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「エゴ」って、”個”の主張が大好き。「エゴ」の存在価値とは。

こんにちは。

ピアノ講師、メンタルコーチとして活動しています。
「One Heart」です。

今日は、「エゴ」について。

わたしは、仏さまが好きで、よくお寺にお参りに出かけていました。
(最近のご時世の状況により、今はほとんど行っていません)

本堂に安置されているご本尊さまや、
美術館の企画展などで、「仏像展」があると、必ず観に行っていました。

いろんなお姿の仏さまがいらっしゃいますが、
みなさまは、どの仏さまに興味がありますか?

少し前に行った「京都国立博物館」の展示室。仏像ワールドでした。


  • 大日如来

  • 釈迦如来

  • 阿弥陀如来

  • 薬師如来

  • 千手観音

  • 不動明王

  • 四天王

などなど・・・。

わたしは、高野山で修行した元修行僧の祖父がいるために、
どうしても、密教の仏さまにフォーカスがあたってしまいます。

わたしは・・・、一番好きな仏さまは、『不動明王さま』で、
その次に『四天王さま』が好きです。

『四天王さま』は、4体の天部の仏さまたちで、持国天、増長天、広目天、多聞天の仏さまたちです。

『不動明王さま』は、こわいお顔をしていて、後背が炎でメラメラ燃えていて、手には鎖をもっており、見るからに、こわーいお姿をしております。


わたしたちの、『煩悩』といわれる心の闇を払いのけてくれる仏さまです。

また密教では大日如来の化身と考えられています。

右手には煩悩を断ち切る「宝剣」を、左手には煩悩を縛り衆生を救う「羂索(けんじゃく)」という縄状の武器を持っており、
煩悩を焼き尽くす力や永遠の勇猛心を表す「火焔光背(かえんこうはい)」を背負っているのが特徴です。

『四天王さま』は、それぞれお顔の表情や手に持っているものは違うのですが、共通しているのは、”邪気”という『鬼』を踏んづけていること。

もともと、仏さまを守る守護チームであったと言われています。

ですので、お寺によってですが、仏さまの四方に囲むように安置されることが多いのが『四天王さま』です。

どうして、この仏さまが好きなんだろう・・・ってぼんやり考えていたら、ハッと気づいたのです。

わたしたちは人間である以上、「エゴ」とのおつきあいは必須。

その「エゴ」の象徴でもある、『心の闇』の部分、がお不動さんの怖い顔だったり、四天王さまが踏みつけている邪気だったりして、そこの部分に惹かれているのかなー、なんて思ったりしました。

やっぱり、人間なんだね・・・。

「ほんとうの自分」視点でみたら、どうみても、『お釈迦さま』だったり、『大日如来』が好きになると思う。

光、そのものの象徴なんだから・・・。
もちろん、お釈迦さまも大日さまも好きです。

でも、なんだかお不動さんの怖い顔や、四天王さまの足元の邪気に興味を惹かれる・・・。

そこに、『アート』を感じてしまうのです。

『お釈迦さま』や『大日さま』はそれでいて、パーフェクトだしすばらしいし『アート』でもありますが、”個性”っていうと先ほども書いたように”闇”にフォーカスが向いてしまいます。

『個性』って、こういった”闇”の部分に存在するのかもしれませんね。

仏さまを観ていて、そんなことを感じてしまいました。

「個性」って、素晴らしい。

だって、いろんな喜怒哀楽の表現をして、それをアート(芸術)だと感じられるんだから。

それは、人でも仏さまでも同じだと私は思います。

人間は、喜怒哀楽を表現するいきもの。
だから、怒ってもいいんです。

泣いてもいいんです。

いつも笑顔で、いつも楽しく・・・ばかりいられない。

感情のアップダウンは、
人間だからこそ経験できるもの。

大いに怒ろう!
大いに泣こう!
思いっきり表現しよう!

ネガティブがダメでポジティブがオッケーと考えていると、
ネガティブなことばかり考えてしまう自分を否定してしまうことになってしまう。

人間なんだから、ネガティブオッケー!なんです。

どんなに「悟った」人でも、気分が下がることもある。
イラッとすることもある。
悲しくなることもある。

だって、人間なんだからどちらでもすばらしいんです。

生きていること、そのものがすばらしいことだから。

今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。



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