えられ、
ひとり静かに思いをめぐらす。
芸術こそ、わたしたちが神と呼ぶ存在を一番美しく表現しているからだ。

「神との対話第1巻」冒頭「謝辞」より

著者である、ニールさんが「神」と言っている対象は、
外側の”人”ではないようです。

すべての宗教観も受け入れつつ、
「神」という言葉をあえて使っていますが、
けっして、私たちが知っている”神”のことではないということのよう。

そしてもうひとつのワード、「源」

これは、ニールさんのいう「神」とイコールの意味を持つ言葉だと解釈してみる。

この本の中には、「ほんとうの自分」という言葉が何度も繰り返される。

「自分とは何者か」という言葉も出てくる。

その「ほんとうの自分」や「自分とは何者か」の答えとなる存在が、
”源”と呼んでいるもの
だと感じた。

自分の人生で出会ったすべての人、もの、できごと、
そして自分の内側で感じた感情ですら、感謝の気持ちがわいてくる。

この「謝辞」を読んだだけで、
これからのお話の内容がとてもワクワクするものだと
直感的に感じた。

そして、本書の文章を読んで気づいた方もいらっしゃると思いますが、
書体が2種類あるのです。
明朝体で書かれている部分は「わたし」の言葉、
ゴシック体で書かれている部分はいわゆる「神」の言葉、
さらに書体が変わっているところは、著者さんご自身が
「強く響いてきた言葉や文章」ということだそう。

それでは、本文に入っていきます。

2. 二極性。どちらか片方だけでは存在できない

深く探ってみれば 人間の行動には二つの動機しかない。
不安か、愛か。
じつは感情の源もこの二つだけだ。
魂の言語にはこの二つの言葉しかない。
あなたがたが住む世界を創造したときに生み出された
二つの極なのだ。
これらが「相対性」というシステムを可能にする2点、
アルファでありオメガだ。
人の思考も行動もすべて、愛か不安か、どちらかを根拠としている。
他の考えはすべて、この二つから派生したもの。
よく考えてみれば、これが真実ということがわかる。
愛という考えか、不安という考え。
そのどちらかが、すべての思考の陰にある。
人間の存在というエンジンを動かしている”生”のエネルギーだ。
ひとが何度も何度も同じ体験を繰り返す理由もここにある。
人が愛し、つぎに破壊し、そしてまた愛するのはそのためだ。
つねに、一方の感情から他方へと揺れ動くからだ。

「神との対話第1巻」より

この世は、『二極性』の世界。
「プラス」と「マイナス」
「ポジティブ」と「ネガティブ」
「いい」と「わるい」など
すべて二つの極のバランスでできている。

どちらかだけでは存在しない、ということ。

コインの表と裏のような感じ。

両方の側がないとコインにならない。

別ブログで相対性について書いています。
お時間ありましたらお立ち寄りいただけるとうれしいです。

3. 人の気持ちは移ろいやすい

「好きだ」とか「愛してる」という言葉には、
安心感を与える要素もあれば、
その一方で、不安感を与える要素も含まれる。

人の心は常に揺れ動く性質を持っているので、
安心感のあとには必ず、
「不安感」というものがつきまとってくる。

そして「不安感」は、
「愛されたい」の裏返しでもあるので、
この両方向の感情が行ったり来たりする。

「不安感」には、”失う不安”というのも含まれる。

相手そのものを失うという物理的な不安よりも、
「愛されていること」がなくなってしまうのではないかという
”心理的に失う不安”の方が大きい。

この世界は、常に移り変わる性質を持っている。
つまり、”はかない”のです。

私たちはずーっと同じ状態ではいられないことを、
心の奥深くでは知っているのではないかと思います。

4. 愛が何かを知るには、対照となるものが必要

もうひとつ、「相対性」をわかりやすく説明している部分をご紹介します。

外側に比較対照するものがなければ、
いつまでも「自分」を知ることはできない。
比較対照の基準が何かあるとすれば、それは内部にしかない。
このエネルギー・・・、純粋な、見えず、聞こえず、
観察できず、したがって他の誰も知りえないエネルギーは、
自分のすばらしさを体験しようとした。
そのためには、自分の中にある比較対照の基準を使わなければならないと気づいた。
神は、愛が存在するためには・・・
そして純粋な愛である自分を知るためには・・・
対照となるものが存在しなければならないことを知っていた。
正反対のものが存在する必要があった。
そこで、神は偉大なる極・・・愛の絶対的対極にあるもの、
愛ではないあらゆるもの・・・を創りあげた。
それが現在「不安」と呼ばれるものだ。
不安が存在した瞬間、愛もまた、体験しうるものとして存在しはじめた。
愛とその対極、この2元性が、人間のさまざまな神話で言われる悪の誕生、
アダムの堕落、悪魔の反抗などである。
あなたがたは、純粋な愛を人格化して神と呼び、
恐るべき不安や恐怖を人格化して悪魔と呼んだ。

あなたがたの宗教で、
「人間は神の姿をかたどり、神に似せて創られた」というのは、
そういう意味だ。
これは一部で言われているように
物質的な身体が似ているということではない。
そうではなくて、本質が同じだという意味だ。
わたしたちは、同じものでできている。
わたしたちは、「同じもの」なのだ。
同じ資質、能力を持っている。
その能力には、宇宙から物質的な現実を創出する力を含まれている。

「神との対話第1巻」より

「わたし」という人を知るために、
目の前にいる人との関係、起こるできごとがある。

まさに、「人生の教科書」

これはもともとわたしたちが
生まれる前から「知っていた」こと。

生まれてしばらくは、
「知っている」のですが・・・、
それが、7〜8歳ぐらいになると
忘れてしまう・・・。

いろんな経験を積み、
いろんなことを考え、
そして、そこから「自分」とは何ものか・・・を知り、
元へ戻っていく・・・。

たとえば、あなたの周りに「嫌いな人」がいる。

その「嫌いな人」への思い、
なぜその人を嫌いになったの?
どんな部分が嫌いなの?
こんなふうに自分に質問を投げかけてみる。

  • 嘘をつく

  • 時間にルーズ

  • いつも言っていることが違う

  • 愚痴が多い

など、もっと具体的な何かがあるかもしれない。

嫌いなその人のその部分は、
わたし自身が普段”やってはいけないこと”と思ったり、
”ダメだと思っていること”だったりする。

自分にやってはいけないとブレーキをかけているその部分を
嫌いな人は見せてくれているのかもしれません。

私ももしかしたら今まではそうだったのかもしれないけど、
他人の行動をみてやめた、と答えが出るかもしれない。

他人のいいところ、イヤなところは、
自分の価値観を知るきっかけになる。

自分にはそんなイヤな部分ない!と否定したくなることもある。
それでも「もしかしたら、自分もやっちゃってるかもなー」とか、
「嫌われるからやらないように頑張っていることかもしれない」、と思うと、
ちょっと気持ちが楽になるような気がする。

5. 最後に

「神との対話」は3巻にわたって書かれていますが、
ほぼ1巻の初めの方に、大事なことが書かれています。

まだまだ人間関係(親子、パートナーシップ)、仕事、お金、
夢の実現、病気などなど人生のあらゆることがらについて、
対話形式で書かれています。

わたしは何度も読み返しています。

その時その時で感じることが違うので、
同じフレーズを読んでも、
受け取り方が変わっていることも多々あり、
毎回新鮮な気持ちで読んでいます。

もう少しご紹介したい部分があるので、
また別の記事で書いてみたいと思います。

今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。

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