数値の落とし穴(おもしろくない小説でも数値が伸びる「からくり」)
皆さんは、気づいていますか?
たとえば、人気だからと買ってみたものの、読んでみたら「おもしろくなかった」小説…
そんな小説も、あなたがそれを買った時点で「売上部数」が+1伸びているという事実に…。
売上部数は、その本が売れさえすれば数値が上がるわけですが…そもそも、ほとんどの人間は、買った時点ではその小説の中身を知りませんよね?
(シリーズものの2巻目以降だったり、Web連載作品の書籍化など、「既に中身をある程度知った上で」買ったのでない限りは。)
数値の中にはそうやって、中身のクオリティーや読者の感想とは関係無く、対象者が行動を起こした時点で増加する(そして、内容が「期待外れ」だったからと言って減少することのない)ものが存在します。
中身を知らずに伸びた数値――それは果たして、おもしろさの指標と言えるのでしょうか?
投稿小説にも同じことが言えます。
その小説がおもしろかろうと、おもしろくなかろうと、読者が1人訪れた時点でユニークアクセスは+1増えます。
内容を知らないにも関わらず伸びた数値――それは何を表すのでしょうか?
それはズバリ、その小説のアピール力や宣伝力、話題性に対する数値です。
タイトルにインパクトがあり、人目を惹く…「あらすじ」がおもしろそう…人気のジャンルを扱っている…etc、その小説の「集客力」に対する数値なのです。
そうして集まった読者が、その小説にどんな感想を抱こうと、集まった読者の「数値」は変わりません。
そして「数値」は「数値」を呼びます。
人間心理として、読者数が10の小説より、読者数100の小説の方が「おもしろそう」と感じてしまいがちですよね?
(もちろん、そういうバイアスに引っかからず、数値に惑わされない読者もいますが。)
結果、数値が多い小説にはより多くの読者が集まり、数値の少ない小説は読者数が伸びにくい…そんな両極端なスパイラルが発生します。
しかし、上にも書いた通り「中身を知らずに伸びた数値」は、小説の“中身”に対する評価ではないのです。
もちろん、アクセス数の中には「おもしろかった」からこそ発生する「リピーター」も含まれることでしょう。
しかし、初見で訪れたもののリピートしなかった読者すなわち「その小説に価値を見出さなかった人の数」と、リピーターすなわち「その小説に読むべき価値を認めた人の数」の比率は、アクセス数やポイント数だけでは分かりません。
さらに言えば、ブックマークや「お気に入り」にも似たことが言えます。
なぜなら、ブックマークや「お気に入り」には一定数、「気になってマークしたけど、まだ読んでいない」という、いわゆる「積読(つんどく)」が含まれるからです。
また、そもそもブックマークや「お気に入り」は、そのサイトのアカウントを持っていなければ付けられません。
つまり、どれだけ読者を集められようと、その読者がサイトアカウントを持っていなければ、ブックマークや「お気に入り」は増えないのです。
投稿小説サイトには、様々な数値が表示されていますし、それを「目安」に小説を探す読者もいることと思いますが…
その数値が「何を表すものなのか」、ちゃんと見極めた上で参考にしていますか?
何も考えず、ただ数字に踊らされているのだとしたら…ウェブ小説のみならず、社会生活の諸々の場面で、知らず知らずのうちに損をさせられているかも知れません。
世の中、「それが何を表す数字なのか」をあやふやにして、ただ数字の大きい・小さいで消費者の目を誤魔化そうとする「数値の罠」が本当に多いですから…。
(たとえば、本の「発行部数○万部突破!」が、あくまで「発行した部数」であって「売れた部数」でない件など、気づいていらっしゃいますよね…?←まぁ、売り切る自信と覚悟があるからこそ発行するのかも知れませんが…。)
出版不況、活字離れの昨今、「話題性」を作るために、どこもかしこも「高い数値」を全面的に押し出していく傾向が強いですが…
個人的にソレは、ますます活字離れを加速させるだけなのではないかと危惧しています。
数値に踊らされた結果、読者が「自分のニーズと合わないものを掴んでしまう」あるいは「自分のニーズに合っていたものをスルーしてしまう」のは、読者・作者双方にとって不幸なことですし、小説離れの一因となり得るのではないかと…。
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