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データの読めない人間は、星の評価システムを正確に読めない(ミシュランの一つ星を「低評価」だと思う層がいる現実)

物事を☆の数で評価する「三つ星評価」もしくは「五つ星評価」システム…

小説投稿サイトにも、よくありますよね?

ですが、この評価システム…「見方が2つある」ことに気づいている人は、意外と多くないのかも知れません。

…というのも、つい最近、びっくりする「物の見方」を知ってしまい、驚いたのですが…

知識の無い人にとっては、ミシュラン一つ星でさえ「低評価」

とあるニュースで、ミシュラン一つ星の飲食店の話題が出た時のこと…

近くにいた知人が、言ったのです。

「一つ星?低評価じゃん!」…と。

一瞬、耳を疑いました。

ミシュランの一つ星と言えば、星を獲りたくても獲れない無数の名店たちより、頭1つ分以上抜け出した「スター」

決して低評価などではありません

しかし、それを知らない層も存在しているのです。

ちなみにコレを知らなかったのは、恐ろしいことに一人だけではありませんでした

別の知人に「ミシュランの一つ星は低評価ではない」という話をしたところ「そうなんだ?」と初耳顔をされたのです。

近頃は、ネットばかりでTVや新聞を見ない層もいれば、逆にアナログな情報ばかりでネットを全く見ない層もいて「情報の格差」「知識の分断」が問題になってきています。

さらにネットの世界では「フィルターバブル」で「普段目にする情報」に偏りが出やすくなっています

ある層にとっては「当たり前」「常識」な知識であっても、別の層にとっては「そんなものは知らない聞いたこともない」…それが普通にあり得てしまうのが、現代社会なのです。

ミシュランガイドを「知らない人間」にとっては、ネットショッピングのレビューの星の数の方が身近で、星1つは「低評価」…きっと、そういうことなのでしょう。

■三つ星~五つ星評価システムには「2つの見方」が存在する

上でも既にさらっと触れていますが…

三つ星~五つ星評価システムには、実は「2つの見方」が存在します

まずは上でも書いたミシュラン方式での星の見方。

(ミシュランは飲食店は三つ星評価ですが、ホテルは五つ星評価です。)

ミシュランは星1つの時点で既に「ガイドに載せる価値のある店orホテル」ということですので、星1つは「低評価」ではなく「高評価:レベル1」です。

つまり、全てが「加点」なのです。

もう1つは、レビューサイトなどでよくある「見方」。

すなわち「星が1つは低評価」という見方です。

図にすると、こんなイメージになるかと思います↓。

五つ星の「真ん中の星は平均点」で、それより下は「減点」、それより上は「加点」というイメージです。

この2つの見方の「どちらを取るか」により、同じ評価であっても星の数が全く違ってしまうのです。

たとえば「加点1(高評価:レベル1)」を、ミシュラン方式で表すとこうなりますが…↓

「星の真ん中は平均点」方式で表すと、こうなります↓。

星の数が、全然違ってしまいますよね?

こういうことがあって「ややこしい」ので、自分は☆の数で評価するシステム自体をあまり良く思っていないのですが…

中には「見方が2つある」こと自体に気づかず、その「問題点」に気づいていない人も多いのかも知れません。

■どちらの見方で評価をつけるか、書かれていないシステムも多い

さて、ここで問題です。

小説投稿サイトに時々ある5つ星評価システム…あれは、2つの見方の「どちら」を採用しているのでしょう?

……ここで迂闊うかつに「どちらか」を選んでしまった方、ハンター試験だったら会場にも辿り着けずにジ・エンドですよ。

答えは「そんなの、公式に書かれていなければ分からないよ」です。

レビューサイトの中には「☆1つは『悪い』☆5つは『良い』」という風に、予め「基準」を示してくれている所もあります。

ですが、全てが全てそうなってはいるわけではありません。

「基準」が示されてもいないのに、勝手に「これはこういう見方だ」と思い込むのは、データの読みが甘い人間がやりがちな「先走り」です。

(データというものは「それが何を示しているのか」だけでなく「そこから何が読み取れないか」も重要なのです。そこが誤解やミスの始まりですので。)

たとえ運営さんの中には確固たる「基準」があったとしても、それが明示されていないのなら同じこと。

「基準が無い」評価システムは「基準が無い」ことを前提に読み解かなければなりません

すなわち、物の見方が十人十色なユーザーが「どんな見方で評価をつけているのか分からない」…そういうことなのです。

■星の数が何を表しているかは「コメント」から推測する

基本的に自分は、コメントのついていない「星の数だけ」のレビューは参考にしていません

コメントの無い星の数は「何を表しているのか(どちらの見方で評価をつけているのか)」が分かりません。

そもそも、素人のレビューには「このレベルならこの数の☆をつける」という「基準」がありません

「甘め」に評価をつける人もいれば「辛め」に評価をつける人もいます。

「甘め評価」での☆5つは、「辛め評価」では☆3つかも知れません。

そして大概の場合、評価者はそれが「甘めにつけた評価」なのか「辛めにつけた評価なのか」を書いてくれてはいないのです。

ですがコメントがついていれば、その人がどんな風に評価をしているのか、星の数をどう見ているのかが、うっすら推測できます。

「この人は『おもしろい』でも星1~2個の人なんだな」「この人は『減点』して星3つになってるんだな」…といったことが、コメントと星の数の対比で分かるのです。

「星の付け方」は人によって本当に様々です。

レビューを数多く読んでいけば、そのことがよく分かります。

■「何に対して」星を付けるのかは、人それぞれ

この手の評価を見る際に、もう1つ大事なポイントがあります。

それは、その星が「何に対して」付けられているのか、ということです。

たとえばミシュランのグルメガイドなら「何に対して」評価を付けるのかが、予め定められています。

その評価対象は、あくまでストイックに「料理」のみ。

内装や料理人の人柄などは評価の対象になっていないのです。

しかしアマチュアのレビューは人により「何に対して評価しているのか」が全く違います

なので時には「え…?それはべつに、どうでもいいよ…」というモノに対して減点・加点されていて、全く参考にならないことがあるのです。

たとえばAmaz○n名物の「梱包・配送に関する評価」…。

「商品自体」の評価を知りたいと思って見てみたら、それは商品ではなく「届け方」についての評価だった…そんなことが、よくあります。

他にも、たとえば医師の腕(治療レベル)を知りたいと思って病院の口コミを見たユーザーが「この病院は新築でとてもキレイなので☆5つです!」というレビューを見ても、全く参考にはなりませんよね?

小説投稿サイトでも同じことです。

レビューや感想を数多く読んでいけば分かることなのですが…

小説の評価は時に「1ページあたりの文字数が多いか・少ないか」や「誤字脱字の有無」で付けられていることもあります。

もちろん、気になる読者は気になるでしょうが、気にしない読者にとっては「どうでもいい」ことでしょう。

それと、言うまでもなく「好みに合っているかどうか」でも評価は左右されます。

特に恋愛モノの「へき」は地雷も多い分、作品ガチャの読者ガチャで「合わない」ものを引いてしまうと、評価は必ず落ちるものです。

自分にとって「どうでもいいモノ」に対してつけられた評価…あるいは「自分とは好みが正反対」の人がつけた評価

そんなものが、この世にはあふれているのです。

自分が「星の数だけで評価を鵜呑みにしない」「評価を見る際にはコメントをよく見る」のは、これが理由です。

■「評価人数」の少ないものは、あまり参考にしない

星の数の評価でもう1つ、必ず気にして見ている情報があります。

それは「評価人数」です。

その評価が「何人の評価の平均(あるいは合計)なのか」という情報です。

特に「平均」の場合、評価人数が少ない時には「参考程度」にしか評価を見ません。

なぜなら「平均値」というものは、ある程度の人数がそろってからでないとアテにならないからです。

たとえば評価人数が1人の場合…

その人が「ミシュラン方式の見方」で☆をつけているか、「☆1は低評価の方の見方」でつけているのか…それで☆の数がまるで違ってしまいますよね?

ですが人数が増えれば、そんな「見方」も平均化されます。

ヘンな部分で減点している人がいても、個人的な「好み」で評価している人がいても、さらには「サクラ」や「やらせレビュー」があっても同じこと。

評価人数が少なければ、そんな「ヘンな評価」「アテにならない評価」「不正な評価」が悪目立ちしてしまいますが、ある程度人数がそろって「平均化」されれば、そんな評価も目立たなくなります。

逆に言えば、評価人数が少ないうちには「その評価が信頼できるものかどうか」すら分からないのです。

(…もっとも評価人数が多くても、「組織票」で大量に評価が投稿されてしまえばどうにもなりませんが…。)

■「当たり前」は伝えていかなければ伝わらない

最初に書いた「ミシュランの一つ星」の件ですが…

既に知識のある人であれば、ほとんどが「そんなこと、わざわざ言わなくても皆知ってる」と思っていることでしょう。

知識のある人には、その知識が無い人間のことが想像できません。

なので、自分にとって「当たり前」の知識を、わざわざ伝え、広める必要を感じないのです。

しかし、ある人たちにとっての「当たり前」は、別の人たちにとっては「当たり前」ではありません

「当たり前」な知識でも、ちゃんと伝え、広めていかなければ、やがては忘れられ、「当たり前」ではなくなってしまうのです。

どんなに立派な評価システムや格付けを作っても、その「意味」が正確に伝わっていなければ意味がありません

「スゴい」はずの一つ星が「低評価」と見なされてしまうことだってあるのです。

「当たり前」を語ることに、抵抗感のある人間は少なくないと思います。

(「何で今さら、そんな『当たり前』のことを言ってるんだ」という目で見られかねませんから…。)

ですがそれは、特に「これからの時代」、情報格差知識の溝を生まないために必要なことなのではないでしょうか?



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