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「読まず嫌い」を防ぐには「前情報を誤読しない・させない」こと

未読の物語に対し「これはきっと、こういう物語だから、自分には合わない」と、実際とは違うイメージを抱いて敬遠したことって、ありませんか?

その物語を後で読んで、自分がカン違いしていたことに気づき「もっと早く読んでおけば良かった!」と後悔したことって、ありませんか?

まだ中身を知らないのに勝手なイメージを思い描き、「本当なら好きになれていた物語」をスルーする――いわゆる「読まず嫌い」は、読者・作者ともに損をする、小説コンテンツの「天敵」です。

「読書離れ(活字離れ)」を防ぐには、この厄介なバイアス(思い込み)も、何とかしていかなければならないのです。


読者は「読み誤り」からネガティブなイメージを抱く

「読まず嫌い」をしない・させないために必要なのは「誤解によるネガティブなイメージ」を防ぐことです。

「読まず嫌い」を一度でもしたことのある方なら、経験があるでしょうが…

「読まず嫌い」するということは、その物語に対して「ネガティブなイメージ」を持っているということなのです。

それが誤解でも何でもなく、本当に「自分に合わない」ものなら仕方がありませんが…

(エログロのように、明らかな「地雷」のあるジャンルは存在します。「生理的に無理」なものは、どう頑張っても好みに合いません。)

情報を読み誤ってしまったばかりにネガティブなイメージを抱いてしまうのは、あまりに哀しく、もったいないことだと思いませんか?

「読まず嫌い」を防ぐためには、まず、この「情報の読み誤り」と「実態に合わないネガティブなイメージを抱くこと」を防いでいかなければならないのです。

■「読者の抱くイメージ」と「実際の中身」は別物

皆さん、本のタイトルやあらすじから「この物語はきっと、こういう感じの物語だろう」と想像することって、ありますよね?

…で、それが「合っていた」ことって、どれくらいあります?

中には「思っていたのと全然違った!」ということも、あるのではないでしょうか?

読み手はタイトルやあらすじに含まれた「単語」や「語感の雰囲気」などから、勝手にイメージを膨らませます。

しかし、そのイメージが合っているとは限らないのです。

むしろ「読んでいる人」と「書いている人」は全く違う「別の人間」なのですから、イメージが寸分違わずピッタリ一致することの方が奇跡なのではないでしょうか?

個人的に「おもしろい小説を見つけるコツ」は「タイトルから中身を想像しないこと」だと思っています。

タイトルやあらすじなどの「前情報」だけで「勝手な想像」をすることを、極力やめることだと思っています。

想像したところで、それはあくまで「自分の中の想像」であって「実際の小説の中身」ではありません

たとえば「読者の想像を超える物語」が、読む前に想像できるものでしょうか?

(想像できてしまったら、その時点で「想像は超えられない」のです。)

「想像を超える物語」を、「読む前の想像」の段階で勝手に判断し、読むのをやめるなんて「もったいない」の極みです。

現実問題、出会う小説の全てを読みきることなどできませんので、どうしても「読む物語を選ぶ」という行為は発生してしまうでしょうが…

「一旦スルーしかけたこの物語、実は面白いかも…?」という意識を持つだけでも、「おもしろい小説」を見つけられる確率は上がるはずです。

■他者のレビューは「客観的な情報」だけを拾うべし

読む小説を決める際に、他者の書いた「レビュー」を参考にする方もいらっしゃるのではないでしょうか?

しかし、ここにも「誤読しやすいポイント」が隠れてします。

実際レビューを読んでいくと「他の人のレビューにダマされた!」という意見が結構な頻度で出て来るのですが…

(特に、Amaz○nさんの本のレビューなどではよく見かけます。)

そもそも「人の好みは十人十色」という基本中の基本を、皆さん忘れてしまっているのではないでしょうか?

「自分とは趣味も好みも違う他人」の「おもしろい!」は、自分にとっては「つまらない!」かも知れません。

そして逆に、他の人が酷評した作品が、自分にとっては「至高の一作」…そんなことだって、あり得るのです。

「おもしろい」「泣ける」「キュンとした」など…「感情」を表した感想は、人によって意見の変わる「主観的な情報」です。

「自分と趣味嗜好の一致する相手」のレビューなら参考になりますが、そうでないなら全くアテになりません

レビューを参考にしたいなら、見るべきポイントは、人の好みで左右されない「客観的な情報」です。

カップリングの関係性(幼馴染、年の差、禁断の関係etc…)や、世界観設定、キャラクターのタイプ等々…

「自分が好きになれる要素」がその作品に入っているかどうかという「客観的な情報」を見極めるべきなのです。

(もっとも、その辺を詳しく漁っていくと、思わぬネタバレを踏んでしまうこともあるため、ネタバレが苦手な人には難易度が高いのですが…。←ネタバレに配慮してくれているレビューもあれば、普通にネタバレしているレビューもありますので…。)

■数字を読めない人ほど、数字に踊らされる

読む物語を選ぶ際に、順位や数値や星の数を基準にしてしまう人って、結構多いのではないかと思います。

それはそれで各々の「好み」ですので、悪いとは言いませんが…

そういう人たちに限って、その順位や数値の「信頼性」を全く気にしなかったりするんですよね…。

昨今、広告業界の「1位偽装」や通販サイトの「やらせレビュー」が問題になっていますが(←「サクラチェッカー」なる「サクラを見分けるサイト」が人気になっている辺り、「世も末だな…」と思います。)…

おそらくどこの業界・界隈でも、そういった「不正」はあるものなのではないでしょうか?

数字は嘘をつかないが、人は数字で嘘をつく」という言葉がありますが…

偽られた数字に踊らされるのは、最悪の「時間の無駄」です。

そもそも小説投稿サイトの順位や数値は、タイミングにより急激に変動します

露出が増えればドーンと一気に数値が増えますが、減れば下がります。

(いわゆる「新着ブースト」や「完結ブースト」と呼ばれる現象です。サイトや戦略によっては、他にもブーストの起こりやすいタイミングがありそうですが、まだ研究途中ですのでハッキリしたことは言えません。)

「露出」の有無次第で増減する数値を、「おもしろさの目安」としてしまって良いのでしょうか?

(ちなみに「お気に入り」や「ブクマ」にも増えやすい期間があります(だいたいブースト期間と一緒です)。ここを逃すとなかなか増えないので、やはりタイミングや戦略がモノを言う世界なのでしょう…。)

そもそも上のレビューの項目でも書いた通り、他人にとっての「おもしろい」と、自分にとっての「おもしろい」は別なのです。

「自分ならぬ他人」がつけた順位や数値で、自分にとっての「おもしろい」が見つけ出せるものでしょうか?

アテになるかどうかも分からない数字を一生懸命に見極めるより、自分の中の「好み」「嗜好」を見つめ直す方が、よほど「おもしろい小説」を見つける近道なのではないでしょうか?

■「報われない世界」を作るのは「ユーザーの見る目」

複数サイト・ブログを運営していると、自然と「検索ワード」のデータが集まってくるものなのですが…

前々から気になっていた検索ワードに「真面目な人間がばかを見る」というものがあります。

(この文言そのまんまだけでなく、よく似た文言も含めるとかなりの数になります。)

ただ愚直に品質の良いものを作っていけば、いずれ誰かが見つけてくれて報われる…

そんな世界は遠い時代の「おとぎ話」で、今の時代は「バレないようにズルいことをやった者勝ち」な世界なのでしょうか…?

(これまで業界ナンバーワンだった某自動車修理会社の不正の例など見ていると、本当にやりきれないですよね…。)

自分は「原因さえ変えられれば、現状は変えられる」と思っています。

もっとも、その「原因」が非常に厄介で、改善の難しいモノなのですが…

それはズバリ「ユーザーの見る目」です。

たとえばユーザーが「品質」や「中身」を一切見ずに、ただ「数字」だけを見てモノを選ぶ人たちばかりだったなら…

「偽装してでも数字を上げたもの勝ち」な世界に、自然となりますよね?

逆に言うと、ユーザーがちゃんと「品質」や「中身」を見てさえいたなら、たとえ数字が偽装されようと「本当に質の良いものが天下を獲れる」のです。

自省も込めて言うのですが…ユーザーというものが、いかに「いい加減」で物事を「テキトーに見ている」のか、社会に出てから幾度も思い知らされてきました。

「フワッとしたイメージ」や「信頼性があるかどうかも分からない数字」から「テキトー」にモノを選んでいるにも関わらず、ユーザーは意外と自分の「見る目」を疑わないものです。

むしろ、自分の選択を後悔しないために「見る目が間違っていたかも知れない」と、考えないようにしているのかも知れません。

しかし「見る目の無さ」は、確実にユーザー自身を蝕みます。

「ユーザーを上手く騙せた者勝ち」な世界では、騙しのテクニックばかりが発達し、品質はどんどん「ないがしろ」にされていきます。

「高品質なモノを作れる正直なクリエイター」たちは、「報われなかった」ことを理由にリタイアし、世の中から「本当に良いモノ」が消えていきます。

そして、騙されてモノを選ばされたユーザーは、何も気づかないまま「すごく良いってほどじゃないけど、皆が評価しているんだから、これより良いものはないんだろう」とあきらめてしまうことでしょう。

「頑張っても報われない世界」「真面目な人間がばかを見る世界」――それが「何」から作られているか、考えてみたことがありますか?

答えは「人」です。真実を見抜けない「人の目」なのです。

逆に言えば「報われる世界」を作るコツは、「人がモノを、ちゃんと見ること」。

「見せかけの情報」や「勝手なイメージ」で判断せずに、ただ「ありのまま」、フラットにモノを見ることです。

そして「他人の意見」ではなく「自分の目」で、物事を見極めることなのです。

■「見る目」を養うには「物の見方」をより多く知ること

「自分の目で物事を見極める」と言っても、その「目」にウロコが何枚も貼りついていたら話になりません。

「目からウロコが落ちる」……すなわち「それまでの変な思い込みが消えて、真実がクリアに見えるようになる」ためには、物の見方を知ることです。

それは「優れた『物の見方』を1つ学べば良い」ということではありません

物は、角度によって見え方が変わるもの。

あらゆる角度からの、様々な「物の見方」を、1つでも多く知ることなのです。

及ばずながら自分も、そんな「物の見方」をちょこちょこ発信しています↓。

自分の「見る目」を疑わないユーザーに、新しい「物の見方」を学んでもらうのは、一筋縄ではいかないことでしょう。

それに「ユーザーを上手く騙したい」側の人間は、「ユーザーを賢くすること」に決して賛同してくれないでしょう。

(上手く騙せて売れたところで、結局それは「一過性」の儚いもの。ユーザーが賢くならない限り、本当の意味で「報われる」ことなんて無いんですけどね…。)

それでも自分は「報われない世界」より「報われる世界」に生きていたいのです。

「うわべ」や「見せかけ」がもてはやされる世界ではなく、ちゃんと「中身」を認めてもらえる世界で生きていたいのです。

「他人を騙さないと成功できない世界」ではなく「自分の信じたものを貫けば成功できる世界」で生きていたいのです。

まだまだ情報発信自体が下手クソで、発信したところで何の役にも立っていないかも知れませんが…

「何をすれば良いのか分かっている」のに何もせずに、「時代が悪かった」と嘆く人生は送りたくないな…と思うのです。



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