小説の評価は「好み」によって左右される
投稿小説サイトに限らず、ネット通販サイトのブックレビューなどを見ていても時々感じるのですが…
「自分にとってのおもしろさ」と「他人にとってのおもしろさ」を混同してしまっている方が、結構いらっしゃるのではないかと…。
「自分にとって面白いから、誰にとっても面白いはず」「自分にとってつまらないから、誰もがつまらなく感じるはず」…そんな風に、自分の中のモノサシを「絶対のもの」と信じて疑わない意見を、時々見かけます。
(そして「おもしろい」と感じる人と、「つまらない」と感じる人の間でバトルが勃発していることも…。)
「おもしろい」と感じる人にとっては、「つまらない」という意見が、その小説を貶める「ディスり(けなし)」に映るのかも知れません。
反対に「つまらない」と感じる人にとっては、「おもしろい」という意見をプッシュされると「押し付け」に感じるのかも知れません。
結局のところ問題は「好みの違い」という、どうにもならない高い壁のせいなのですが、もしかしたら、お互いそこに全く気づいていないのではないかと…。
人間の「好み」は、それぞれに違っています。
ジャンルや属性の好き嫌いもそうですが、世界観や文章の書き方、キャラクターの性格からストーリー展開に至るまで、それぞれ好みは違うのです。
そして作者は無数にある選択肢の中から「ひとつ」しか選べません。
作者の好みで描くにしろ、流行やニーズを追うにしろ、「誰かの好み」が選ばれて、「それ以外の好み」は選ばれない…それは、どうにもならないことです。
(作品が複数あれば、様々な人の好みに対応できるよう、ある程度バリエーションを増やしたりはできますが…。)
もちろん作者は、読者を楽しませよう、楽しんでもらおうと思って書いているはずです。
しかし、どれほど努力や工夫をしても超えられない壁はあります。
それが、人それぞれ異なっている「好み」です。
「好み」の作品であれば、多少の欠点があったとしても気にならず、楽しんで読める…そういう経験のある方、いらっしゃるのではないでしょうか?
逆に「好みでない」作品は、他人からオススメされても、なかなか手を伸ばす気にならなかったり、読んでみて「やっぱり合わない」となったりする…
個々人の感じる「おもしろい」は、実はそうやって本人の「好み」にだいぶ左右されているものなのです。
しかし、それが無意識のこと過ぎて、気づいていない方も結構いらっしゃるのではないかと…。
作品の「クオリティー」ならば、作者の努力次第で何とかできなくもありません。
しかし読者の頭の中の「好み」を変えることは、なかなかできることではありません。
物書きさんたちの中には、ネガティブな意見や低評価に悩んで書けなくなってしまう方も多いかと思います。
しかし、それが「クオリティー」に対する評価なのか、単に「好みに合わなかった」というだけなのか…それはその評価をつけた読者にしか分からないことですし、下手をするとその読者自身、意識していないことなのかも知れません。
読者だけでなく、下手をすると作者の方も…自分の「好み」を絶対のものと信じてはいませんか?
「これなら絶対におもしろい」「これが認められないわけがない」…けれど、世の中には様々なタイプの人間がいて、自分の「おもしろい」とは真逆のものを「おもしろい」と感じる人もいるのです。
どれほど努力しても「好みの壁」に阻まれる…それは、絶望なのかも知れません。
しかし、同時に救いでもあります。
世の中に「好みの壁」があることを意識すれば、作品を書く姿勢も変わってきますし、精神的にラクになる部分もあるのではないでしょうか?
「自分の作品は、そんなにダメダメなんだ…」と絶望するばかりではなく「もしかしたら今回の作品は、読者の好みに合わなかったのかも知れないな」…といった風に…。
「おもしろい」「おもしろくない」という評価の中には、個々人の「好き嫌い」の影響が常にチラついています。
きっと「どこからどこまでが好みの影響」と分けて意識している人などいないでしょう。
しかし「おもしろい」「おもしろくない」という軸の他に、「好み」「好みじゃない」という軸を、皆が持ってくれるなら…「おもしろくない」と簡単に切り捨てるのではなく「自分の好みには合わなかった」と冷静に判断してくれる人が増えたなら…きっと読者も作者も、もっと幸せに小説ライフが送れるようになるのではないでしょうか?
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